農産物よ、おまえもか―。野菜にも及び始めた値上げの波 価格高騰は勘弁、でも農家廃業も避けたいジレンマに消費者104人が出した答えは
伊福部昭、といえば北海道の音更村(当時)の村長伊福部利三氏の息子さんとして有名であり、音更町の図書館には特別にコーナーが設けられている事は、マニアの間では有名です。 独特の旋律の元になったのは、村長であるお父さんの元に陳情に訪れるアイヌが歌うアイヌ民謡、開拓者たちの故郷の民謡、であるのもマニアの間では有名な話です。 さて、先日札幌市議の金子快之とかいうくるくるパーが「アイヌはもういない」と発言した上、屁理屈を繰り返し間違えを認めようとしません。 あれからアイヌはいなくなったのでしょうか。 私は今北海道に住んでいます。アイヌがもういないとしたら私が目にしてるのは幻なんでしょうかね? 普通に買い物もしてれば仕事もしてますけど。 もし伝統的な暮らしをしてないからアイヌでないというなら、着物も着てなければちょんまげもゆってない日本人は日本人ではないですよね。 さらに、くるくるパーを支持しているバカ
丹菊逸治 @itangiku .@okudaos先生のご指摘は全くその通りです。私の「暴走」とまでおっしゃられるならば先生にも覚悟がおありのはず。今年度のアイヌアニメ「オルシペスウォプ3」の編集委員をやっていただけませんか。私としてはアイヌ文化財団に強く推薦するつもりがあります。#アイヌアニメ 2014-08-13 18:24:23 丹菊逸治 @itangiku .@okudaos 来年度の「オルシペスウォプ4」でもいいです。事業が行なわれるならば、ですが。先生はようするに「やらない方がマシだった」とおっしゃっているわけです。私も同意見ですし、それは何度も申し上げているつもりです。なのになぜ、こんな場で私を批判されるのか理解に苦しみます。 2014-08-13 18:27:00
従来、史家の多くは性の問題に関するかぎりことさらに触れようとしなかった。しかしながら、人間生活の土台は性と食との上に打立てられているのであるから、人類史研究の為には、先ずこの根本問題の解明が要請されるのである。 本文はこの意味に於て、健全なる郷土史の研究を志す人々の為の資料として執筆されたものである。 アイヌの物語りや日常会話の中には、性器や性交に関することどもがきわめて露骨にとり扱われているが、その表現は健康であり、いささかの卑猥さも感じられない。健康な民族の性生活は健全である。アイヌもまた、和人の侵略を蒙るまでは、健康な社会生活を営んでいたから、その性生活は健全であったのである。 アイヌ民族は、幼年時には男女ともに全身裸体となって性器を露出したままでいるのは普通のこととされていた。未熟な性器を見ていたずらに興奮するほどの精神病者も居らず、裸の少女を見たからといって淫心をおこすようなこと
この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(カタカナのロとルは小さく表記する場合がある)が含まれています(詳細)。 コロポックルの木彫り人形 水木しげるロードに設置されている「コロポックル」のブロンズ像。 松浦武四郎作「蕗下コロポックル図」(市立函館博物館所蔵) コロポックル(アイヌ語: コㇿポックㇽ korpokkur[1])は、アイヌの伝承に登場する小人である。アイヌ語で「蕗の下の人」という意味であると解される。 アイヌ語では [p] と [b] は同一の音素であり区別しないため、コロボックル(コㇿボックㇽ)とも言われる。 アイヌの小人伝説は広く北海道や南千島や樺太に流布しており、名称もこのコロポックル・コロボックルのほかに、トィチセウンクルやトィチセコッチャカムィやトンチ(これらはみな「竪穴に住む人」の意)などと呼ばれることもある。 またアイヌ人の民俗研究者で
トノトとは要するにどぶろくです。保存がきかないですし、酒造法違反なので販売はしてません。北海道各地のアイヌ民族の祭りに参加すれば飲ませてもらえるかもしれませんが、行けば誰でも飲ませてもらえるとも限らないので難しいところです。 事前に行事の主催者に連絡してトノトを味見させてもらえるかどうか聞いてみるのも一つです。また東京でも中野で毎年チャランケ祭という行事かあり、カムイノミをやってるので、トノトを作ってるはずです。ただしこちらでも飲ませてもらえるかどうかは分かりません。もし東京近辺の方でしたら八重洲のアイヌ文化交流センターに問い合わせたら何か分かるかもしれません。 また米と麹があれば自分で作れます。ただ米と麹の割合や温度の調整などが難しいかもしれません。どうしても飲みたいなら作り方を調べて作ってみるのも一つです。
