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ブックマーク / kaikai00.hatenablog.com (105)

  • 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会

    全国学力テストに初参加へ=2年連続見送りの犬山市教委−愛知 犬山市教育委員会が全国学力調査に参加することを決めた。そこで,いくつか。 時事通信のこの記事に寄せられているコメントなどを読みながら感じたのは,全国学力調査が魔法の杖のように見えているのではないかということ。その魔法の杖は,その妥当性を考えずに,それを使うことで様々なことができてしまうように見せてしまう。 犬山市が行ってきた「教育」がそれで評価できると言うけれど,その根拠はどこにあるのだろうか。全国学力調査で教師の力量が評価できるという俗説と同じ。 全国学力調査では,提灯と釣り鐘に例えたように,比べられないものでもランキング化してしまえば何か評価した結果を眺めているような気になる。そこからしか話が始まらないから,ランキングの順位,平均より上か下かという話が中心になる。 ランキング化してしまえば,競争をしているような気にもなる。百メ

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  • ここによく表れている日本の学力をめぐる論議のおかしさ - 今日行く審議会

    学力テスト1位「秋田に学べ」は大丈夫? 大学進学率は低迷 日における学力をめぐる議論のおかしさがこの記事にはよく表れている。以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071206/1196896313で次のようなことを書いた。 PISAの結果についてマスコミはそろって不安を煽り始めている。そういう状況の中で出てくる主張は,時間増,いわゆる「ゆとり教育」からの脱却といった的外れなものばかり。 考えておかなければならないことは,PISAの「リテラシー」という概念が当に日で育成されようとしているのか,育成されてきたのかということ。http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071130/1196370772で「日型」という言葉で表現したけれど,日において一般的に「学力」として想定されてきたもの,されているものはPISAの「リテラシー」

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  • 限界をふまえない議論 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会

    【主張】学力テスト 指導の改善へ積極公表を 全国学力調査をめぐる議論でよく目にするのは,限界をふまえないまま議論しているもの。ここでいう限界というのは,全国学力調査を含めたテストは,見ようとするものしか見えないのだということ。 全国学力調査のことを何度も「魔法の杖」に例えている。その理由は,限界をふまえないままsれもこれも評価できる,実態が把握できるという議論が多いからだ。 例えば,教師の能力を評価したいと考える。そうであるならば,必要な調査項目は何か。妥当な調査方法は何か。改善策を立てるにはどのような調査項目が必要か。そうしたことがまず第一に問題にされなければならない。けれど,全国学力調査に関する議論では,評価できるという前提でそうしたことを問題視しないまま,結果の公表だけが主張されている。 もし,結果が公表されなければそもそも何も分からないではないかといわれるなら,それは当だろうか。

    限界をふまえない議論 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会
  • こんなデタラメに付き合わされないこと - 今日行く審議会

    【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩 テスト結果を公表せよ まず, 文科省は、調査見直し・不要論にたじろいではならない。国の教育政策立案の基礎として学力を検証するに足る長期間の全国データはぜひとも必要なのである。教育は国家百年の計なのだ。43年ぶりに復活したこの調査は「費用対効果」などで論じる次元を超えた極めて重い意味を持つものである。連続悉皆調査を継続すべきである。 について。アメリカのNAEPは抽出調査だ。悉皆調査ではなく,抽出調査の方がメリットがあると考えられているからだ。アメリカのNAEPについては,http://benesse.jp/berd/center/open/berd/2006/03/pdf/03berd_05.pdfで池田央氏が詳述されているので読んでいただければと思います。 OECDのPISAについても同じことが言えるのだけど,国単位の調査の目的は「子ども個人の学力調査」

