無限に死に接近した瞬間を乗り越えてしまって、もはや私は以前の私にぴったりと重なることはない。ほんの二週間前の私自身との決定的な非相似性が照らし出すのは、死の中から、私の死と対立する私となって蘇生してしまったことだった。フィクションの中にしかないはずの生死の境界を医学が現実化しているとしたら、もちろんそれは医学がひとつのフィクションだからだろうけどそれだけじゃなく、それまで誰にも出会えない「私のリアルな死」といったものを医学が守り続けているからだった。いずれにせよ「死を遠ざける」というイデオローグたちに取り囲まれ、私は見事に洗脳されて帰ってきたのである。習慣病を回避するには習慣を変えよという見事な論理に跪拝して私は信仰を深めた。禁欲主義がもたらす快楽を信じた。生から易々と分離できるような習慣があり、悪しき習慣をすべて脱ぎ捨てたあとに、美しき魂と呼びうる何かが残されるのだと思いこんだ…… ただ