北田暁大 @a_kitada 【識者に教えを乞】『ユリイカ増刊オタクvsサブカル!』読んでて、複数の人が「オタクによるサブカル批判・憎悪」の存在を前提に話を進めているんですが、実際どこでどんな人がそういう批判していたのでしょうか。都市伝説なのか05年のある種のリアルを証言するものなのか。まさか2ちゃん?
「サブカル」と「オタク」 - Togetter http://togetter.com/li/501745 ネットでは定期的に盛り上がりが観測されるオタクVSサブカル話がまた火を噴いているので、軽く便乗。 オタクVSサブカルって、90年代に最盛期を迎え、00年代に入った辺りから徐々に衰退。いまではほとんど機能していない対立軸だと思っていて。 そもそも「おたく」という言葉*1、1983年に「漫画ブリッコ」誌上で中森明夫氏が、インドア趣味の中から(いまでいう)オタク系文化を「ダサくてキモくてイケてない趣味/連中」として、インドア文化から切断処理、露骨に言えば差別するために発明された言葉だったんですね。 で、その反対側の「ハイセンスでオサレでイケてるインドア趣味」として定義されたのが、いわゆるサブカル文化でして。 つまりオタクVSサブカルっていうのは、サブカルがインドア文化圏で「キモいあいつらと
ゆうべtwitterで議論していたことをちょっと。 ものすごく大雑把な分類になるけれど、日本のサブカルチャー領域の愛好者を、とりあえずオタク、サブカル、ヤンキーの三種類に分類する、というマッピングの仕方があると思う。 上の図は、私の個人的印象に過ぎない。だから是非あなたもサブカルチャー三角形を描いてみて、各種コンテンツやお友達を三角形のなかにプロットしてみて欲しい。意外と色んなことに気付けて楽しいと思う。 さて、ここからが本題。 そんなオタク、サブカル、ヤンキーもいつか歳を取っていく。それぞれが歳を取った時、どんな姿になるのか?また、サブカルチャー愛好家として歳を取っていく難易度はどれぐらいなのか?「オタク、サブカル、ヤンキーの歳の取りやすさ」について考えてみる。 1.ヤンキーとして歳を取っていく難易度 ヤンキーとして歳を取っていく難易度は、おそらく低い。尖ったヤンキーのまま年老いていく人
2011年05月27日23:30 カテゴリお題 サブカル女にありがちなこと 1 名前: 忍法帖【Lv=39,xxxPT】 2011/05/23(月) 19:06:42.06 ID:1/AEthrs0 趣味がデジタル一眼レフ サブカル女にありがちなこと http://hibari.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1306145202/ 2 名前: 忍法帖【Lv=39,xxxPT】 2011/05/23(月) 19:07:39.31 ID:1/AEthrs0 巨大な団子ヘアー 3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/05/23(月) 19:08:27.63 ID:MKda+5rR0 異国情緒ファッション 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/05/23(月) 19:08:37.11 ID:Bi7Qevue0
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(例1 大阪市中崎町 梅田から徒歩20分。裏手にある古くからの住宅に並んで、女子向けの雑貨屋が営業されている。) 最近、新しいカルチャーが起こってくる場所は、中心の繁華街ばかりでなくなったように思う。 関西の話だが、街のカルチャーを追う雑誌『L'magazine(エルマガジン)』(惜しくも2008年12月休刊)を読んでいても 登場するのは大阪の梅田や難波だけじゃなく、中崎町や堀江、福島などの「繁華街の周辺」が増えてきた。 2000年以降のゼロ年代は、各地で繁華街の裏手ともいうべき「周辺」の街が盛り上がり 一大ゾーンを築き上げるまでになる現象が起こっている。 その分、今までの繁華街が従来に比べ盛り上がりに欠けてきているというのだ。 (例2 神戸市乙仲通 70年代のオフィスビルに、レトロな雑貨屋が入居する。) ★定義★ 楽しいこと、心地いいことを求める人は、メインの繁華街(梅田や難波など)だけ
斉藤新人@リモートの遠山さん掲載🌛コミティア【お25b】 @pro_neet 八〇後は名前の通り1980年代以後の生まれ、日本で言うオタク第三世代になるのかな。漫画・アニメ的リアリズムに親しんでる点も似てる。ひと世代前の作家、衛彗と郭敬明の位置関係は村上春樹と佐藤友哉の関係に似てる気がする。 斉藤新人@リモートの遠山さん掲載🌛コミティア【お25b】 @pro_neet 村上春樹と佐藤友哉は自分語りというテーマで共通している。でも文化背景が違う。無知ながら断ずれば村上春樹は中央線沿線のお洒落サブカル文化圏。一方佐藤友哉は秋葉原的なファスト風土オタク文化。ハルキを「壁と卵」の壁と僕が感じてしまう理由はそこ。ネットは金がかからないデフレな趣味。