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  • 責任を取る気のない方々 - 今日行く審議会

    「適切な取り扱いを」=南部町の学テ結果開示で?銭谷文科次官 以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080710/1215630094で書いたことを繰り返すなら,「適切な取り扱い」とは何か。それをきちんと法制化し,文部科学省は責任を負うべき。その立場にあるものが,「実施要領」という「法的根拠」のないものを持ち出して,「私たちは止めましたから」というポーズを取って見せ,問題が起きたときに逃げ込める場所を作っている。 そのことを指摘せず,批判することなく,文部科学省の言い分を流すマスコミ。日教組というスケープゴートを持ち出して,意図する,しないに関わらず話をそらしてしまう方たち。 何度も繰り返し言いたいのは,全国学力調査の結果を生かすためには,誰がどのような情報を何のために必要とするのか。そのために必要な仕組みは何かをなぜ考えたり,議論したりしないの?ということ

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  • 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会@はてな

    http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070509/1178642759で引用した池田央氏の 私はよく、「意味のある調査」と「ナンセンスな調査」という風に分けて呼ぶのですが、「意味のある調査」とは、例えば、ある問題の正答率が高かった、または低かったかが分かるだけでなく、なぜそうなのかを推察できるような質問も同時に組み込まれた調査です。つまり、原因の推定可能なデータが集められるように工夫された質問が組まれている調査こそ、意味のある調査なのです。それに対して「ナンセンスな調査」というのは(今の日の多くの調査がそうではないかと思うのですが)、得られた結果の原因を、現場の先生の経験による勘や、評論家の意見や判断に基づいて後から憶測するしか方法がないような調査のことです。 と言う指摘。 よく,学校や教師,教育委員会などが全国学調査の結果で「評価」されること。結果の公表を

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  • 全国学力調査について少しだけ - 今日行く審議会

    【主張】学力テスト結果 公表し上位の地域に学べ まず, 市町村教委は学校や教員が評価されることを恐れず、積極的に学力を公表し、地域の子供たちの学力向上に役立てるべきである。 という主張には同意できない。その理由は,全国学力調査の調査結果のどこを見れば学校や教員を評価できるのか。それが妥当な評価であるのか。それを明らかにしないまま,評価を恐れるなというのは的外れなものだから。 また, データを有効に生かし、互いに切磋琢磨(せっさたくま)しなければ全国一斉学力テストを行う意味がない。 旧文部省は昭和41年に全国一斉テストを断念し、数年ごとの抽出調査に切り替えた。だが最近、ゆとり教育による学力低下が深刻化したこともあり、昨年から一斉テストが再開された。 という。しかし,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080918/1221676391やhttp://d.hate

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  • 犬山市教委は何を失ったのか(再掲) - 今日行く審議会

    先ほどのエントリーで引用した議事録を読んでいて、銭谷氏の次のような発言にひっかかった。 私ども、先ほど申し上げましたように、調査への参加は学校の設置者でございます市町村教育委員会の判断ではございますが、犬山市につきましては、今回の学力・学習状況調査でわかる、例えば、域内の児童生徒が必要な学力を身につけているのか、全国や県内の状況と比べてどうなのか、学習状況や生活習慣等を含めてどこに市としての課題があるのかといったようなことにつきまして、この調査を活用して把握、分析し、施策や指導の改善を図る機会を失うことになるものと考えております。 銭谷氏は、「犬山市につきましては、今回の学力・学習状況調査でわかる、例えば、域内の児童生徒が必要な学力を身につけているのか、全国や県内の状況と比べてどうなのか、学習状況や生活習慣等を含めてどこに市としての課題があるのかといったようなことにつきまして、この調査を活

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  • 議論すべきことが議論されない異常事態はいつまで続くのか 学力テスト狂想曲に踊る人たち - 今日行く審議会

