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ブックマーク / www.boon-senior.com (245)

  • VAN Jacket(ヴァンヂャケット)とトラッドのこと - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    男は身なりなんかに気を使うもんじゃないというバンカラ気質がまだ残っていた昭和40年代終わり、四国の片田舎でしがない浪人生活を送っていた私に、現役合格して一年先に上京した友人が持ち帰って来たファッション知識がアイビールックでした。 アイビールックは、1950年代にアメリカ東海岸にあるハーバードやコロンビア、イェール等の「アイビー・リーグ」と呼ばれる名門私立大学の学生やOBの間で広まっていたファッションを基にしたスタイルです。髪は七三分け、ボタンダウンシャツ、三つボタンのブレザー、コットンパンツ、ローファーを着用するのが定番とされ、それが日でも流行した1960年代にこのアイビールックで銀座のみゆき通りに集まった若者達は「みゆき族」と呼ばれていましたが、彼らの御用達がVAN Jacket(ヴァンヂャケット)だったのです。 みゆき族から10年程が経過し、この頃にはトラッドファッションと呼ばれるよ

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  • 国産バイクと輸入バイク - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    先日舶来品信仰というブログを書きましたが、私は今ドイツ製のBMWバイクに乗っていますので、国産、輸入(舶来)バイクについてもうちょっと書いてみます。 先日の舶来品ブログでも書いた通り、私がバイクに乗るようになった1970年代には既に日車は世界チャンピオンで、世界中の市場を席巻していました。ですから選ぶのに国産車以外はあり得なかったですし、何より田舎の貧乏高校生が外国車を買えるはずもありませんでした。 最初は古~いホンダのCS90から始まりましたが、改めて今見ると中々スマートですね。 参照:https://young-machine.com/2018/09/24/13024/ その後スズキのT21、ヤマハのRX350と乗り換えて、RX350が高校時代のメイン機種でした。その後バイクから離れ、数十年後にリターンしたのがヤマハのSRX600、カワサキのW650ですから、ここまでは国産車ばかりで

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  • 舶来品信仰 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    舶来品という言葉自体が既に死語でしょうが、まだ世間的にも意味は通じると思います。(外国から)船で運ばれて来る品物だから舶来品で、そのまま輸入品という意味ですが、ちょっとありがたがるような、高級品的なイメージはありますね。 私が幼い頃はまだ色々な分野で、舶来品信仰が残っていました。メイド・イン・ジャパンが安物の粗悪品というイメージをまだ払拭できなかった頃で、失礼ながら少し前のメイド・イン・K××、今ならメイド・イン・C××ですかね。 とは言え、私が小学校に上がった頃にはもう家電品はほぼ国産で完結していました。SONY等が世界的ブランドとして認められた時代ですね。その他ではバイクも既に世界を制圧し始めていましたし、クルマも国内市場は国産車が押さえた状態になっていました。ただクルマについては当時まだ輸入車との性能差も大きくて輸入車信仰は強かったですし、性能面では日車が最高と言われるようになった

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  • ナショナル・ジオグラフィック - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    ネット記事を閲覧していて、ナショナル・ジオグラフィックの下記の記事が目に留まりました。今回のアフガンからの米軍撤退で、過去バーミヤンの仏教遺跡を大規模破壊したこともあるタリバンの今後の動向を懸念する記事です。 natgeo.nikkeibp.co.jp 私は、ナショナル・ジオグラフィック誌の日語版が1995年に外国語版としては世界で初めて創刊された時から、少ない小遣いを何とか工面しながら何年か定期購読していました。 ナショナル・ジオグラフィック誌は、ナショナル・ジオグラフィック協会という1888年に地理学の普及のためにアメリカで設立された団体が発行している雑誌で、学術誌的内容でありながら絵や写真を多用していて、当時の水準からすれば写真が圧倒的に魅力的だったと記憶しています。あの山五十六もハーバード大学で語学研修を受けているときに協会の会員となっていて、雑誌もずっと定期購読していたのだそ

