昨年2月に日興上人の略伝を書きましたが、日興上人の御生涯で一番の出来事といえばやはり身延山離山からの富士大石寺開創だと思います。そこで日興上人の別伝として数回に分けて日興上人の身延離山の略伝を書きたいと思います。それに先立って日興上人の御立場について最初に書いてみます。いうまでもななく日興上人は宗祖・日蓮大聖人より大聖人の仏法の全てを唯授一人血脈相承だれた御方です。それは、 ◆「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主この法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中く我が門弟等此の状を守るべきなり。」弘安五年(壬午)九月 日、日蓮 花押、血脈の次第 日蓮日興」(日蓮一期弘法付嘱書) ◆「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たる