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ブックマーク / mutronix.hatenadiary.org (34)

  • コントローラの向こうのわたしが考え(た) - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080506#p2 この話に普遍性があるように感じられるのは、どうしてだろう。 ゲームをリセットすることで、それまでゲーム内の法則に従って、キャラクターとして出来事を受容していた<ニコ>が、ゲームの外でコントローラを持ったプレイヤーの<おれ>として、突然放り出されてしまう。そういうことではないのかと思った。 ふだんそれを意識することは少ない。だいたいのことは、「これはゲームです」という注釈でラップされて、プレイヤーに受容される。自分の操作するキャラクターが死んでも、悲しくならない。主人公の死とプレイヤーの死は、連動していないから。主人公以外の登場人物の死は、それが予定されているものならば、「フラグ」「イベント」という概念で回収される。 没入度が高いゲームを遊んでいると、その包み紙が破れて、プレイヤーではなく、キャラクター

    コントローラの向こうのわたしが考え(た) - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2011/02/19
  • 日記 (pixies' language) - 焚書官の日常

    朝:野菜スープ、パン、ヨーグルト。昼:ハンバーガー、ポテト、野菜スープ。夕:カプチーノ、お菓子。夜:大根のサラダ、ブロッコリーとほうれん草、魚のフライ。 毎日べたもののことを書くのには、エントリを習慣的に書くための動機付け以上の意味はない。 そこからねじくって、童貞の私が、twitterにこう書いた: 「日記見ましたよー、べたものを記録してるんですねー」みたいなコメントをくれる方は、そこ以外の妖精の言葉が読めない人だと判断できるので、毎日べた物を記録することにもそこそこ意味はある anotherさんがこう書いたのを読んだ: 絵文字・顔文字がないと生きていけない人と、そうでない人とがいる。Twitterには基的に後者しかいない。 似たようなことに童貞毒を蓄積させているな、と、勝手に思った(私のほうがanotherさんより歳をとっているはずなので、そのぶんたちがわるい)。 絵文字が必要

    setofuumi
    setofuumi 2009/11/13
  • ゲームとはふつうの人には「非日常」の演出みたいなこと - 焚書官の日常

    http://pcod.no-ip.org/yats/search?query=http%3A%2F%2Fbit.ly%2FioL7X http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ideaxidea.com/archives/2009/10/bangkok_drinking_game.html 脳のなかの古い部分の自分がこう言った。 これをゲームとか面白そうとかどんだけ娯楽燃費がいいんだ。そういう人は、チェーン系居酒屋で一個だけ辛いのの入ったたこやきを注文したりして、ったときのリアクションを見たりするのも楽しいんだよねきっと。わーわー。 Twitterの自分が、捻ってこう言った。 中年ゲーオタは、リア充にとっての「ゲーム」=「負けたら酒を飲む」に不機嫌さを出さずに適応する能力を問われる。 私は酒は飲めないほうだから、こういう遊び(?)をやらされたら気で嫌がるかも知れ

    ゲームとはふつうの人には「非日常」の演出みたいなこと - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2009/10/17
    がんばります。
  • PBMでビデオゲームをプレイしてあげるサービス - 焚書官の日常

    ゲーム会後の雑談より、二人の対話形式にして再構成。(実際は二人ではないし、もっと馬鹿な話をかわるがわるしているし、誰かが聞き役になっているわけでもない。) 「GTAとかって、人によっては何が面白いのかわかんないじゃない。楽しみ方にコツが必要っていうか」 「放置されすぎって意味で?」 「いや、プレイヤーの映画経験が問われてるみたいなところが」 「不法行為をはたらいてハイウェイ逆走とかして警官に包囲されてれば、それでいんじゃないの」 「そういう光景を見て笑ってる自分がいるでしょ。主人公にとってはバッドな経験でも、プレイヤーは笑えてるってところがポイントっぽい。そういうの面白いって感じるのもさ、<世界まる見え>とかの映像を見た経験があって、それっぽい何かを知ってるからで」 「あー」 「ゲームが面白いというよりか、<やってる俺が反応してる姿込みでいとおしい>みたいなところあるんじゃないかなー。ラブ