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  • バイク用プロテクター - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    娘がバイクに乗るようになったのですが、気に入ったバイクウェアがなかなか見つからず、モヤモヤしているようです。 ライコランドやナップスなどのバイク用品店でウェアを見てもあまりピンとこないみたいで、特にレディースは好みではないのだそうです。いかにもライダー然としたものではなく、街着としても通用する感じのものを探しているらしいですが、とはいえ安全性にも拘っていて、そうなるとやはりライディングウェアから選ばないとプロテクション機能は期待できないし、やっぱりデザインが気に入らないし、という堂々巡りをしています。 今現在は、私が持っているウェアの中でもあまりバイクバイクしていないものを選んで使っています。女性にしては大柄な方なので、幅はさすがに余りますが何とか着れるのです。 私が持っている、無限電光というメーカーのバイク用エアバッグを使わそうとも思ったのですが、これは肩や肘等をカバーはしてくれず、あく

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  • ムヒカさんの生き方 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    この間、が(今後は「」と呼ぶことにしたのですが、これまで「家内」と言い慣れていましたのでまだ落ち着きが悪いです。)「世界一貧乏な大統領」として有名なウルグアイのムヒカ元大統領のTV番組を観ていました。 私は自分の部屋でほかのことをしていて、飲み物を取りにリビングへ来た時にちょっと眺めただけなのですが、ちょうどその時、「もう残り少ない人生で十分な程のお金は稼いだ。」というセリフと、収入の9割を社会基金に寄付し、10万円ほどの生活費で暮らしていたことが語られていました。 ホセ・ムヒカさんについては色々なところで取り上げられていますのでご存じの方も多いと思いますが、若い頃はウルグアイの革命の闘士であり、軍事政権下では10年以上も投獄されていたのだそうです。 彼は大麻の合法化等思い切った施策で賛否両論を巻き起こした大統領でもあります。大麻合法化というと我々日人はええっと思いますが、世界ではこ

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  • バイクの不得意種目、徐行運転 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    バイクの一番の魅力は風を受けて走る爽快感なのでしょうが、それに加えて車体を傾けることで自在に曲がる方向を決められるという操縦感(操り感)も大きいと私は思っています。コーナーの角度と今のスピードを計りながら、ピタリときまった傾きで進入しコーナーを抜けていく時の爽快感はちょっと他では得られないと思います。(あくまでも舗装路の話です。) 飛行機の操縦はこれが三次元になる分、更に高度な達成感・快感になるのでしょうが、高所恐怖症の私は航空機免許などは考えたこともありません。 この快感は車体を傾けられる二輪だからこそ得られるものなのですが、それと引き換えに失うものが安定性であり、特に低速になればなるほどそれは顕著になります。 トライクという三輪バイクもありますが、車体が傾かないものが殆どで、私の定義するバイクの楽しみの大部分は失われますし、どちらかといえばこれはオープンカーに近い乗り物なのではないかと

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  • 昭和の田舎暮らし - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    先日猛暑の記憶みたいなことを書きましたが、その後は全国的に大雨となり、結果気温はさほど高くならない日が続きました。そしてその時書いたことが昔の田舎暮らしを思い出すきっかけともなりましたので、ちょっとまとめてみます。 私が生まれたのは昭和20年代の終わり、西暦では1950年代半ばですから、まだまだ戦後という言葉がぴったりの時期だったと思います。物心ついたのは昭和30年代、中高の多感な時期が昭和40年代ということになります。私は事情があって四国の瀬戸内側に住む父方の祖母に育てられたのですが、当時祖母は民間企業でパート的に働いていて、公務員時代の恩給を合わせても家計が裕福でなかったことは確かですので、当時の平均的暮らしからはちょっと割り引いて読んで下さい。 まず、私が物心ついた頃、我が家には電気こそ通じていましたが水道はなく、隣の遠縁のウチの井戸水を毎日バケツで汲んできて炊事、洗濯をしていました

