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2014年1月13日のブックマーク (9件)

  • tokujirouの日記

    「障碍」を持つ人々の総称である「障碍者」という言葉はいつごろ出現したのであろうか。 筆者はこれまで第二次世界大戦終戦後、傷痍軍人や傷病兵、その他障碍のある人たちを対象に、欧米式概念の一つである福祉施策を実施するに当たり、その必要から戦後生まれた表記ではないかと推測してきた。そして、1932年(昭和7年)にできた救護法の文中にある「精神的又は身体的障碍のある者」との記述を「障碍者」の原型と位置付けてきた。 ところが、最近になって、佐藤久夫先生(日社会事業大学名誉教授)より、戦前の学術論文の中に「障碍者」と「障害者」両方の記載例が見つかりましたとのご指摘を受けた。 佐藤先生がCINII学術論文データベースで「戦前」「障碍者」「障害者」のキーワードで全文検索された結果出てきたものである。 検出された6論文の内4件が「障碍者」で全て医学論文であるのに対し2件はいずれも東京帝国大学航空研究所の論文

    tokujirouの日記
    shoji-no
    shoji-no 2014/01/13
  • 第10回障がい者制度改革推進会議議事要録

    内閣府からの説明の概要 4月23日の文化審議会国語分科会漢字小委員会において改定常用漢字表の答申案の素案が「碍」を含めない形で了承された。今後は5月中旬の国語分科会の答申案決定を経て、6月上旬ごろの文化審議会において答申を決定する予定。 答申案(素案)の具体的な内容について、「碍」の取扱いは推進会議の検討結果に委ねられた格好だ。出現頻度や造語力、単語の構成力などの字種選定基準に照らすと「碍」は入らないというのが漢字小委員会の議論の前提だ。その上で何か特別な事情はないか検討されている。 二度の意見募集に寄せられた意見を大別すると3つに整理できる。一つ目は、戦前は「障碍」を使っていたので、来の表記に戻すべきであるとの意見。二つ目は、戦前は「障碍者」を使っていたという意見について、精査の結果、事実に反する部分があるのではないかとの意見。三つ目は「障害」は悪い意味だが「障碍」は悪くないという意見

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    shoji-no 2014/01/13
  • 「障害」「障碍」「障がい」【表記のちがいを考える】-教員採用試験対策/教師・教職の募集情報|教員ステーション

    はじめに みなさんは「しょうがい」と書くとき、「障害」「障碍」「障がい」のどの表記を使用していますか。更に、「障害(障碍・障がい)」は「ある」のでしょうか。「持つ」のでしょうか。 これまで、一般的に「障害」という表記が多く用いられてきましたが、近年これを改めるべきとする意見が頻繁に挙がっています。では、なぜ「障害」という表記が定着したのか、なぜ表記を変えるべきなのか、それぞれの表記がもつ意味のちがいについて考えます。 「障害」と「障碍」の歴史 「障害」という表記が使用されるようになったのは、遅くとも江戸時代末期とされています。一方で「障碍」は、もともと仏教用語であり、江戸時代までは「しょうげ」と読まれていたものの、平安時代末期以降「悪魔、怨霊などが邪魔すること。さわり。障害。」の意味で使われました。実は、「障碍」のほうが古くからあった表記なのです。(「障碍」が「しょうがい」と読まれるように

    「障害」「障碍」「障がい」【表記のちがいを考える】-教員採用試験対策/教師・教職の募集情報|教員ステーション
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    shoji-no 2014/01/13
  • 「障害」と「障碍」について(追記あり)  - もじのなまえ

    ちょっと心配していたのですが、夜が明けたら「やっぱりね」という感じ。前日のエントリですこしふれた「碍」の字についてです。 「鷹」「碍」など追加して…新常用漢字試案へ一般意見(朝日新聞) この記事の以下の部分。 「碍」の追加希望は20件。「障害」は戦前は「障碍」などと書いたが、「碍」が当用漢字にならなかった戦後、「障害」への書きかえが定着した。しかし近年、「害」は負のイメージが強いとして、行政文書などで「障がい」と表記する自治体が相次いでいる。今回、まぜ書きは不自然で読みづらいので、来の「碍」を使えるようにすべきだという意見がみられた。 上記のうち、「「障害」は戦前は「障碍」などと書いた」はウソです。戦前から「障害」「障碍」の両方の表記がありました。当用漢字表は制限表ですから、これにより「障害」への書き換えが進んだのはおそらく事実でしょうが、だからといって「障碍」が古く、「障害」が新しいと

    「障害」と「障碍」について(追記あり)  - もじのなまえ
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    shoji-no 2014/01/13
  • 「障害」書き換え説,あるいは戦前の雑さ - アスペ日記

