内田裕也とザ・フラワーズがメンバー交代で元4.9.1(フォー・ナイン・エース)のジョー山中(ボーカル)、元ビーバーズの石間秀樹(ギター)、元ザ・タックスマンの上月ジュン(現小林ジュン、ベース)、和田ジョージ(ドラムス)4人による体制になり1970年2月に改名し再出発。内田裕也はプロデュースを担当し、日本コロムビアから日野皓正・クインテットとシングル「Crash」を発表したあと10月に日本フォノグラムでアルバム『Anywhere』を発表。同年に開かれた大阪万国博覧会の出演中に知り合ったカナダのロックバンド、ライトハウスに見出されメンバーはカナダへ渡る。地元でライブ活動を重ね評価を上げた彼らはアメリカのアトランティック・レコードと契約し4月にアルバム『SATORI』をアメリカとカナダで発売(日本はワーナー・パイオニアから)。同アルバムと、シングル・カットされた「SATORI Part2」がカナ