やよいと結婚したい。春香とも。千早も良いね。だが待って欲しい。高木社長と結婚すれば、765プロもろともやよいも春香も千早も手に入れることが出来るのではないか。そんなわけで、高木社長の前で尻を振る男を見かけたのなら。それがそう、僕だ。ツールはすいぎんPの紙芝居クリエーター、素材は架空戦記ろだ、効果音はザ・マッチメイカァズ2ndから、エンコードはつんでれんこを使用しております。前作→sm8838224 次回→sm10626628 マイリスト→mylist/18912440
「タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本(岡本螢)」(参照)は1991年の作品で、何か雑誌に連載されたエッセイをまとめたものではなく、徳間書店からの書き下ろしのようだ。手元のものは7月31日付けの初版だが版を重ねたふうもくなく、現在では絶版に至っているのかもしれない。おそらく、1991年の映画「おもひでぽろぽろ」に合わせた企画として出版された本だろう。帯にも「7月20日、全国東宝洋画系公開映画『おもひでぼろぽろ』の原作者がつづる、永遠のコドモ時代」とあり、それを意図したものであることをうかがわせる。 内容もさらっと読むと、昨日のエントリ「[書評]おもひでぽろぽろ(岡本螢・刀根夕子): 極東ブログ」(参照)で触れた原作、ないしジブリ映画の、著者からの補足と受け取れないこともない。あるいは原作で書き忘れていた、もう少しの裏話といった風に読まれもするだろう。 だが本書は、筆者も出版社も想定
映画「おもひでぽろぽろ」(参照)を見たあと、原作はどうなんだろと、なんとく気になっていて、ようやく先日読んだ。私が読んだのは1996年版の集英社文庫コミック版(参照・参照)だが、後で知ったのだが、2005年に青林堂版(参照・参照)があった。支持されての復刻という意味合いがあるのだろう。 集英社版もまた復刻のようでもある。1991年徳間の「タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本」(参照)の巻末を見ると、徳間版の三巻本の「おもひでぽろぽろ」がある。書籍としてはこれが最初のようだ。映画「おもひでぽろぽろ」は1991年の作品で、原作は当然それ以前にあるのだが、徳間版から構想されたのか1987年初出の週刊明星連載によるものかはわからない。 不確かな私の記憶だが、映画化は宮崎駿が高畑勲に頼んだものらしい。だとすると着目したのは宮崎駿ということになる。集英社版にはその経緯を高畑勲が綴った「透明さと
http://www.nagaokaut.ac.jp/j/gakubu/bgmokuji.html 大学の先生が推薦図書をあげるというと、妙に「人文系」してしまって、本人達は「古典」みたいなのを並べたつもりでいるのだけれど、3位に『ゲーデル、エッシャー、バッハ』みたいなクズ本が混じったり、生物系ではブラック・リストに載せるべきスティーブン・グールドまで10位に入ったり、それどころか1位が『カラマーゾフの兄弟』だったりして「文学年齢」が10代で止まってる連中のそれはそれは多いことを表立たせて、なんともやり切れない気分になるが、今回紹介するものは、ちょっと違う。 話は少し迂回する。 まだ無線通信が知られない1873年、フェルディナント・ブラウンという科学者(電位計やオシログラフ、そしてブラウン管などを発明してる)が鉱石の単偏導性を発見した。 さまざまな天然・人工の金属硫化物や鉱物の結晶で、電流
やあ、2年ぶり!解説ストラトスフィア(sm1613775)で、「再生数=高さ(ft)」というコメントの発想から10万再生を超え成層圏を突破し宇宙へ続く続編というコンセプト。今回は聞きやすいシングルエディットになっております。・・・え?うたたPは10分ないとダメだって!?Σ(´A`)y━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━~アド・アストラ オリジナル→sm1805485ストラトスフィア 2010 -VocaLege Edit- →sm9278337Project Diva desu. →sm8665949イラスト 6㍉作詞 orange: mylist/3434767作編曲 t.Komine (うたたP): mylist/3321393WEB: http://tkomine.com■コミュニティ: co416420
■代替医療のトリック(サイモン・シン著, エツァート・エルンスト著, 青木薫訳)。原題はTrick or Treatment?。著者の一人のサイモン・シンは、サイエンスライターとしてトップクラスであり、暗号解読やフェルマーの最終定理といった著作がある。「代替医療のトリック」も含め、いずれも青木薫による翻訳である。私は、サイモン・シン+青木薫という組み合わせの本は自動的に買うことに決めている。もう一人の著者のエツァート・エルンストは、プロフィールによれば、「代替医療分野における世界初の大学教授」であるとのこと。「著者論文多数」ともあるが、Pubmedで調べてみるとその通りであった。たとえば、「"Ernst E"[Author] and homeopathy」では73件が引っ掛かった。これからは、良く知らない代替医療について調べたいときには「"Ernst E"[Author] and 」を付け