    PBMでビデオゲームをプレイしてあげるサービス - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2009/09/17
    いいっすね
  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    「ハンザ」Java版 http://www.tgiw.info/2008/06/java.html ミヒャエル・シャハトのファンとしては全力でキャプチャしながらゲームの紹介をしたいが、これは特に言語化が難しい…(システムとテーマが直感的につながっていないので、説明がくどくなる)。紹介されているJava版をちょっと遊んでみたけどルールを忘れていて「この船で何するんだっけ…」という状態だった。そのうちちゃんと遊んで記事にしようと思います。 ネタマジという言葉に自動的にいつくデーモンを開発したい ネットから特定の単語を拾ってくる2時間で作った仕組みが、犯罪予防に役立つかどうか、クオリティはさておき、この素早さを行政は見習うべきではないか、とかなんとかいう話を読んだ。 悪意を持った書き込みがある視点の下に晒されることには多少の社会的意味があると思う。しかし私がもっと興味があるのは、*すと書いた人

    いろいろメモ - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2008/06/20
  • 対価について - 焚書官の日常

    「ものを作ったことに対する対価は支払われるべきだ」という制度の話が、どこかで「愛があるなら対価を払うよね」みたいな話にねじくれるのが不思議すぎだ。 「愛があるなら対価」論では、可処分所得100万円の人と可処分所得10万円の人の愛は10倍違うってことになるような気がするが、それは屁理屈だろうか。 この屁理屈もしょうもないが、この屁理屈への返答が「そこはそれ、自分の身の丈にあった金額を払えばいいじゃないですか」とかなりがちで、もっとしょうもない。可処分所得に一定の率を掛けただけの金額…いやそれでは不公平だから…累進ドネション制とかになるでしょうか…。 愛と呼んでいるものを、自分の生活の自由度を下げる(カネを払う)ということで表現してますけど、それは質的には不自然ですよね、ということだ。 たしかにその不自由さによって、「ありがたい」「大事にする」という気持ちになるかも知れないけど、それは自演の

    対価について - 焚書官の日常
  • だんだん腹が立ってきた - 焚書官の日常

    おれはここでこうやっていいかげんな日記をもう5年書いていて、言っていることの多くは同じことの繰り返しなわけだけども、そういう立場から見ると、たかだかひとつの匿名エントリで自分の「事実」「真実」とやらを告白することは、書くことに対して、そうとうにお気楽な態度ではないかと思える。 そして、たかだか一つのエントリを読んだくらいで、その人の「事実」「真実」に触れた気になり、それ以外の叙述の可能性を不誠実だと抹殺したがる読者とは、なんという鈍感な人達だろうかね。 anondに寄せられた告白を読んでいてわかることは「結局わたしたちは他人の生の断片にしかふれられない」ということではないのか。それ以上の何を、わかった気になっているのだろう?

    だんだん腹が立ってきた - 焚書官の日常
  • 「まじめにやれ」 - 焚書官の日常

    http://fragments.g.hatena.ne.jp/knephin_steg/20071109/1194554474 で、はてブコメントに言及をもらったので、関連したことを書く。 anond.hatelabo.jpに虚構を書いて遊ぶと、皆が音を書きあっていた空気を壊してしまってよろしくない、という意見がある。 そうだな、とは思うが、それで壊れてしまうようなものなら、仕方がないんじゃないか、とも思う。壊れる部分は、もとから無根拠なバブルだったのでは。 虚構だって音だって、まじめに書いている時点でおなじリングにあがっているのだから、そこで共存すればいいと思うのだ。 もしも自分が ここはみんなが音を書きに来てるところなんだよ、まじめにやれ と言われたら、私はこう返す。 たとえばあなたが、自分の不遇をanondに書いている人だとして、あなたが当に不遇かどうかは、あなたの書いたも