    市町村・学校別結果は非開示 全国学力調査で鳥取県教委 鳥取県教委 学力テスト、一転非開示 来年度以降は今後検討 いつになれば,必要なことが議論されるようになるのだろうか。全国学力テストの結果の公表をめぐる問題で,鳥取県教育委員会は一定の結論を出した。しかし,その過程において議論されるべきことが議論されることはなかったように思う。 全国学力テストの結果の公表について,産経新聞の記事http://sankei.jp.msn.com/life/education/080811/edc0808112231006-n1.htmで 文科省では、実施要領で地域別、学校別の非公表を求めながら、要領を順守するよう各教委に確認していなかった。「来年度以降は文書か説明会で非開示であることの確認を取る必要がある」(文科省幹部)との方針を示唆した。 というようなことが指摘されているけれども,いくら順守を確認しても,

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  • いろんな図式の中からまずは抜け出すこと - 今日行く審議会

    学校選択制は、「ダメな学校」を構造的に作り出す ?「教育の質の選択」という神話 広田氏の主張については様々な意見が寄せられて議論が深まればいいなと思う。寄せられているコメントなどを読みながら考えたことをいくつか書いておきたい。まず必要なことは蛸壺化した議論(広田氏の議論は必ずしも蛸壺化しているとは思わないけれど,毎回こういう批判が出ることは残念なこと。)の元になっている様々な「図式」からまずは抜け出してみることが必要だろうと思う。 一つ目の図式は,「公教育」という言葉をめぐる図式。「公教育」ということばが「公立学校」や「公立学校の教育」とほぼイコールの意味で語られる図式からまず抜け出すことが必要だろうと思う。 以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060813/1155484412でラバリーの論文を紹介した。これは「公教育」を前提として論じられている。その

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  • デマと誤解で満たされた「ゆとり教育」からの脱却 - 今日行く審議会

    新学習指導要領が「ゆとり教育」からの脱却だとか転換だというマスコミの報道。それはデマと誤解に満ちている。 授業時数の増加にしても,教える内容の増加にしても,それが学力向上につながると期待され,そう「確信」している。けれども,それはいったい何処でどのようにして実証されたのか。その期待や確信の根拠は何か。 もし,これからそれは実証されるのだというなら,それは「ゆとり教育」と変わらない。「ゆとり教育」もそうやって始まり,検証もないまま脱却だ,転換だと言われているのだから。 「ゆとり教育」に関して,未だに円周率が「3」とかいうことが出てくる。マスコミも「3.14」の復活などという。デマが未だにデマとして認識されていない。 「ゆとり教育」がもたらした,もっとも貢献したことは「教育」についてデマであるかどうか,根拠の有る無しに関わらず,「ゆとり教育」とは逆のことといえばそれが無批判に歓迎されるという状

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  • 自画自賛な井戸端会議 - 今日行く審議会

    【解答乱麻】首相補佐官・山谷えり子 再生の動き止めるな 抽象的教育論を延々と繰り返す間に子供たちは大人になってしまう。実態調査と結果の分析により、スピーディーで的確な支援をしなければ、子供たちに申し訳ない。 いつどこで,「実態調査と結果の分析」による「スピーディーで的確な支援」が行われてきた,いるだろうか。教育再生会議がそういうことをしたということを見聞きしたことがないが。 全国全員に調査を行う必要はないといまだに主張する人もいるが、調査結果を基に改善計画を作り、補習や生活習慣の改善、部活や読書活動の取り組みを保護者とともにスタートさせた教育委員会や学校も多い。 全国学力テスト実施後に公表されたことや指摘されている問題は,以前から指摘されてきたことであり,それは悉皆調査でなくとも把握されていたこと。なぜ悉皆調査でなければいけないのか教育再生会議も文部科学省もきちんと答えてはいない。 教育

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  • テストの意味をきちんと議論してみたら - 今日行く審議会