    昭和の田舎暮らし - シニアライダーの日常・R1200Rと共に
  • R1200R、12カ月点検後のショートツーリング - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    超長期にわたったR1200Rの12ヵ月点検がようやく終わり、ショートツーリングに出掛けてきました。 早々に支払い等の処理を済ませて、10時過ぎにディーラーを出発したのですが、緊急事態宣言下ということを多少意識して千葉県内をちょっと走るだけにして、これまでバイクでは殆ど行ったことのない、県最北端を目指すことにしました。 千葉県民でも県の最北端というと銚子あたりをイメージする人が多いのではないかと思うのですが、実は最北端は野田市関宿(せきやど)という町で、茨城県、埼玉県との県境、県西北部となります。「チーバくん」でいうと鼻の先っちょですね。今は野田市ですが昔は関宿藩として独立していて、利根川と江戸川が分岐する要衝の地に関宿城があったことから、関東への水運を押さえる意味で代々譜代の大名が藩主となっていたそうです。太平洋戦争時最後の総理大臣となった鈴木貫太郎がここの出身ですが、私は千葉に越して来て

    R1200R、12カ月点検後のショートツーリング - シニアライダーの日常・R1200Rと共に
    shiina-saba13
    shiina-saba13 2021/08/22
    秋も近いのですね。
  • R1200R、波乱の12カ月点検 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    コロナ禍によるバイク特需(?)で、ディーラーが思わぬ繁忙期に突入していて、愛機R1200Rの12カ月点検は随分時間のかかることとなりました。 www.boon-senior.com まん延防止等重点措置発令中であり、ろくにバイクにも乗れていなかった為に私が検査時期に気付いてなかったという事情もありますが、来なら4月、遅くとも5月には検査だったはずが8月1日まで待たされ、工期も一週間とこれまでになく長い間かかることとなってしまったのです。 その後コロナによる緊急事態宣言が首都圏の3県にも拡大発令され、猛暑も続いていましたので、ツーリングに出ることもそうはなかったかもしれませんが、真夏のレジャー最盛期となる8月の第一週に、バイクに触ることもできないというのは正直不満だったです。 そしてようやくやってきた引き取り日の8月7日、天気も下り坂でしたから朝一番で引き取ってこようと思っていたのですが、

    R1200R、波乱の12カ月点検 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に
  • パソコン買い替え - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    4年程使っていたノートパソコンの調子が悪くなり、買い替えることになりました。パソコンといいましたが実態はタブレットで、それに専用のキーボードを接続すればパソコンとしても使える、マイクロソフトのSurfaceProという機種です。 これまで使っていたのはPro4というモデルで、2015年に発売されていますが、私は2017年に新古品(展示品)をヤフオクで落札しました。 当時プライベートではSONYのオールインタイプPCを使っていて、これは持ち運びはできませんが、この頃はASUSのAndroidタブレットも持っていましたので、外出の際はこれで事足りていました。 会社から支給されていたのはDellのノートPCで、業務ではこれを使いますから、外出や出張でも許可を取得して持ち運び、自宅に仕事を持ち帰る時にも使っていました(働き方改革という点では問題あります、、)が、定年を控えて会社にも申告の上で副業

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  • 「家内」という呼び方 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    私は結婚以来、ちょっと改まった場ではのことを「家内」と呼んでおり、このブログでもそれは同じでした。 面と向かっては「お母さん」というのが子供ができて以来の習慣で、私も「お父さん」と呼ばれています。「パパ・ママ」は気恥ずかしいので止めてくれと結婚した時から頼んでいて、子供たちも当然そう呼びます。子供ができるまでは名前を呼び捨てでしたが、すぐに長男が生まれましたのでその歴史は短かったですし、社内結婚結婚前は「〇〇さん」という、いわゆる社内での公用語的呼び方が身についていたので、結婚後も呼び捨てにはかなり違和感がありました。 対外的な「家内」という呼び方が日語としておかしいわけではなく、社会人としては正統派だと思うのですが、先日「ビリーブ 未来への大逆転」という映画を見た時の感想で、「家内」という言葉自体、女性は家庭にという表現だと書いてから、気になり始めました。 www.boon-sen

