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ブックマーク / www.waypoints.blue (48)

  • 狭山お茶摘み体験フェスタ2018、埼玉県茶業研究所でお茶摘み体験 - 青い滑走路

    埼玉県に行って参りました! 左右に茶畑が広がる様子は静岡か鹿児島と言った感じの風景ですが、ココは埼玉県西部にある入間市の茶畑です。この日はと娘が観劇で1日外出中だったので、土曜日の習い事を終えた息子を連れて埼玉県の施設・埼玉県茶業研究所にクルマを飛ばしてきたのでした。 日では規模のごく小さい場所も含めれば、沖縄から北海道まで日全国でお茶は栽培されています。南方の植物であるお茶は寒いのが苦手なので、一定以上の規模を持つ茶畑が見られるのは武蔵野台地で狭山茶が育てられている埼玉県が北限。上の地図に平成29度ベースの生産量上位5県を並べて見ました。北海道や東北、北陸、甲信越等の寒冷地の名前は見えず、年間生産量が700トンしかない埼玉県は生産量上位県とは文字通りに桁が違うようです。 一般人お断りのような名前の埼玉県茶業研究所場に来たのは、この日に「狭山お茶摘み体験フェスタ2018」というイベン

    狭山お茶摘み体験フェスタ2018、埼玉県茶業研究所でお茶摘み体験 - 青い滑走路
    shiina-saba13
    shiina-saba13 2024/06/05
    お茶飲みたくなりますね。
  • 南の島のサトウキビ畑で、きびかさぎ体験 - Time flies...

    月桃の花が島南部で咲き始める4月の春休み。沖縄の季節で言えば「うりずん」の頃。ガタゴトと荷台の上で揺られ、軽トラで私道を進む先は苗にするサトウキビが植えられている場所でした。収穫期はとうに過ぎていると言うのに、サトウキビ刈りをしたいというワガママを受け入れてくれた農家の方がクルマを出してくれたのです。荷台のどこに陣取るのが一番座り心地が良いか、荷台でのゴトゴトは震度いくつか等と些細な会話を子供としていました。 サトウキビは北緯33度以南、赤道を挟んで南緯25度以北の熱帯から亜熱帯の地域で栽培されている作物で、ブラジル、インド、中国、タイ、パキスタンなどの国々で盛んに生産されています。日国内では鹿児島県から沖縄県に連なる南西諸島の島々が主な産地となっており、両県併せての国内シェアはなんと99%。台風の通り道となっている南西諸島においては、強風や水不足など気象災害に強い特徴を有すサトウキビ

    南の島のサトウキビ畑で、きびかさぎ体験 - Time flies...
    shiina-saba13
    shiina-saba13 2024/05/11
    参考になりました。
  • ゴールドラッシュなるか!? 天然砂金を求め、北海道へ - Time flies...

    伊豆半島西部の土肥にある金のテーマパーク「土肥金山」にて、緑のパンニング皿を使って砂金を探す娘とその祖父母。温泉水が張られた水槽の底の黒砂をすくい、その黒砂を揺らして、ならしてを続けていくとキラリと輝く金の粒が一つ、二つ見つかる。全国の金山跡地にある体験型の砂金採りは大体このようなものなのですが、どうもお仕着せ感が強いと感じられてしまい、膝まで川につかって、上流から流れ着いた天然の砂金を、子供に見つけさせたいという願望がムクムクと頭をもたげてきたのでした... 今回の出発地は宗谷地方南部の中頓別町にある、道の駅ピンネシリに併設されたキャンプ場のコテージ。旭川から宗谷岬目指す家族旅行で訪問中の北海道は、東京より北海道のほうが暑いのではないかと思われる夏日でした。南にある最寄りの集落・音威子府まで25km、北にある最寄り集落・中頓別町まで15km、国道275号上にぽつりとある道の駅の整備された

    ゴールドラッシュなるか!? 天然砂金を求め、北海道へ - Time flies...
    shiina-saba13
    shiina-saba13 2024/03/12
    貴重な経験になったんじゃないでしょうか。楽しそうです。自分もやってみたいですね。
  • 菅沼キャンプ村に家族でバンガロー泊。電気もねぇ、電波もねぇ - 青い滑走路