清和堂フォントは、本格的な写植品質の本文用として定評のある明朝体「清和堂明朝体L」と「清和堂明朝体L-KS」の販売価格を、発売3年目を記念して改定し、ユーザーの求めやすい価格による販売を開始した。 「清和堂明朝体L」は、均整のとれた読みやすい印刷用明朝体として、本文明朝体の標準的なフォルムを具現化することを追求。13Q前後の本文組みで最も読みやすくなるように設計された書体で、文庫をはじめ、カタログの説明文など、本格的な長文組版での使用に適している。 「清和堂明朝体L」書体見本より また、「清和堂明朝体L-KS」は、標準がなよりもさらに軟筆の筆脈と骨格を強調、読書文書向きのStrokeがなとして開発されている。 「清和堂明朝体L-KS」書体見本より このたび、両書体の発売3周年を記念してユーザーが購入しやすい価格へ改訂。価格は、清和堂明朝体L Std版、清和堂明朝体L-KS Std版ともに9
Ronald Reagan元大統領の死亡が伝えられた2004年6月6日の2日後に、San Francisco ChronicleにRonald Reaganが大統領在任中にAIDS対策を怠ったことを批難する記事が掲載された:As America remembers the life of Ronald Reagan, it must never forget his shameful abdication of leadership in the fight against AIDS. History may ultimately judge his presidency by the thousands who have and will die of AIDS. 米国がRonald Reaganの生涯を覚えているように、彼のAIDS対策についての指導力の恥ずべき放棄についても忘れてはい
千の非望は忘れ去られるべきだった。記憶は時間に蹂躙され苦汁を垂れ流している。時間などといつ付き合いはじめたか覚えてもいないが、沈みきってしまった、沈みきっていない水浸しの千の非望をもはやどこにも探すべきではない。 どこで初めて会ったか、どこが最後だったか、どちらもない線路だった。先々週は体調を崩し何度も駅を乗り過ごしたが、わかったのは線路が続いていることだった、どこまでも。始めもなく終りもないのにそれはどこかで始まりどこかで終わる。永遠の過去に始まり永遠の未来で終わることも一区切りにすぎないということだろうか。 しかし井上さんとの出会いがなければ今頃私はどうなっていただろう。もしかしたら脳軟化症患者として幸せな日々を送っているかもしれない。とにかく今も修行は続いているのだ。えっ、続いてるの!?続いているのだ。 太田氏の記述とは異なるが、私はものごとをまるで考えないタイプだった。ただ答えを待
わたくし番台こと漆は第七回東方人気投票において地霊殿一家の四名(火焔猫燐・霊烏路空・古明地さとり・古明地こいし)を支援いたします。といった感じで毎度どうも、今年厄年な自分はドンピシャ世代だったのでよく天てれ見てました。これ作っておいてあれですが個人的に一番好きな天てれアニメは「ジーンダイバー」だったりします。地霊の湯お品書きこと製作物リスト:【mylist/8461017】
著者:梅原 猛 他 販売:新潮社 価格:\2,625 媒体:単行本 通常24時間以内に発送 久しぶりに梅原のものを読む。ある意味、梅原さんって変わらない。この本は面白いといえば面白いが、それほどでもない。このレベルでも専門家?まさかね。 内藤湖南の日本文化は室町時代に文化思想的な自覚が生まれた…という説に梅原は… 私は前々からこの説に疑問を感じていた。もしこの説を採るならば、『古事記』や『万葉集』ばかりか『源氏物語』も『古今和歌集』も厳密には日本の古典ということができないことになるからである。この説へのこのような疑問もあって、私はいままで室町文化についてあまり深く考えようとしなかった。しかし今回、この『京都発見』の旅で室町文化を調べるにつれ、湖南の説も一理あると考えるようになった。 も、なんか、いきなりorzなんですが、っていうか、梅原もこの歳で言うのかぁという感慨。室町のところで日本の文
チャトウィンによる砂漠の足跡の写真(WINDING PATHS, p.23, asin:0224060503) ブルース・チャトウィン(Charles Bruce Chatwin, 1940–1989)は1986年の夏、骨髄が冒される奇病をわずらい、悪寒に震えながらも、「そこまでやり遂げれば、思い残すことはない」と死を覚悟して『ソングライン(Songlines)』(asin:4862760481)を完成させた。その後彼は一時的とはいえ奇蹟的に回復し、翌年1987年の6月に本が出るのを見届け、マスコミ、学術界、そして一般読者の反応を冷静に受け止めていた。その時期の「歌」あるいは「音楽」をめぐる運命的な出会いを綴った「ケヴィン・ヴォランズ」(1988年)の前半に、非常に印象的なカナダ先住海洋民の「日本へ行く歌」を含めたいわば「太平洋のソングライン」の話が登場する。後半は西洋音楽とアフリカ音楽の
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