    独自の学力検査結果の一部を開示 愛知・犬山市教委 愛知県犬山市教育委員会は21日までに、独自に市内4中学校で実施した05、06年度の標準学力テスト結果の開示を決めた。今年度以降も、市民が公開を求めれば、結果を明らかにする方針。「標準学力テストの目的をゆがめ、学校間の序列化を促すことにつながり、無意味な学校間の競争をあおる」などとして、同市教委はこれまで開示しておらず、同じような理由から国の全国学力調査(学力テスト)にも市内の公立校が唯一参加していない。 市内の男性(57)が4月、「公平な教育が行われているか」「各中学校間に極端な学力の差はあるか」を知るため、2カ年度の学年別、教科別の結果を公開するよう市教委に請求。しかし、翌月、市教委は非開示を決定した。 全国学力テストの場合も同じだけれども,そのテストによって何が分かるのかというのは,そのテストが実施されてからではなく,テストをどう設計す

    テストの意味をきちんと議論してみたら - 今日行く審議会
    t2-news
    t2-news 2007/11/26
    テストで騒いでいる大人がそもそも「ゆとり」なことについて。>そうした目的を持ってテストを実施することが必要であると考えるなら,テスト結果の公表だけでなく,テストの制度設計についても議論しなければいけな
  • 牽強付会 - 今日行く審議会

    【産経抄】10月26日 大村はま氏の「優劣のかなたに」という詩は,産経抄が取り上げられているような意味で解釈できるだろうか。 24日に文部科学省が発表した全国学力テストの結果をみると、都道府県の間でかなりの差が出た。どこの県が何番目とかまびすしい。そうかと思えば、序列化が進むから、やめてしまえなどと乱暴な意見もある。 産経抄は優劣にこだわっている。大村氏は 優劣を論じあい 気にしあう世界ではない と同詩の中で述べている。学力テストを優劣をつけるために,優劣を競うために利用しようといっているのは産経抄である。大村氏の詩の意図など微塵も理解していない。 また, 成績の優劣に一喜一憂する必要はない。低かった地域や学校は、原因を探り対策を急ぐだけのこと。そもそも43年間も全国調査を実施しないで、データなしで教育行政が行われてきたことの方が問題だった。学力向上のために、大村単元学習も大いに取り入れて

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  • 都合よく教科書が「中立・公正」などと言うな - 今日行く審議会

    沖縄戦集団自決記述に関する見解 教科書検定は「教育内容が正確かつ中立・公正で、地域、学校のいかんにかかわらず全国的に一定の水準」を保つものであることは、第一次家永教科書訴訟最高裁判決(平成5年3月16日)で明らかにされたとおりである。ここで重要なのは、何より教科書の記述が教育内容として「正確」であることである。 これまで何度も指摘してきたけど,このような見解は理想像としてはあるかもしれないが,現実にはあり得ない。これは歴史に限らずどの教科の教科書でも同じことだ。 教科書検定は学習指導要領や教科書検定基準など全て法令に基づいて行われている。 と彼ら自身が指摘しているように教科書は学習指導要領に基づいている。その学習指導要領自体政治的な妥協の産物であり,政治的に中立・公正ではないのだから教科書検定や教科書が中立・公正であるというのは間違っている。 また, 数を頼んだ政治運動によって、法令に基づ

    都合よく教科書が「中立・公正」などと言うな - 今日行く審議会
    t2-news
    t2-news 2007/10/16
    修正主義者たちのご都合主義
  • 教師を育てようとしない - 今日行く審議会

    夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩 今,教師を育てることが軽視されている。それがこうした問題の背景にある。 【主張】教員免許更新 指導力磨き学校不信拭え この社説に書いてあるような暴論が教師を育てる仕組みを破壊してきた。彼らが主張するのは,単なる管理の強化であり,育てることを重視するものではない。駄目なものは排除し,その代わりになる教師は教師塾等で即席で乱造していけばいいと考えている。 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070915/1189810963で書いたが,やるべきこと,優先すべきこと,投資すべきもの,時間をかけるべきものを軽視し,結果だけを取り出して批判する。教師をそうやって追い詰めていく。 教師を育てるというごく当たり前のことができていない。そうした状況を変えなければ同じようなことを繰り返す。