トノトというアイヌ語を直訳すれば、tono(殿)to(乳)となる。トノは日本語からの移入語であり、文字通りの松前藩などの殿様を始め、蝦夷地における有力な和人などを意味した。トノトとはそれらの人物より下賜された、乳のように白濁した飲み物、といった意味であると推測される。 静内地方における醸造手順を以下に記す。 サケカㇻシントコ(醸造用の行器)を清める。 鍋に水を張り、稗を煮たたて粥に炊く。硬さは、上に僅かに重湯が浮く程度にする。 炊けた粥を広げて、人肌程度に冷ます。 稗と同量のカムタチ(麹)をほぐす。 サケカㇻシントコの中で粥と麹を合わせて練る。 炉から熾き火を2かけら取り出し、アペフチ(火の女神)への祈りの言葉を述べつつサケカㇻシントコの中に入れる。これは、醸造の成功のため神の加護を願う儀礼である。 サケカラシントコにござを巻きつけ、上部を縛る。 1週間から10日放置し、その後は時折攪拌す
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
ウエペケㇾ (uepeker) とは、アイヌに伝承される口承文芸である。日本語では「民話」や「昔話」などと訳されることがしばしばある。伝えられる物語の分野は多岐にわたり、先祖の実体験に基づいた物語もあれば、内地の民話によく似た形式のものもある。 ウエペケㇾの名称は現在の日高町や平取町に当たる沙流郡で一般的であるが、地域によっては「トゥイタㇰ」や「ウパㇱクマ」という名称で呼ばれることもある。話の内容は空想の物語ではなく「先祖の実体験」を語るものが多く、語る際は節や抑揚をつけず日常会話のアイヌ語を用いる。 叙事詩で伝えられ、節をつけて語るユーカラとは異なり、散文の形式で伝えられるのが特徴。また、カムイユーカラと同じく、人間が語る形式で描かれており、神が語る形式をとっている物語はほとんど無い。これらウエペケㇾの物語には飢饉や疫病、神にまつわる話や喧嘩の話まで、様々な体験を子孫に語り継ぐことを目的
アイヌ語は、アイヌの人たちが話してきた独自の言語です。今でも、私たちが普段アイヌ語を身近に触れているものとして、「地名」があります。アイヌ語が由来とされる地名は、北海道をはじめ、サハリンや千島列島、それに東北地方にも数多く残されています。アイヌ語は地名の他にも、「エトピリカ」「ラッコ」「トナカイ」など、アイヌ語として意識されずに使われている言葉が多くあります。 現在では、アイヌ語の話者は減少するとともに、アイヌ語を日常会話の言語として使われることが、ほとんどなくなってきました。それでも祖先から伝えられてきた言葉を残していこうと、さまざまな活動が地域において行われています。 この「アイヌ語ラジオ講座」では、初心者向けのやさしいアイヌ語の講座を、ラジオで放送しております。多くの方々がアイヌ語にふれるきっかけとして、また、初級のアイヌ語を学習する機会として、さまざまな講師をお招きして、平成10年
北海道の先住民族であるアイヌは、彼らの言葉(アイヌ語)でそれぞれの土地を呼んでいた。アイヌの地名は、「河口がよどんだところ」「浜の真ん中」「赤い崖」など、その土地の環境や形状を素直に表現したものが多い。しかしアイヌは文字を持たないため文字によって表記されることはなかった。 日本の江戸時代以降、北海道に和人(日本人)が入るようになり、和人地を形成し、支配地やアイヌとの接点を拡大してゆくと、アイヌの土地名をカタカナ等で表現するようになり(ナヨロなど)、和人勢力の拡大とともに地名として定着するようになった。明治以降、明治政府による北海道開拓が始まり、内地(おおむね本州・四国・九州をさす)から屯田兵や開拓民が入るようになると、それぞれの開拓地に地名をつけるようになる。もともとアイヌの地名がある場所には、これに漢字をあてて地名とすることが多かった。例としては札幌(乾いた大きな川を意味するサッ・ポロ・
アイヌ民族の漁船、森町に譲渡 復元された「モチップ」 青森の博物館閉館、外ケ浜町長が仲介 (06/10 16:00) 森町に譲渡されることになった青森市の北方漁船博物館のモチップ 【森】青森市のみちのく北方漁船博物館(3月閉館)に収蔵されていたアイヌ民族の小型海洋船「モチップ」が、森町に無償で譲渡されることになった。森町が来年の友好町提携を目指す青森県外ケ浜町の森内勇町長が仲介役を務めた。森町の梶谷恵造町長は「外ケ浜町との友好の証しとして大切に展示したい」と話している。 モチップは、北前船の複製や北日本の伝統的な木造漁船などを展示する同博物館が1998年、国と釧路地方のアイヌ民族の協力を受けて復元された。くりぬいた一本木の丸太の両側に縄で板をとじ合わせており「縄とじ船」とも呼ばれ、近海漁などに使われていたとされる。長さ8メートル、幅1・5メートルで、ガマで編んだ高さ5メートルの帆が付いてい
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