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  • 帰省について - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    お盆休みで息子が帰省してきました。年末年始で帰省してきて以来8カ月ぶりです。帰省とはいえ、東京東部から千葉県西部ですからほんの一時間で帰れるお手軽帰省です。政府は帰省自粛と言っていますが、息子も職域接種でワクチンの二回接種を終えていますし我々夫婦も終わっていますから、まあいいだろうということにしました。 彼の職場にはお盆休暇という概念は無いらしいのですが、同居している彼女がお盆で帰省したので、自分だけが残っている理由もなく、ということで帰ってきました。休みではなくても、テレワークで自宅勤務がデフォルトとなっているので、どこでいても同じように仕事ができるというのはこういう時便利ですね。 今どきのカップルらしく、家事も分担してやっているようですが、帰ってきたとたんに何にもしないぐうたら息子に戻っています。まあ実家ではそんなものでしょうが。 私は四国出身で、19歳の時進学のために上京して以来故郷

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  • 8月、猛暑です。 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    8月ですから暑いのは当たり前ですが、それにしても昨日一昨日は異常な暑さでした。台風の余波で、その前には関東でも強い雨風に見舞われましたが、それが収まったと思ったら猛烈な暑さがやってきました。何と東京八王子では38℃、千葉でも36℃です、、。 過去の思い出には自分に都合の良い補正がかかっていますので、私の記憶は正確ではないかもしれませんが、昔の夏が今ほど暑くなかったのは間違いないと思います。 昭和30年代の日にはまだエアコンは普及しておらず、当時の映画を見ると大企業のオフィスでさえ窓を開け放って扇風機が廻っています。またあの頃はまだ冷房だけの機能しかありませんでしたから、エアコンではなくクーラーと呼んでましたね。 映画や当時のニュース映像に登場するサラリーマンは、ネクタイは締めない開襟シャツ姿が殆どですが、上着をちゃんと来ている人も多く、いくら今ほどの猛暑ではなかったとしても良く我慢できた

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  • BIG-ONEカフェから伊縄寺(いづなでら)、太東埼灯台へ家族ドライブ - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    8月に入って最初の週末、娘から、有休をくっつけて4連休としたので家族でどこか行こうと誘われていました。その時は、久しぶりに遠出するのもいいねということで色々考えていたのですが、首都圏の3県にも緊急事態宣言が発出されてしまい、遠方はおろか近場でもはばかられる状況になってしまいました。 とはいえせっかく有休をとったので、人出も少ないであろう平日の金曜日に、密を避けて近場に出かけることにして、目的地は先日のバイクツーリングで候補地の一つだった太東埼灯台と、その近くの伊縄寺としました。 まずは、そこからそう遠くない大多喜町のBIG-ONEカフェを目指してそこで昼をとります。私は何度も行っていてお気に入りですので、家内と娘にもここのハンバーガーをべさせたかったのです。ここはコロナ禍以降店内での飲を中止し、広い店前の広場でべる方式になっていますので、その点でも安心です。この日は、これまでの感染

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  • せっかち - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    歳を取ると人間はせっかちになると言いますよね?当にそうなのかどうかは知りませんが、そう取られるような行動をする年配者を見かけることが多いのは確かです。 先日、宅急便を送るために朝一でヤマトの営業所に行きました。珍しく朝早く起きましたので、8時の営業開始5分くらい前に着いたのですが、ちょうど私の前を走っていたクルマも御同様だったらしく、一緒にヤマトの営業所に入り、駐車場にも並んで停める形となりました。私より若干年配らしきご婦人だったのですが、着くなり荷物を持って窓口に向かいます。しかしまだ5分前でカーテンも開いておらず自動ドアも当然動きません。しばらく入り口で待っていたと思ったらせかせかとクルマに戻って来て、いらいらした様子ですぐにまた入り口に向かいます。そんなことをほんの3~4分の間に2~3回繰り返したかと思ったら、1分前くらいになったところで待ちきれない様子で荷物は預けないまま、クルマ

