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2007年12月18日のブックマーク (2件)

  • Twitter @ 挨拶は是か非か - matakimika@hatenadiary.jp

    Twitter @ 挨拶は是か非か的な議論がブスブスと不完全燃焼していたので、たぶんこのへんかなという争点の洗い出し。 状況 Twitter で朝晩不用意に「起きた」とか「寝る」とか書こうものなら「@hoge おはようございます〜」とか「@huge おやすみなさい」とかそのての挨拶 @ 返信が雪崩を起こすクラスタが存在している。 有意なコメントの羅列サービスとして Twitter を眺めたいひとにとって、そのての挨拶発言でログの S/N 比が下がるのはウザい(おれも最初なにも考えず片っ端からいろんあひとを follow していた頃はうざかった)。 で「挨拶 UZEEE」となるが、挨拶勢にとって挨拶行為はそれなりに有意の行いなわけなので(あるいはとくに意味はないけどそんなことで自分の言動に余計な制約を加えられることには反発しておきたいので)、挨拶 UZEEE 勢 UZEEE、になるのかといえ

    Twitter @ 挨拶は是か非か - matakimika@hatenadiary.jp
    setofuumi
    setofuumi 2007/12/18
    特に最終段あたりの話は気付いてちょっと悲しくなったことがある(あわなさとか
  • ケータイ小説はリアルか問題 - また君か。@d.hatena

    バーチャ 1 あたりからこっち延々リアルとリアリティの境界線で戦い続けるゲーオタ界隈からすると何故今頃な話題だけどゲーオタも問題意識を抱えたまま特に議論を前進させないので程度は一緒だな!やはりそこいらへんはゲームアカデミズムの仕事か!と思ったけど一応ちょろっとケータイ小説を読んでみたのでリアリティについての感想。 おれにとってはリアルじゃないけどこれをリアルと感じるひとも居るんだろう。 終わった。うーむ。これは体験の共有可能性みたいな話と近いと思うんだよね。感想文でいうと、たとえばおれが小学校の頃養豚場の社会科見学にいったとき抱いたのは、豚がどうとかではなく、ひるがえった自分の小学生としての人生への絶望感だったんだけど、そこで「絶望した」って書いても感想文読んだひとは当惑するだけだ。前提を共有しない同士でもある程度は疎通していく類の感想というのは「豚がデカかった」とか「豚の目がピュアだった

    ケータイ小説はリアルか問題 - また君か。@d.hatena
    setofuumi
    setofuumi 2007/12/18
    色々いってもらった感