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大学院の授業にて。その日はある女の子の発表だったのだが、そこでその子がマンガ『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの受容史のようなものを披露した。発表が終わり、聴いてた院生の側からつっこみを入れる段になって(その授業は各々が発表して相互につっこみつっこまれるのが目的)、さっそく担当教官からの素朴な疑問。 「そもそもマンガって、サブカルでない?」 ごもっとも、である。 その子は少年マンガである『ジョジョ』がサブカルとして読みつがれている、という受容の変遷を発表したのだが、そうなのだ。マンガって、そもそもサブカルなのである。サブカル、サブカルチャーというのはハイカルチャーとの対比で初めて存在が明確になる。ハイカルチャーというのは、有り体に言えば古典的な芸術、教養のジャンル。ピエール・ブルデューのいうところの文化資本になるようなものである。その対義語としてのサブカルチャーはだから、大衆文化といえる。例
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はてな検索: 恵文社 http://search.hatena.ne.jp/search?word=%B7%C3%CA%B8%BC%D2&site=d.hatena.ne.jp&from= はてな検索: ガケ書房 http://search.hatena.ne.jp/search?word=%A5%AC%A5%B1%BD%F1%CB%BC&site=d.hatena.ne.jp 本屋の話をする前にちょっとパン屋の話を。 さて、あなたがもしパン屋を作ることになったとしよう。 そこでまず第一に重要なのは、小麦でもなく水でもなく山岡士郎のアドバイスでもなく、自らの商圏の確保である。 よほどの自信過剰か既に確立したブランドがなければ、いわゆる激戦区にいきなり打って出るなんてことはまずしないであろう。 店から歩いて周囲何百メートル圏内に住宅地や駅などの交通網がどれくらい確保できるかが、そもそものスタ
日本の文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。そのためにこれを書く。 まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。 しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。 神聖かまってちゃん http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html このバンドのことを知ったのは漫画「モテキ」。 「モテキ」は毎回作者の久保ミツロウさんのセンス&チョイスで その回のテーマに近い楽曲名がそのままタイトルになっている。 例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。 オレにはその絶妙なセンスがツボで 「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか 「ついに岡村ち
最近ニコ動こと「ニコニコ動画」を正直あまり見ておらず、むしろなぜかパチ屋でバイト中のマッチョな弟の方がニコ動の面白動画に詳しいというある意味意外な状況になってしまっているのだが、「ニコニコ市場」なんてのができたりしてるのね。 ニコニコ市場 そんでさっきこの月間ランキングを見てて吹いたw Perfumeのアルバムがアイマス(アイドルマスター)のキャラCDをおさえて月間ランキング1位ですよ!複雑な気持ちの方もいるかもしれませんがw Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付) アーティスト: Perfume出版社/メーカー: 徳間ジャパンコミュニケーションズ発売日: 2007/02/14メディア: CD購入: 31人 クリック: 1,676回この商品を含むブログ (672件) を見るそういえば初回版の発売から1年が経つんですよね〜長かったような短かったような。 Perfumeに
「サブカル」と聞くと若者向けのちょっと尖った商品、作品と思う人が多いと思う。 たしかに、その認識に間違いはないだろう。ただし、十年以上前の話しならば、だ。 サブカルと聞いて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。 みうらじゅん、吉田豪、または伊集院光……だいたいこの辺の人間は必ず挙がってくる。 しかし、ちょっと考えてみてほしい。同様の質問を五年前、十年前にしてみた場合、やはり同じ名前が出てくるのではないだろうか。 もちろん、彼らの実力は本物で、ゆえに需要が高く、キャリアも長くなっている。 だが、本当にそれだけが起因と言っていいのだろうか。 はっきりと言おう。サブカルは世代交代がなされていない。雑誌を開くと何年も同じメンバーが似たような切り口でコラムを書き、書店のサブカルコーナーに行けばいつも通りのスターディングメンバーの新刊が出迎えてくれる。 その原因はめぼしい新人が現れないだとかいったことが