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  • 娘のFTR初単独ツーリング - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    今週の日曜日、娘は早くから起き出して初のFTR単独行に出掛けました。今年の初めに納車されてから練習ツーリングという名のお付き合いを5回ほどやり、ようやく独り立ちですが、内心ちょっと寂しいと言うのも音です。 私はR君を12カ月点検に持って行く予定でしたので、娘が出発した後のんびり準備をしていたのですが、出掛けてから30~40分後に娘から電話がかかってきました。 去年の夏、息子がクルマで対物事故を起こした時もこんな感じで電話がかかってきたことを思い出して、嫌~な予感がしたのですが、そうではなく、燃料コックはどうすればリザーブになるのかを確認したいという内容でした。走っていてふと不安になったんだそうです。事故ったんじゃないかという懸念は取り越し苦労に終わって一安心でしたが、今後もちょっと心配、ちょっと寂しいというのは継続するのでしょうね。 ちょっと心配という点で言えば、私自身は危険を殆ど感じた

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  • R1200Rの12カ月点検 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    今週の日曜日、愛機Rを12カ月点検でディーラーに預けて来ました。2015年の春、正社員としての定年を迎えた記念にご褒美として二代目のR1200Rを新車で購入して(もらい)、6年目となりました。走行距離は38,000kmを超えましたが、一度シフトアシストの効きが悪くなった(とはいえクラッチを使ってのマニュアル操作には支障なし)ことと、バッテリーが突然死して、朝ツーリングに出かけられなかったことがあるのを除けば大きなトラブルはなく、快調に走ってくれています。 5月が点検時期(車両購入は4月なのですが、昨年の車検がコロナで1ヵ月遅れ、今年の点検も5月だったようです。)だったのですが、しばらく乗らなかったもので警告灯の点灯に気付いたのが6月初めの娘とのツーリングの際でした。 www.boon-senior.com すぐに点検を依頼したのですが、凄く混んでいるそうで、ようやく受け付けてもらえたのが8

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  • 「ホクレンSSライダーキャンペーン2021」に応募してみました。 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    北海道の方以外には、ライダーでもないとあまりお馴染みはないと思うのですが、ホクレンとは「ホクレン農業協同組合連合会」の略称で、北海道の農協の元締めです。ライダーと農協が直接関連している訳ではなく、ホクレンはホクレンSSという名前のガソリンスタンドを運営しており、我々ライダーは北海道ツーリングの際にそこでお世話になります。 それだけなら数あるガソリンスタンドの一つに過ぎないのですが、ホクレンは夏の北海道ツーリングの最盛期に、ホクレンフラッグというペナント形の小旗を、ホクレンSSで給油したライダーにプレゼントするというキャンペーンを毎年行っていて、これを集めるのが夏に北海道ツーリングに訪れる道外ライダーの楽しみの一つであったりもするのです。当初はこのように販促キャンペーンだったのですが、人気が過熱して(?)途中からは有償で販売することとなりました。ホクレンフラッグをバイクに差して道内を走ってい

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  • 夏の海 - シニアライダーの日常・R1200Rと共に

    来なら7月19日の月曜日だった海の日が、今年はオリンピックの関係で昨日の7月22日となりましたが、夏といえばやはり海であり山です。 幼い頃、私にとっての海とは瀬戸内海のことでした。当時はまだ海洋汚染も進んでいませんでしたし、ご存じの通り内海(うちうみ)ですから波は穏やかで、子供でも安心して泳げるきれいな海でした。また海岸の砂も白く光っていて、防風林として多く植えられていた黒松とあわせて、古い言葉ですが「白砂清松」というのがぴったりの美しい風景でした。 白い砂浜と言えば沖縄等の南の島々を思い浮かべますが、これらの砂浜はサンゴが分解してできたもの、それに対して瀬戸内海の砂は花崗岩からできているのだそうです。 大学入学で東京に住むことになりましたが、彼女と海へ行くなどという明るい学生生活とは無縁でしたから、当時は湘南や房総などの首都圏の海へ行ったことは多分なかったと思います。その後社会人になっ

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