ある日、雑務を片づけるために神保町を歩いていました。土曜日の昼過ぎ、道はなかなかに混んでいます。ぼくは何しろ地味で目立たないという才能の持ち主ですので、どんなに混雑している通りでも、ひとにぶつかることなく、ひとの進路を妨げることなく、空気のように歩いていきます。すると向こうから、何かの圧力のようなものが近づいてくるのに気づきました。人びとがその圧力に押されるように左右に分かれていきます。見れば、夏場であるにもかかわらず、おそらく彼の一切であろう衣服を厚くまとったホームレスの男性が、何やら呟き時折喚きながら歩いているのです。道を往く恋人同士、休日出勤の会社員、あるいは近くの大学の学生たちは、みな目を背けるか露骨に嫌な顔をするかあるいは完全に無視をするか、いずれにせよみごとなまでになめらかに、彼を中心とした空白を作りつつ流れていきます。 良くある光景、といえばそれはその通り。けれども、彼の眼を