    すでに二年程前になりますが、家族で群馬県片品村にある「菅沼キャンプ村」に遊びに行ってきました。日光東照宮で有名な日光から国道120号線を辿り、いろは坂、中禅寺湖、戦場ヶ原と著名な観光地を辿りながら標高を上げて行きます。上の写真は国内で最も高い位置(1,843m)にあるトンネル「金精トンネル」から湯ノ湖、男体山方面の眺めた景色。綺麗に舗装された自動車道が整備されてみるので難なくクルマで快適に来れましたが、数百年前であれば人を寄せ付けない山間部であるのが容易に理解できる場所です。 上の地図の赤マル印が宿泊地の「菅沼キャンプ村」がある場所になります。群馬県と栃木県の県境にあたり、関東で唯一の特別豪雪地帯に指定されている片品村でも特に積雪が多く、冬季は交通が完全に遮断(国道120号線も冬季閉鎖)される厳しい場所です。赤マル印の少し南には深田久弥氏の有名な100名山のひとつ、日光白根山(2,578m

    菅沼キャンプ村に家族でバンガロー泊。電気もねぇ、電波もねぇ - 青い滑走路
  • 間伐材の伐採、薪割り。子供向け林業体験に参加してみました - 青い滑走路

    埼玉県北西部に広がる秩父地方は東京、山梨、長野、群馬と国境を接する場所にあり、市域のおよそ9割は森林に覆われており、多くは秩父多摩甲斐国立公園や埼玉県立公園の区域に指定を受ける緑豊かな地方です。我が家は秩父には何かと縁があり、今回は現地で開催された環境教育イベントに空きがあり家族で参加させて頂いたという話しとなります。 令和初日は秩父での集まり。約束時間を30分過ぎても我が家4人しか来てない...さすがは秩父(*´艸`*) pic.twitter.com/nBs5qSswkQ — たまパパ (@akabekosan) May 1, 2019 4-500年の歴史ある手作り農民ロケットを飛ばす「龍勢祭り」で有名な下吉田地区。その下吉田地区を通り過ぎた更に西の上吉田にある「山逢の里キャンプ場」が集合場所でした。首都高から関越経由で北側より秩父盆地に向かい、自分達がよく訪れる小鹿野に行く手前。自宅

    間伐材の伐採、薪割り。子供向け林業体験に参加してみました - 青い滑走路
  • 田儀櫻井家たたら製鉄遺跡(宮本鍛冶屋跡)を訪れてみた - 青い滑走路

    島根県中部に奥出雲の製鉄御三家である田部家、櫻井家(仁田家)、絲原家に継ぐ家各を持ったと云われる田儀櫻井家の拠点であった江戸時代のたたら遺跡群があると山口県にある大板山たたら遺跡で教わり、仕事の隙間をみてやって来たのでした。上の写真は日海に面する田儀港で、現在は土砂の積み込み作業や漁業に用いられていますが、砂鉄を原料として製鉄をおこなっていた頃には砂鉄や製品である鉄塊の運搬がなされた港でした。たたら遺跡巡りには絶好の晴天(*´艸`*)ウシシ 地図で示すと上のような位置(赤マル位置が田儀櫻井家のたたら遺跡の中心地・宮)にあります。島根半島の最も西側には全国的に名高い出雲大社があり、その南に広がる出雲平野には須佐之男が天上より降り立った船通山より流れ出る斐伊川が流れて宍戸湖に注ぎ込んでいます。そこから道程にして30キロほど西へ向かった山中にあるのでした。田儀櫻井家は宮の大鍛冶場を中心に

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  • タイ王国北部、村中が鍛冶屋の「パーサクターイ」集落訪問 - 青い滑走路