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  • 反「学力」反「規範」でいい - 今日行く審議会

    学習指導要領 「学力」「規範」の重視が基だ(9月28日付・読売社説) そこまで子どもの学びを“制限”していたのか、とあきれる保護者も多いのではないか。 何を今更と思う。この国では,学習指導要領から「試案」という言葉が消えてから現在に至るまでこどもの「学び」は「制限」されてきた。学習指導要領に制限され,学習指導要領に基づいて作成される教科書に制限され,それらに基づく授業に制限され,入試に制限され,評価によって制限されてきた。そうした「学び」の「制限」をいかに緩めるか,いかに拡大するかそういうことに現場の教員が腐心してきたことなど思いも付かないのだろう。 今回の学習指導要領の改訂は,単に「学ばなければならない」という制限の枠組みを取り替えているだけで,学習指導要領の枠は外さない。それは「学び」を制限したことにならないのだろうか。 また,近年の動きを見ていると○○という「教科」が存在し,そこで

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  • あるある - 今日行く審議会

    【解答乱麻】明星大教授・高橋史朗 欠落した「家庭の大切さ」 この中で高橋氏は, 「脳科学に基づく親学」 というフレーズを使っている。これは高橋氏がよく使うフレーズだ。教育再生会議も同じフレーズを使っていた。 先日次のような論文を見つけた。 加藤忠史 「脳を鍛える」ブームの根底にあるもの 教育學研究 Vol.74, No.2(20070629) この論文の抄録 昨今、「脳を鍛える」がブームになっている。これは、音読・計算が脳を「活性化」させるとのデータに基づいている。しかし、「活性化」という言葉の実態は、単に血流増加を示し、ストレスや痛みでも脳は「活性化」するのであるから、「活性化」=プラス効果、という判断は問題がある。グルタミン酸による神経の「興奮」という生理学用語に価値判断を持ち込み、ご飯にグルタミン酸をふりかけることが流行ったという過去に学ぶべきであろう。計算中の脳血流増加には、計算そ

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    t2-news
    t2-news 2007/09/20
    脳科学はトンデモさんの宝庫だお
  • 親心と公共圏としての学校 - 今日行く審議会

    全国初の「イチャモン保護者」対応チーム、来月初旬に発足 [asin:4902163306:detail] 田原宏人「子育ての自由の平等と福利追求の自由の平等」のなかで田原氏は, 教育問題は,(少なくとも子をもつ親にとっては)まずもって我が子の教育問題である。このことは断定することができるほど自明ではないかもしれないが,そのように表象される傾向にあるというのはかなりの程度事実であろう。 と指摘している。 学校や教師に要求をしてくる親は「我が子の教育問題」として要求をしてくる。そして,学校はそういった要求から逃れることはできない。 学校は「親心」と表現されるような私的な欲求が交差し,時にはそれらが対立するような場所だ。だとしたら,学校はその私的欲求を議論などを通して調整しなければ成り立たない。 しかし,「かくあるべし」といった規範を上から被せることで親や子どもの私的欲求は自動的に調整され,行き

    親心と公共圏としての学校 - 今日行く審議会
  • モンスターペアレントって言うな - 今日行く審議会

    社説:モンスター親 先生を孤立させない体制を 「ニート」「ゆとり教育世代」に続いて今度は「モンスターペアレント」という言葉をマスコミが多用しだした。 http://blog.livedoor.jp/kaikai00/archives/50385495.htmlで,「ゆとり教育世代って言うな」というのを書いたことがある。「ニート」や「ゆとり教育世代」という言葉がマスコミで多用され,ネガティブなイメージだけが先行したように,「モンスターペアレント」という言葉も同じような役割を果たしている。 http://blog.goo.ne.jp/madographos/e/96a709487d635c943c13a9ee17b7f65dやhttp://shiozaki.info/mt/archives/2007/06/post_1002.htmlにあるように,「モンスターペアレント」という言葉とイメージは

    モンスターペアレントって言うな - 今日行く審議会