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ブックマーク / sakstyle.hatenadiary.jp (2)

  • 『社会は存在しない』限界小説研究会編 - logical cypher scape2

    サブタイトルに「セカイ系文化論」とある通り、セカイ系評論集となっている。 「何を今更セカイ系なんて」と思う向きにも、ちょっと立ち止まってもらいたい。 これは、セカイ系と称されてきた作品について論じる、というわけではなく、セカイ系という概念がどこまで使えるのかということをテストしているなのである。 では、何故そのようにしてセカイ系という概念をテストしなければならないのか。 そもそもセカイ系というのは、90年代後半からゼロ年代初頭にかけてのオタク的作品に見られた傾向に対して、揶揄的につけられた呼称である。ところが、ある時期までには軽蔑的なニュアンスはある程度まで薄れて、いわゆる「時代のリアル」を映している言葉として使われるようになっていった。 例えば、印象派という言葉もまた、揶揄的につけられた呼称であった。 セカイ系を印象派に喩えてみる、というのは、「何故今更セカイ系なのか」という問いに答え

    『社会は存在しない』限界小説研究会編 - logical cypher scape2
    setofuumi
    setofuumi 2009/07/18
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  • 外部のなさとしてのセカイ系 - logical cypher scape2

    『社会は存在しない』を読んでいて考えたことなどを書いていく。 『コードギアスR2』と『ダークナイト』 笠井は、「セカイ系と例外状態」の中で『コードギアス』を画期的な作品だとしたうえで、R2のラストについても論じている。例外状態において親殺しによる成熟は不可能である。それは社会という秩序が予め失われているからであり、父を殺したところでその末に登録される社会領域はない。ルルーシュもまた、父を殺しても秩序へと回復することができない。 ルルーシュは、汚辱と罪を背負っている。皇帝になることは自ら否定した父の姿を反復することに他ならず、秩序の再建のためにはルルーシュは去らねばならない。これは、オイディプス神話における予言の自己成就的な状況でもある。 例外状態の収束のために、例外状態における汚辱を自らに集中させて去るのである。 ところで、渡邉の議論はアメリカ映画にも及ぶ長いリーチをもつものであるが、収録

    外部のなさとしてのセカイ系 - logical cypher scape2
    setofuumi
    setofuumi 2009/07/16
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