    タイ王国で刃物の街としてはアユタヤ北部のパーサク川沿いにある、ラオスやベトナムから昔に移住してきた人達の子孫が住むアヤンニック鍛治村がタイ国内外で有名ですが、今回はアユタヤから北に向かう事500キロ程、`雲南省(中華人民共和国)との国境にからも遠くない地域にある小さな集落「パーサクターイ」に初めて訪れた時の話しとなります。タイの鍛冶文化は多彩で、アユタヤ王朝時代からの伝統を守る鍛冶屋から、日製の打ち刃物(包丁)を専門に扱うお店もあったりします。タイの刃物マニアのひとりからパーサクターイ集落の話しを聞き興味を持ち、おおよその所在地の目星を付けて乗り込んだのでした。 パーサクターイ集落に入ったところです。村内には30ほど家族が住んでおり、同じ数だけ鍛冶場があるそうです。事前に約束をして待ち合わせをしていたドライバーさんに出発する前に行先の確認をしたのですが、「そんな場所は行ったことも聞いたこ

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  • 越後与板打刃物匠会のイベントで 「切り出し小刀」鍛冶屋体験 - 青い滑走路

    「切り出し」と言われてもピンとこず、ナイフですら鉛筆を削った事のない息子に「切り出し小刀」の鍛冶体験をさせたてみた話しになります。切り出しは鋼板先端に斜め刃を付けたもので、身近なモノでは鉛筆を削るのような木工での使用の意図としたものです。現在では簡易な鉛筆削りが普及しており、カッターナイフで鉛筆を削るのも珍しい時代となり久しいのですが、昭和中頃までは切り出しで鉛筆を削るのは一般的だったそうな。 トンチンカンと叩いて金属を求めるカタチに自在に変える鍛冶屋は今世紀に入る前に斜陽な業態となり、多くは鉄工所等に衣替えをしていきました。自分達の身の回りにある金属製品の多くは手で打ったものではなく、名もない機械が作り出した大量生産品ばかしです。切り出しどころかカッターすら無くなりそうな時代ですので、建築で使用する大工道具も手工品は消えていく方向に確実に進んでいます。かつては集落ごとに野鍛冶がおり、関や

    越後与板打刃物匠会のイベントで 「切り出し小刀」鍛冶屋体験 - 青い滑走路
    shiina-saba13
    shiina-saba13 2021/02/12
    興味深いです(^^)。
  • 芝愛宕山の急勾配な石段を神輿が登る、愛宕神社「出世の石段祭」 - 青い滑走路

    東京港区にある愛宕神社。各地の武将に軍神として信仰された勝軍地蔵を勧請して、徳川家康の命にて慶長八年(1603)に建てられた神社で、江戸で最も高い25.7mの天然の山(愛宕山)の上にあります。写真に映る階段を登り切った一の鳥居の右手には三角点が置かれており、現在でも東京23区内では現在でも最も高い地点となっております。 上の夕景は京都迎賓館に飾られている愛宕山を撮影したものです。愛宕神社の総社は京都市の西北、丹波との境に聳える標高890mの愛宕山にあります。役行者と白山の開祖として知られる泰澄が神廟を建てたことを起源とし、山岳修験の場も名高く、その修験行者達が全国に広めた事にもより全国で千社にもなる愛宕神社が祀られています。東京港区の愛宕神社はそのなかでも名高い神社とて知られています。 その港区・芝にある愛宕神社はこのような場所(上の赤マル箇所)にあります。写真上部中央は皇居宮殿で、その

    芝愛宕山の急勾配な石段を神輿が登る、愛宕神社「出世の石段祭」 - 青い滑走路
  • 安来にどうじょ。猫(どじょう)すくいに挑戦してみました - 青い滑走路

    島根県に家族で行って参りました。島根は神代からの名を冠する地名が現在も多く残る"神話の故郷"とも呼ばれる歴史の古い土地で、近代では国内生産の9割にも及ぶ鉄生産シェアを誇り、北前船の出荷港である安来湊は大変な賑わいをみました。島根県内にて今回最初に訪れたのは安来市で、日一と名高い庭園のある足立美術館の近くにて、安来節(男踊/どじょうすくい)体験ができると聞きやって来たのでした。 ベベンとの2枚撥がこれでもかと盛り込まれた安来節は江戸末期に安来の花街に生まれたと伝わり、大正期には大阪・吉興業を初めとして東京でも大ブームをもって迎えられた事により全国的に知られる新民謡です。座敷で生まれたと言われる安来節はもっと猥雑な即興唄だったものが整えられたようで、現在最も一般的に歌われる歌詞は「安来千軒 名の出たところ 社日桜に 十神山」等の土地の有名どころが沢山盛り込まれた"観光歌"となっております。

