◆ベン・トーのオープニングを、アイマスキャラに置き換え。◆こういう全力で馬鹿やってるアニメに弱いです。◆マイリスト→mylist/8093145同日追記:比較版をつくって頂きました→sm16213995 早ぇーよw
野矢茂樹氏は近著『語りえぬものを語る』(講談社)において、自由を相貌の一つとして描くという提案をしている。それについて少し考えてみる。 「自由の相貌」とだけ言うとちょっと抽象的だが、ある状況をこうすべき相貌とも、ああすべき相貌とも理解できるという意味では、多相貌的に現れるということが自由の相貌だと理解することもできるだろう。ジムに言ってから御飯を食うことも、ご飯を食ってからジムに行くこともできるように思われる。このような状況は、複相的な相貌を持って現れているといってもいいだろう。ちょうどアヒル・ウサギがそうであるように。いずれもそれぞれにふさわしい文脈を補ってやれば、それぞれの物語のもとに現れるだろう。いずれの文脈も補うことが可能である、自由に想定できるということが、自由の直観の中にあることは確かであろう。 しかしひょっとして実際に実現している文脈は、一つに確定しているのではないか? その
イギリス料理は美味しいか? 私はイギリスに行ったこともないし、特にイギリス料理に馴染んだこともないが、米国料理と思って食べてた料理に含まれるイギリス料理的な部分から、また、小説やエッセイ、例えば村上春樹「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」(参照)などを読むに、不味いってことはないのでは、と思っていた。林望先生の「イギリスはおいしい」(参照)になると、逆にちと微妙なものが、あるが。 で、イギリス料理は美味しいのか? 美味しいのである。疑いがすっきりと晴れたのは本書「イギリス料理のおいしいテクニック」(参照)を試してみたからだった。一時期、この本のレシピの料理ばかり作っていた。美味しいということもだが、料理その物も興味深かった。筆者、長谷川恭子さんの文献学的な研究の姿勢にも感動した。中世からの文献に当たって実際に創作して検証しているのである。 残念なのは、今アマゾンを見ると絶版で中古に
高良結香さんの「ブロードウェイ 夢と戦いの日々」(参照)は2008年の出版。現在でも版を重ねたふうはないがどうだろうか。まだ絶版にはなっていないが版元がランダムハウスということもあって文庫化されるかはよくわからない。一つの時代の記録としても、また若い人に読み継がれるとよい、元気の出る書籍である。さらに米国のショービズの内側を日本人の目から描いたという点でも貴重な資料である。 話は、歌手でもあり俳優でもあり、なによりダンサーとしての高良結香さんの、幼児期からブロードウェイのミュージカル「コーラスライン」の舞台に立つあたりまでのサクセスストリーでもあるが、表題に「夢と戦いの日々」とあるように、絶えざる克己を必要とするプロセスも内面から描かれている。同時に彼女と同じように、ブロードウェイのミュージカルに立とうとする各国の若者群像も描いている。おそらくそこには、本書には描ききれなかった情熱の物語も
出ないものかと思ったら、満を持して登場。期待を裏切らない論説。 薬の副作用と因果関係がある可能性ないし疑いはあるが、完全には断定できないので法的な不法行為はない−−。そう言われたら訴訟など起こせなくなると薬害被害者は思うに違いない。イレッサ訴訟東京高裁の判決はそういう内容だった。 いきなり大上段からばっさりと。 しかし、のっけから論理がおかしい。高裁は「薬の副作用と因果関係がある可能性ないし疑いはあるが、完全には断定できないので法的な不法行為はない」と言っているのだろうか。まず、前半の「薬の副作用と因果関係がある可能性ないし疑いはあるが」は実はナンセンスな修辞で医薬品には副作用がある。むしろ副作用によって医薬品は管理される。なので「完全には断定できないので法的な不法行為はない」というのはそもそも論理がおかしい。正しくは、副作用の伝達が十分であったかということになる。ここでこれが大きく問題に
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