顕正会の邪義として『国立戒壇論』と並んで挙げられるのが『天母山戒壇論』があり、この二つの邪義が顕正会の根幹となっている。【広宣流布の時の事の戒壇は大石寺ではなく天母山に建立する】というのが顕正会の『天母山戒壇論』の邪義だ。当然、そのような文証は日興上人以下御歴代のお言葉には皆無である。この『天母山戒壇論』の初出は、左京日教師の『類聚翰集私』の「天母原に六万坊を立て、法華本門の戒壇を立つべきなり」の文で、その約80年後に要法寺・広蔵院日辰が『御書抄・報恩抄下』の中で、「富士山の西南に山あり。名をば天生山と号す。此の上において本門事の本堂・御影堂を建立し云々」と述べているのが天母山戒壇論が生まれた経緯だ。要するに、『天母山戒壇論』は要法寺系が生み出した邪義の類で全く正宗の教義ではない。さて、顕正会が『天母山戒壇論』の唯一の文証としているのが、日興上人が書かれたとされる大石寺の大坊棟札の裏書の「
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