    いつごろから広まったのか知りませんが、“「障害」は来「障碍」と書くのに、戦後になって「障害」と書くようになった”という俗説があります。 結論から書きます。 「障害」は戦前からある書き方です。 今はGoogle ブックスという便利なものがあるので、画像を貼っておきます。 法律年鑑 第十三巻(昭和十二年) 別表ニ掲グル身體障害二以上存スルトキハ重キ身體障害ノ該當スル等級ニ依リ障害扶助料ヲ支給スベシ 百聞は一見にしかず、ですよね。 この話はここでおしまいです。 …なのですが、どうしてこの手の俗説が絶えないのか、少し考えてみます。 この考え方の背景には、「社会は間違っている、自分は正しいことを知っている」という中二病的心理があるように思います。 典型的なのが、コラムニストの小田嶋隆さんに絡んでいる次のツイートのようなものです。 @tako_ashi 障がい者を障害者となぜ書くのかというと 来は

    「障害」書き換え説,あるいは戦前の雑さ - アスペ日記
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    shoji-no 2014/01/13
  • 階戸瑠李 - Wikipedia

    北海道[3]で3人兄妹の末っ子(姉と兄がいる)[4]として生まれ、その後石川県に移住。東京都立国立高等学校[5]、上智大学文学部ドイツ文学科卒業[2]。 特技は剣道で、初段の段位を持つ。小学生から中学生まで6年間やっており、愛知県の県大会で優勝したことがある[2]。高校生の3年間は『五月雨』(さみだれ)というバンドを組んでドラムを担当していたことで、ドラムも特技[2][6]。英語が好きなことで上智大学に進学。大学卒業後はOLをしていたが、元々川村ゆきえらグラビアアイドルが好きで憧れていたこともあって、芸能界に進んだ[2]。 2013年、ミスFLASHで池田裕子、永井里菜と共にグランプリを受賞[6][7][8]。グラビアアイドルユニットG☆Girlsとしても活動していたが、2016年2月26日を以って卒業。同時に女優業専念のためグラビアアイドルからも一旦卒業した。 2016年7月28日、所属

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    shoji-no 2014/01/13
  • 塩野義製薬のインフルエンザの啓蒙CM・サイトについて | EARLの医学ノート

    ■多数の医療関係者が批判している塩野義製薬のインフルエンザの啓蒙CMについて,既に青木眞先生をはじめ多数の医師がブログで問題点を指摘しているため,もうブログ記事にしなくてもいいか,とも思ったが,インフルエンザ診療に携わる医師としてここは声をあげておく必要があるかと思い記事をアップした. ■問題のCMはこちらから見ることができる. 「ちゃんと知ろうインフルエンザ治療のこと」http://www.shionogi.co.jp/influ/ このCMでは,子供をもつ主婦+尾木ママの女子トークで始まる.「インフルエンザって早期治療がいいんだって」のセリフで始まり,尾木ママが「点滴薬まであるんだって」と加わり,最後は「インフルエンザ 早期治療 で検索を」で終わる.さらに,このサイトでは,インフルエンザがどのような病気か,かかったらどうしたらいいか,どんな治療薬があるか,について解説している.おそらく

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    shoji-no 2014/01/13
  • 実家の宗教と許嫁の話 - mizchi's blog

    pplogに投稿したポエム、Twitter投げたら結構反響があったのでこちらにも転載する。 僕の実家はモルモンで、そんで僕はその宗教とコミュニティが死ぬほど嫌いで東京に逃げてきたわけなんだけど、昔僕とある女の子の親同士が僕とその子をくっつけようと画策していたのが露見したことがあった。許嫁というのは釣りでかなり誇大表現なんだけど、まあ言葉のあやとしては構わないだろう。別に統一教会のようにコミュニティ内の結婚が縛られていたわけじゃないが、外の人間と結婚した人間の立場が悪くなるのはあったように思う。 その許嫁、結構可愛くて、そして乳がでかかったのを覚えている。自分が所属させられていた教区とは別の教区で、そこまで接点があったわけじゃなかった。宗教のことは置いといて、自分には不釣り合いぐらいに良い子だったので、わかったところで俺じゃあダメだろみたいな感じに思っていた。その子には彼氏いたかはどうか知ら

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    shoji-no 2014/01/13
    許嫁の乳がでかかったので、彼は喉から手がでかかった
  • やさしくない公共(上) 街は悪意に満ちている 「最悪いす」の意味:連載 : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社

    そのベンチは「最悪いす」と呼ばれている。肘掛けが付き、一人分のスペースに仕切られ、傍らには荷物を置く台もある駅のベンチ。一見、座る人に配慮している。でも…。 「最悪」と名付けたのは貧乏旅行を好む旅人たちだった。ろくに宿にも泊まらず、夜汽車で移動し、時に無人駅で寝る。1990年代の初め、そんな旅行者を閉め出すかのように、ベンチに肘掛けが付き始めた。これでは横になれない。 「嫌な感じですよねえ」。各地を旅しながらミニコミ誌「野宿野郎」を編集している横浜出身の野宿愛好家・かとうちあきは言う。「でも、無理やり体をはめ込んで寝てる人もいますね。克服しているようで、ちょっとうれしい」。旅人は静かに闘っている。 ◇ 建築史家の五十嵐太郎・東北大大学院教授は、肘掛け付きベンチのような存在を「排除オブジェ」と捉え、背景にある「排除の思想」を読み解く。例えば、駅や公園にある奥行きの狭い腰掛けは、長時間

    やさしくない公共(上) 街は悪意に満ちている 「最悪いす」の意味:連載 : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社
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    shoji-no 2014/01/13