    「まじめにやれ」 - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2007/11/10
  • 「ではまたどこかで…」など、ない - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20071108/p1 ある人のブログが閉鎖したときに交わされる「またどこかで」というカラっとした言葉について考えた。 私には、「またどこかで」という感想は、ない。いや、この日記を書いている【私】にはそれはあるが、こうやって読者に読まれている、書かれたほうの私には、ない。わかりやすく言うと、そういうことは、思ってもなるだけ書かないようにしている。 たとえば何かもめ事が起きて、 ご不快に感じられることがありましたら土下座してあやまります。このブログも、閉鎖することにします などと、書かれた記事があったとしよう。 そこにどれほどの【中の人】の気持ちが込められているかは、測定できない。仮にもし測定できたとして、それがどうした、と、読み手だっていくらでも居直ることができる。文章に誠意があるだのないだの傷ついただの、印象でしかないことを、

    「ではまたどこかで…」など、ない - 焚書官の日常
  • 重ね合わせる時間 - 焚書官の日常

    ポップンミュージックの上手な女の子に対する、そういうのやらないトライブの男子の劣情、というのを突き詰めていくと、クリスマスイブにおける童貞のルサンチマンと被る。 「酔っぱらって入ったゲーセンで他人の斑鳩のプレイをぼけっと見ているオレの30分」と、「取り巻きや仲の良い異性がたむろしてる中で楽しげに遊ぶその女の子の30分」(ポップンミュージックが上手だからといってそういう想像をするのは私の思いこみだが)というのを、【一方そのころオレは…】と、勝手に脳内でパラレルに再生しようとしてしまうから、切ない気分になるわけだ。 ということは、その同時性を切断すれば、クリスマスイブも寂しくなくなるかも知れない。秒分オーダーでの同時性が保証されない、数週間くらい平気で遅延するTwitterのようなミニブログを用意して、今性交しているという実況をそこに皆投げるようにしたらどうだろうか。 どうだろうかってどうにも

    重ね合わせる時間 - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2007/11/06
    【一方そのころオレは…】
  • I see your face, and I like your face - 焚書官の日常

    はてなダイアリーの日記を見ていて「この人はまたこんな、どこかで見たようなことを言っているのか」と思うことが増えた。「またこんな」の「また」というのは、書き手が繰り返しているのではなく、読み手である自分が似たようなもののまわりをほっつき歩いているという意味。 自分の精神状態が原因なのかも知れないし、何も為さないままここ(日記を読み書きすること全般)に長く居すぎて、正直飽きた、ということもあるだろう。 自分はほとんど人の日記を読まない。主体的に、なんだなんだ、と思うときというのは、何かもめごとが起きているな、というときだったりする。もめごとの多くは、結論がでても「そんな気持ちの問題やら態度の表明やら、どうでもいいじゃねぇか」と思うので、ますます読みたくなくなる。 どうでもいいじゃねぇかと思う一方では、その話題がその人にとって目下重要なことだし、書きたい気分だから書いているのだ、ということはわか

    I see your face, and I like your face - 焚書官の日常
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    setofuumi 2007/09/02
  • あとでつくる - 焚書官の日常

    はてなダイアリークラブ→低温度ゲームの会 why そのこころは「ハイアラーキカルなゲーム語りうざい」。 他人が持っているものさしで、非ゲーマーに膾炙したの、業界がどうのと喋ってるのを読んでも面白くない。ファミコンカートリッジが7000円したかどうか、ということと、おれが面白いゲームを発見することの間に繋がりがあるだろうか、と考えると、たぶんほとんど、関係ない。 お手軽ゲームかマニア向けゲームか、といった業界尺度以外のオレ尺度で書いた、有象無象のつぶやきは、あっという間に忘れ去られる。 それらを結ぶ言葉がないから、そうなるのだ、とも言える。 「はてなダイアリークラブ」にはもともとそういう「尺度や価値の発見→可視化」に近い意味があったと思ったが…いやそれは気のせいでした。

    あとでつくる - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2007/07/26
    おお
  • アマゾンとSBSについて - 焚書官の日常