    安来にどうじょ。猫(どじょう)すくいに挑戦してみました - 青い滑走路
  • 萩市に残る遊郭建築の宿、旅館・芳和荘(ほうわそう) - 青い滑走路

    もう2年以上経っていますが、山口県北部にある萩市を以前に訪れました。日海を望む萩市は毛利家の治めた長州藩の城下町で、明治維新に活躍した人々縁の地や武家/町屋/寺社建築が空襲を受けなかった為に多く保存されており、萩市は古地図で散策ができると称される程に情緒溢れる町として有名です。平成二十七年には「明治日の産業革命遺産」として萩の城下町を含む複数の市内の史跡が世界遺産に登録され、観光客が押し寄せたニュースもまだ記憶に新しいところです。 阿武川の河口にできた三角州にある萩は、萩城を含む西側の「城内」、三角州を東西に分ける新堀川の北側に設けられた「町屋」、その南側に広がる「武家屋敷」と他の城下町同様に3つのエリアから成り立っていました。自分が萩市で今回宿泊したのは町屋地区の外れだった場所(三角州の端っこ、上地図で青星マーク)で、遊郭の貸座敷として建てられた建物を利用した旅館でした。 現在萩橋が

    萩市に残る遊郭建築の宿、旅館・芳和荘(ほうわそう) - 青い滑走路
    shiina-saba13
    shiina-saba13 2020/12/26
    私もここに行ってみたいと思ってます。
  • 花街の残照残す「鯛よし 百番」、紫苑殿で宴会をしてみた - 青い滑走路

    訪れてから時間がだいぶ経ってしまいましたが、大阪・飛田新地にある「鯛よし 百番」さんにて会をしました。遊郭建築を利用した事処としては最も有名で、仕事上の事の場所としては不適切と評されても仕方がないところですが、来日する上場企業取締役の希望という印籠を掲げて敢行したのでした。二階に擬宝珠高欄を配した木造二階建て/入母屋造りの建物は登録有形文化財。飛田新地は場所柄、写真撮影が憚かれる雰囲気なのですが、この建物前では堂々と写真撮影していても大丈夫ということでパシャパシャ。紅く灯る提灯と透かし彫りが浮かぶ建物が幻想的です。 天下の商都として名を馳せた大坂には繁華街が幾つも築かれ、新町遊廓を初めとする板塀に囲まれた花街もありました。江戸時代から明治末期まで続いた難波新地が大火(明治45年)で焼け落ちてしまった後、北浜の相場師・高倉藤平氏が阿倍野の崖下を整備して一体開発したのがの飛田新地(上の地

    花街の残照残す「鯛よし 百番」、紫苑殿で宴会をしてみた - 青い滑走路
  • 那覇国際通りすぐ近く、沖縄第一ホテルで朝食を - 青い滑走路

    以前は安里三叉路近くにあった「第一ホテル」がだいぶ前に移転してから、初めて家族で訪問して参りました。移転した「沖縄第一ホテル」の薬膳料理が沖縄のガイドブックに紹介されていたのを目にしたの希望を受けての訪問でした。移転前より50品種の材料を用いた”豪華”朝が名物だったのですが、移転後に更にパワーアップしているのだとか... 現在の「沖縄第一ホテル」はレストランやお土産屋、ホテルが軒を連ねる国際通りの中ほど、お土産やの一銀堂があった角を曲がって、一銀通りを久茂地小学校に向かう途中(赤マルの位置)に10年程前に移転したそうです。ホテルは部屋数が限られたオーベルジュのようで、当初は自分達も宿泊しようと目論むも満室だったのでテクテクとおもろまちから炎天下を歩いて来たのでした。 だいぶ洗練された感じもありますが、以前の木造建築の面影が残る内庭を横目に見ながらホテルロビーに進み、予約をした旨をホテル