9月24日のこと。毎年恒例になっている、宝島社の広告が大手新聞各紙に掲載された。 全文はこちら宝島社 企業広告 2009年 常々、女性誌については個人的にいろいろ思うところがあった。せっかくなので、これを機会に、私にとっての女性誌について、多少センチメンタルに考えてみた。 ■「女子とガール」が全員ターゲットであることのムリヤリ感 宝島の女性誌は最近、20代向けでは主に「ガール」、30代向けには「女子」という言葉を使っている。「モテ」とか「愛され」を標榜してきた(最近はそうでもないみたいだが)赤文字系女性誌—JJ(光文社)やcancam(小学館)とは一線を画していることを、分かりやすく伝えるためかもしれない。 先日読んだMSN産経の記事では、宝島社の女性誌が、編集会議を主としている「雑誌」があまり取り組んでこなかった「マーケティング」を取り入れた、と書いてあった。おそらくその中身とは、 ・コ
2009年07月05日 80年代のダサさは異常 商品・評価 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/03(金) 11:25:38.73 ID:YhPxdANo0 70年代>>>60年代>>>90年代>>>50年代>>>>>>>>>>>>>>>>00年代>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>80年代 5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/03(金) 11:28:03.05 ID:YhPxdANo0 アメリカも日本もダサい80年代 12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/03(金) 11:36:02.91 ID:WGAOHLh0O だがそれがいい 15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/03(金) 11:39:08.33 ID:3xXOtKJ1O ファッション
図書館でSFマガジン1月号を借りてきたので宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を読みまして。いい加減にイライラしてきたので適当に愚痴を。 1月号はよしながふみ論なんだけど、山形浩生の「日出処の皇子」論を土台に吉田秋生→よしながふみと語っていく形で、まあ相変わらず穏当だなあとは思うわけです。思うのは稲葉振一郎と宮台真司の仕事ももっと思い切り引用して論じればいいのではってこと。最初のほうでちょこちょこと引用したあと、あんまり出してないのはなんなのかしら。基本的にこの連載「宮台・稲葉を読んだ小知恵の働く院生レベルが漫画・ドラマ論に仕立て直してみましたけどどうでしょう」的コンセプトだと思うのだが、本人的には違うのだろうか。それはそれで意義のある仕事だとは思うのですよ。誰かがやったほうがいいだろうと思うのです。ほらなんか「文化的雪かき」とかいい言葉あったし。 でも連載が始まって以来未だに宮台・稲葉から一歩も
少しだけ気になったので考えてみる。 「大きな物語が失われたために人々は生きる意味を見出しにくくなってしまった」というストーリーにはもっと率直な疑問を感じる。つまり、「大きな物語のおかげで生きる意味が保証されていた」という状況がそもそもうまくぼくにはイメージできないのだ。たとえば、「大きな物語」として「冷戦構造」が挙げられることがある。そのとき「資本主義vs共産主義」のような大きな対立構造が各種の思想や制度を布置づけていた、という話を否定しようとは思わない。しかし、市井のある人物が「冷戦構造のおかげで生きる意味がみつかりました!」と述べているような状況は、ぼくにはまったく想像することができないのだ。 もちろん、政治的な人間であればその種の運動に「アンガージュマン」することで「生きる意味」を 見出すことができたかもしれない。しかし、それは、一部の人間にとってだけのことだったのではないのか?そし
アクセス状況を見ていると、5月に入ってから『ゼロ年代の想像力』で検索して 『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(再加筆版) - 白鳥のめがね の記事を読みに来る人がちょっと増えている。あれかな、新大学生が受験が終わってさあ読み始めようという感じか、あるいは授業の課題図書にでもなったのか。 かつての自分のつたない議論もなんかもうちょっとなんとかできないか、と思っていたところ、転叫院さんが同書の「用語整理」をしていて面白かったのでまずリンク。 まず、『ゼロ年代の想像力』が一貫して「洗脳ゲーム」の話であったことを確認しよう。これは何が正しいかについての客観的な知について書かれた本ではなく、「何が正しいかについて、人はいかにして政治的かつ洗脳ゲーム的に、信じさせられるのか」について書かれた本である。「《大きな物語》が失効し、何が正しいのかについて誰も正解を与えてくれなくなった」時代とし
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