    アマゾンのおすすめがまともに見えるのは、身銭を切って買ったものからリストを作ってるから。 SBSをアマゾンのおすすめに近づけるということは、そのような縛りを設けることじゃないかと思う。全体の方針として一手一手を重くすればよいわけだから: ちゃんと読んでない記事はブックマーク禁止。 マッキントッシュを持っていないユーザーはマッキントッシュの記事をブックマーク禁止。 ブックマークは、ひとり1日10個まで。11個目からは5ptずつはてなポイントをお支払いください。 …緊張感でバランスを取るのは好みではないが。 あーあと、これは多少ずれるけど ブックマークで保存されるエントリは1ユーザあたり最新の500のみ。「いつか検索」とか考えてる暇があったら見返してまとめましょう とか。 追記 集合愚から集合知を取り出す - 妄想科學倶樂部 を読んでの感想です。 追記2 「こんなの釣りに決まってるじゃないです

    アマゾンとSBSについて - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2007/04/04
    一手を重くする。最近やるにしても見るにしてもそっちのほうがいいような気がしてきた
  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    「メディアリテラシー」 メディアリテラシーという言葉が来の意味を離れて、一種の「俺は違うぜ」的知能テストになっている件。 いかにもありそうなことを鵜呑みにしてしまったとき、反省すべきなのは、「裏を取る」ことよりも「なぜ俺は信じてしまったんだろう?」と自分のバイアスに向き合うことではないのか。 「やられたー」「釣られたー」とか一生やってろと思った。 あーしかしあれだ 「いい加減うんざりだ!」「一生やってろ!」というのは、自分にとっては繰り返し現れているように見えているだけで、ネットで見てまわっていてそういう感想を抱くときの相手というのは、全然別の人として現れているものだ。 自分の側の問題として、そういうことが歳を取るということなんだなと(あ、週末で一つ歳が増えます)思い直すべきなのだな、というのが一つ。いい加減そういう話題に興味の針を動かさないようにしたい。 もう一つは「釣れた」とか「リテ

    いろいろメモ - 焚書官の日常
  • もし人生が神のデザインした「神ゲー」だとして - 焚書官の日常

    (ブクマついていたが、文意を損なわない程度に修正した) http://anond.hatelabo.jp/20070303100408 人生全体を、当にゲームと言いたいのなら、「自分がひょっとしたらシステムを見切って飽きてしまうかもしれない」という覚悟をしてゲームにのぞむべきだ、というのが簡単な感想。 「人生は神ゲー」と言う人に「人生はそういうものじゃない!」「どうにもままならない人生だってある!」と反証を示そうとしたって、「神ゲー」言ってる人の理屈の枠組みに回収されるだけだ。私の言うことがわからないのは、あなたがまだゲームの目的を見いだしていないのだ、なんて返されたりして。うへー。 この不愉快な感じをたどると、「人生はそういうものじゃない」ではなく「ゲームとはそういうものじゃない」というところにいきつくような気がする。逆張りっぽいが。 ドイツのボードゲームやってるおれの仮想敵として、陽

    もし人生が神のデザインした「神ゲー」だとして - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2007/03/05
    よい
  • ダイアラ無責任論 - 焚書官の日常

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20070221/p4 どっちとも取れるコメントがついてるので補足しとくと、「仮にも一日数千アクセス…」とか言うのは、オレじゃないです。 関連: はてなブックマーク - id:kazenotoriをdisる会 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku はてなブックマーク - Entertainments Lovers Live - マッつぁん、またまた必死だな 一度「ネタでやってる」と取られてしまうと、それ以降何を言っても「真面目にやれ」「ブロゴスフィアーで責任ある立場の奴がそんなこと言うな」「梯子外すな」「私怨ですか」「必死だなw」とか言われてしまうというバカの壁があって、上でブクマしてる人たちは(おれの書いた内容を半笑いで読んだにせよカチンと来た