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  • ANA4761/ADO62(羽田→帯広)遥か日高の麓、十勝野へ - 青い滑走路

    実質的に全日空の傘下にあるエア・ドゥは主に首都圏と北海道(千歳、旭川、函館、帯広、釧路、女満別)を結ぶ路線を運航をしており、羽田発の便は全日空とコードシェアをおこなっています。帯広空港行きのANA4761便を予約したものの、詳細の確認を怠った為に当日空港に来てエア・ドゥ便と知り、コードシェア便かと軽くオドロキながら搭乗。搭乗したのは10月の良く晴れた秋の日でした。 搭乗機は国内各地の空港で最も目にすることの多いボーイング737。中央の通路を挟んで左右に3席づつある140席程の中型機です。羽田第2ターミナルビルから誘導路をのたのた進み、滑走路34Rに侵入する場面で写真を1枚撮ってみました。 この日の飛行ルートは概ね上の赤線の通り。東京湾上空で進路を北に取った後は一直線で北海道へと向かうコースです。左翼側の座席なので、離陸後すぐに富士山、途中で日光、海を渡って襟裳岬や日高山地が見所といったとこ

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  • 房総半島南部の丘陵地のケモノ道を子供達と辿ってみる - 青い滑走路

    今回は千葉県に家族で出かけた話しになります。三方を海に囲まれた房総半島南部は上総丘陵や安房丘陵と呼ばれる丘陵地が広がり、それらの丘陵地と海の間にある僅かな平地に人々が集まり住んでいます。 また、丘陵地には河川の侵でできた谷が沢山見られ、山里には人間が、山中には多くの野生動物が棲む場所となっています。うちの子供達は動物が好きで、息子などは「俺、街中より田舎の方が好きかも...」と牛舎で牛達を眺めながら呟く程です。そんな子供達を連れて獣道を辿りに千葉県南部を訪れたのでした。 房総半島の丘陵地は他の山地と地理的に独立している為に、生存競争に生き残ったハクビシンやキョン等の外来種の比率が高いのが特徴で、全国的に厄介者と知られる猪すら"外来種"です。古来より房総半島に生息している猪がおりましたが、農作物が荒らされるのを嫌い乱獲がおこなわれ1970年代に一度絶滅。現在は人為的に放たれた"国内外来種"

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  • 山と熊と田を生業とした集落・山熊田の元教員宿舎に宿泊 - 青い滑走路

    家族で新潟県に出掛けた時のことです。訪れたのは新潟県最北部の村上市のなかでも、最も北側に位置する山北地区。平成の大合併で村上市の一部となるまでは山北町だった場所です。その山北地区でも最も山奥にある山村集落「山熊田」に今回はお邪魔してきたのでした。山熊田は「東北文化を色濃く残す集落」として有名で、是非とも訪れてみたいと考えていた場所でした。日海側より県道248号線を内陸に進み、こじんまりとした荒川中の集落で山熊田へと続く分岐を左折し向かったのでした。 西に日海が広がり、北側の山形県鶴岡と南の新潟県村上に挟まれた山間部。朝日岳(1,870m)や以東岳(1,774m)を始めとする山々が西側に傾斜しており、有名な景勝地「笹川流れ」はそれが海中に突出して浸されたのだったりします。現在は大部分が舗装路となっていますが、村上より庄内を結ぶ出羽街道が宿場町の面影を残す北中、小俣集落を通っており、山熊

    山と熊と田を生業とした集落・山熊田の元教員宿舎に宿泊 - 青い滑走路
  • 東京都墨田区、スコッチグレインの製靴工場を見学 - 青い滑走路

    東京墨田区に社を構える「ヒロカワ製」さんの工場見学に参加して参りました。製の主要産地である浅草の地場産業を盛り上げようとしている「エーラウンド」主催のイベントに「スコッチグレイン(ヒロカワ製)工場見学」というのを発見しまして、3時間程の小ツアーに参加を決めたのでした。中国やタイ等の海外の製工場の見学はした事はあるものの、国内の工場の製造ラインに入るのは初めてでワクワクで集合場所へと向かったのでした。※ 実際に訪れたのは2019年前半で、すでに一年以上前となります。 ヒロカワ製の工場は東京都の東部、下町と称されることの多い、人口27万人が暮らす東京の特別区のひとつ墨田区にありました。上の空中写真の赤矢印が指し示してい辺りが工場の所在地で、手前に流れる荒川、工場近く流れる隅田川と大きな河川に挟まれた土地の北側が墨田区(その南側は江東区)。 ヒロカワ製は東京オリンピックが開催され

