今日は、先日の御登山の折に参詣した『下之坊』の紹介です。富士山下之坊は大石寺同様に【大日蓮華山】の山号を持ち古来より日蓮正宗末寺の筆頭の格式をもつ寺院です。日興上人は身延を離山し一度河合の由比家に向かった後に南条家の館に入られますが、その時の南条家館跡がこの下之坊になります。正応二年・日興上人の創建です。その後大石寺が落成され大石寺が『上の御坊』と通称れたために本寺院も『下之坊(下の御坊)』と称するようになりました。『下之坊』の歴史は当坊第4代日行上人以降、 第19世日舜上人が中興されるまでの約300年間は御歴代住職の名前が分かっていません。昭和21年の火災によって古文書等の一切が焼失してしまい現状不明な点が多いのです。(ただし重要な文書は焼失前に書写されています)『下之坊』は南条家から発展し日行上人の時には15人前後の僧侶が居住していたことは判明しています。日行上人から日舜上人までの30
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