    ダイアラ無責任論 - 焚書官の日常
  • 「こんな人いるよね」から先の一般論が気色悪い - 焚書官の日常

    ボドゲが人気ないのはプレイヤーの平均BMI値が高いからだ ボドゲが人気ないのはプレイヤーの口が臭いからだ ボドゲが人気ないのはプレイヤーがチェックのシャツを着ているからだ どれも一見正しそう。なんとなくそういう人がいそうだから。 でも実はこの言い方は、きちんと書くならば オレはBMI値が高い人が不愉快、そしてボドゲ不人気はこれに関係あるかも オレは口が臭い人が不愉快、そしてボドゲ不人気はこれに関係あるかも オレはチェックのシャツが不愉快、そしてボドゲ不人気はこれに関係あるかも という話。 その感じ方が間違っているとは思わない。私にも不愉快なことはある。不愉快に感じたことを言うのも自由(細かいことだし、そんなこと敢えて大の大人が書いて表明べきではないと思うけど)。 「ボドゲ普及のために不愉快さを…云々すべき」という話をしたいのなら「オレが不愉快と感じる」という主観がベースにあることを常に添え

    「こんな人いるよね」から先の一般論が気色悪い - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2006/12/30
  • 陸ゲーム部の可能性を考える - 焚書官の日常

    これはリンクしておこう http://mixi.jp/view_event.pl?id=12110776&comm_id=223467&page=all こういうの見るとやっぱり陸ゲーム部みたいなものを作ったほうがいい気がするなぁ。 mixiだと「初心者はけっこうどうでもいい人集まれ!」とか「初心者に優しくなきゃ流行なんてありえない!派の集うトピ」とか、トピごとに意見の似た人同士たむろできるし。 お互い流派が違うんだからそういう箱庭で自説を展開すればいいのでは、と思った。オレも含めて。無理やり他流試合を挑んでそこをひっくりがえして、オレルールで「はいはーいお前の間違いー」とか言われましても。まぁ「オレの観点から見たらお前のここは間違っているよ」と言えてしまうのはお互い様だが、サークルの存在意義すら否定する勢いってなんなんだ。 追記 なんかmixiにあるみたいなので「陸ボードゲーマー」で検索

    陸ゲーム部の可能性を考える - 焚書官の日常
  • 禁止って命令するなって命令するな!(どかーん) - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/REV/20061017#p1 「指図をするな」「指図をするなって指図をするな!」 「厨房!」「厨って呼ぶほうが厨房だ!」 といういつものパターンなのかな。 「禁止!」「禁止言うな!」「禁止言うな言うな!」…の言い合いが続いている間はある種の均衡が保たれていると思うのであんまり興味が沸かない(話題になってる記事もほとんど読んでない)。 ま、解らない人は解らないまま「土足で人の家に…!」とか言うだろうし、淡々と指摘する人は指摘を続けるだろうし。 自分の立場としては、えー勿論、無断リンク禁止、というのはナンセンスだと思うし、「無断」と「リンク」を並べるのは造語技に近いという感覚を持っています。 無断リンクしたら突然ブチ切れられて訴えられたり、サービスプロバイダに文句言われたりして、自分の享受しているサービスが制限を受けたりしなければいいなーと、思いま

    禁止って命令するなって命令するな!(どかーん) - 焚書官の日常
  • 「人に禁止を強制するなら当然**すべきである」 - 焚書官の日常

    id:DocSeriさんの「所定のアドレス以外のリファラをもつアクセスを、別ページにリダイレクトするJavaScript」(これを敢えて「無断リンク禁止スクリプト」、と呼ぶのは冗談みたいなものと理解)を読んだ。 http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20061014/1160810110 ブックマークコメントの 穴はあるけど,禁止論者は喜んでこれをつけてもらいたい。それすらしないのに禁止を叫ぶのは,ドアを開けっ放しにして泥棒を嘆くのに似ている。 というのは何だろうと思った。 以下思ったことを数点。上のコメントをしたid:myrmecoleonさんにってかかる意図はない。どちらかというと、常々思っていることをブクマエントリを触媒にして言語化してみる感じで。 「リンク禁止論者」と「リンク禁止論ヘイト論者」というのがいると設定して書く。 1.泥棒がいるという主張を妄言だと

    「人に禁止を強制するなら当然**すべきである」 - 焚書官の日常
    setofuumi
    setofuumi 2006/10/16
    善意悪意