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  • 子供限定のゴミ拾いツアー参加。渋谷の街中にある清掃工場へ - 青い滑走路

    昨年のことですが、娘と一緒に渋谷でのゴミ拾い活動に参加してみました。「渋谷のゴミってどこにいくの?」という主題の小学生限定ツアーで、渋谷でゴミ拾いをして、最寄り清掃工場を訪れるのがその内容です。集合場所である渋谷駅ハチ公前にはそれらしきベストを着た子供達が集まっていたので、係の人と思しき男性に声を掛け、ベスト、ゴミハサミ、ゴミ袋の3点セットを受け取って参加となりました。 上の子供の息子はこれまで各地に連れ回し、色々と体験をさせてきたせいか、何処に行って物怖じしない猪突猛進型でアホな男の子に育ちました。娘も小学生になったので、見ず知らずの他人と接したり、社会の仕組みを少し見せたりしてみようと思ったのが申し込みのキッカケでした。それに加えて、渋谷、原宿は自分の高校と程近く、自分の毎日いた場所だった街の変化を楽しめる場所なので、ツアー参加で普段と違った視点で見てみたいという希望もありました。 渋

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  • 「犬神家の一族」のロケ地、那須ホテル(望月宿、井出野屋旅館) - 青い滑走路

    プールで逆立ちをして水面に両足を出すポーズ、通称「犬神家」、もしくは「スケキヨ」に興味を持った子供と市川崑氏監督の映画「犬神家の一族」を見たのが事の発端でした。山梨県北杜市で友人が開いていた個展を見に行くついでに、犬神家の一族のロケ地を見に行ってみるかとなり、長野県佐久市にある井出野屋旅館さんにお邪魔しました。 その井出野屋旅館は望月宿、中山道六十九宿のうち軽井沢/追分から下諏訪に抜ける街道の途中にある、江戸側から25番目の宿にあたる宿場町にあります。この辺りは奈良時代に牧場が拓かれ、古くは馬の名産地として知られていました。毎年旧暦八月十五日頃に朝廷に献上した駒に「望月」の名が付いたのが地名の名前の由来だと伝わり、その望月の牧は宿場町から2km程北側にあります。また、寛保二年(1742)に鹿曲川が洪水をおこし、元は右岸にあった宿が現在地の左岸へと移動しています。上の赤マルが井出野屋旅館さん

    「犬神家の一族」のロケ地、那須ホテル(望月宿、井出野屋旅館) - 青い滑走路
  • 備瀬のフクギ並木にある「古民家かねや」に一棟貸し滞在 - 青い滑走路

    家族で沖縄旅行に以前出かけた時に、防風林として植えられた常緑高木フクギの並木で有名な部町の備瀬を散策したことがありました。緑の壁にも見える屋敷林、舗装されていない道と味わいがある昔ながらの景観を現在に伝える集落として有名な場所です。第二次世界大戦の戦火や、戦後の大開発で多くの"村"を失い、現在では離島である竹富島や渡名喜島など限られた場所だけとなった景観が残る場所です。 備瀬のフクギ並木を撮った、自分のデジタル写真で残っていた最も古いものは9年前に息子を写したモノ。娘はまだ産まれておらず、息子がまだオムツを穿いてヨタヨタと歩いていた頃に親子三人で訪れたのでした。今回は親子4人でフクギの里・備瀬にある古民家にお邪魔した話しとなります。 沖縄戦の大火でも焼けることのなかった備瀬のフクギ並木は、平成十四年(2002)に新規開業して現在でも絶大な人気を博している「美ら海水族館」からも歩いても行け

    備瀬のフクギ並木にある「古民家かねや」に一棟貸し滞在 - 青い滑走路