【読売新聞】 ミュージシャンのダモ鈴木(だもすずき)さんが9日、死去した。74歳だった。 神奈川県出身。1970年、ドイツのロックバンド「カン」に加入し、73年までボーカルを務めた。同バンドの代表アルバム「タゴ・マゴ」「フューチャー
安倍洋子さん死去、95歳 晋三氏母「政界のゴッドマザー」 2024年02月04日23時09分配信 2022年6月に安倍晋三元首相(中央)のX(旧ツイッター)に投稿された誕生日を祝われる母、安倍洋子さん(左端) 安倍晋三元首相の母、安倍洋子(あべ・ようこ)さんが4日、死去した。95歳だった。東京都出身。 安倍氏銃撃現場が車道に 周辺には花壇―奈良市 1928年6月、岸信介元首相の長女として生まれた。51年に毎日新聞記者だった安倍晋太郎氏(後の衆院議員、元外相)と結婚し、次男晋三氏を含む3人の子をもうけた。晋太郎氏の死去後は選挙区を継いだ晋三氏の政治活動を支えた。三男の信夫氏は岸家の養子となり、防衛相を務めた。 名門政治一家を長年支え「政界のゴッドマザー」と呼ばれた。佐藤栄作元首相は叔父。長男寛信氏は三菱商事パッケージング社長を務めた。 政治 おくやみ 最終更新:2024年02月05日17時5
1974~75年の連続企業爆破事件のうち一つに関与した疑いがあるとして指名手配されている過激派「東アジア反日武装戦線『さそり』」メンバー、桐島聡容疑者(70)とみられる男性が29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡した。捜査関係者への取材で判明した。男性は末期がんを患っていた。警視庁公安部は、DNA型鑑定などで男性が桐島容疑者かどう…
ロックバンド「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」のボーカルとして活躍したミュージシャンのチバユウスケさんが先月26日、亡くなりました。55歳でした。 チバユウスケさんは神奈川県出身で、4人組のロックバンド、「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」として1991年から都内のライブハウスを中心に活動を始め、1996年、「世界の終わり」でデビューしました。 チバさんの独特のしゃがれ声とバンドの重厚なサウンドが人気を集め、シングルやアルバムがたびたびチャートインしたほか、海外でも公演を行うなど活躍を続けました。 バンドは2003年に解散しましたが、チバさんは2005年に新しいバンド「The Birthday」を結成して音楽活動を続け、去年公開された映画「THE FIRST SLAM DUNK」ではオープニングの主題歌として「LOVE ROCKETS」が使われ話題
KANさんは福岡県出身で、都内の大学を卒業後、1987年にアルバム「テレビの中に」でデビューしました。 自身が作詞作曲を手がけ、1990年にアルバムの収録曲として発表した「愛は勝つ」は躍動感あるメロディーと、どんな困難に直面しても信じることを呼びかけ、最後に愛は勝つと励ます歌詞が大きな共感を呼び大ヒットとなりました。 音楽ソフトの売れ行きを調査しているオリコンによりますと、「愛は勝つ」の売り上げはこれまでにCDやレコードなどで201万枚余りとなっています。(オリコン調べ 2023年11月20日現在) また、「愛は勝つ」は東日本大震災で被災した人たちを応援しようと開かれたイベントで合唱されるなど災害からの復興を願う応援ソングとしても親しまれています。 KANさんは公式ホームページで、ことし2月に「メッケル憩室がん」と診断されたことを公表し、演奏活動を休止して療養生活を送っていると発表していま
体調不良のため先月、衆議院議長を辞任した自民党の細田博之氏が10日午前、東京都内で亡くなりました。79歳でした。 細田氏は衆議院島根1区選出の当選11回。旧通産省で勤務したあと平成2年の衆議院選挙で初当選し、これまでに官房長官や自民党の幹事長、総務会長などを歴任しました。 また、自民党安倍派の前身の細田派で会長も務めました。 そしておととし11月、前回の衆議院選挙を受けた特別国会で衆議院議長に就任しました。 細田氏は先月13日に記者会見を開き、ことし7月に脳梗塞の症状が出て別の病気も含め治療を受けていることを説明した上で「国会運営が停滞することは避けなければならない」と述べ、議長を辞任する意向を明らかにしました。 そして先月19日、海江田副議長に辞任願を提出し20日に辞任しました。 一方で、衆議院議員は続けるとして次の衆議院選挙の立候補に意欲を見せていました。 細田氏は旧統一教会との関係を
かつて表参道の同潤会アパートにあった丸玉商店 同潤会青山アパートメント。現在表参道ヒルズがある場所には、大正15年に竣工された歴史的な集合住宅が表参道のシンボルだった。80年代の半ばからは、この建物にハイセンスなブティックやギャラリーが数多く入居。ラバーソールをはじめとするロンドンから直輸入されたシューズを扱う “丸玉商店” もそのひとつ。 当時、いわゆるラバーソールは入手困難品。クラッシュのメンバーがこの靴を履いている姿を雑誌で見て原宿の老舗店に行くがサイズがない。何とかならないものかと男性のラバーソールを履いたが、ぶかぶかに加えて重過ぎる。これに3万円近くは出せないのが本音。売っている店は限られていたし、値段も当時としては高価だった。 そもそもレディースのサイズがないから仕方ない。でも、クラッシュと行動を共にしていた女性シンガー、パール・ハーバーのように履いてみたい。知り合いのデザイナ
natalie.mu 小学校高学年の頃、偶然『スペースコブラ』のアニメを視たことがきっかけで『コブラ』のジャンプコミックスの1巻を買い、「なんてカッコイイ、そして面白い漫画なんだ!」と感動したのを覚えています。 登場する女性キャラクターがみんな、なんでこんな格好なんだ、親に見られたら恥ずかしいじゃないか!というくらいのセクシーなボンテージファッションで、押し入れの中に隠れて読んでいたんですよね。 左手にサイコガンを持つ男、宇宙海賊コブラ!学校で左手に筒状のものを持って、「サイコガンごっこ」とかやっていたなあ。 マンガ『コブラ』の第1話は、海賊ギルドとの長年の闘いに疲れたコブラが、顔を変え、記憶を消して平凡なサラリーマンとして生活していたにもかかわらず、「バーチャルリアリティを駆使した夢(トリップムービー)」を観に行ったのをきっかけに、記憶が蘇る、というエピソードでした。 後日知ったのですが
SF漫画「コブラ」などで知られる漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが心筋梗塞のため、8日に亡くなったことが分かった。11日、寺沢さんの作品の公式X(旧ツイッター)で公表された。68歳。北海道出身。 公式Xでは、「株式会社寺沢プロダクション」代表の古瀬学氏が「寺沢武一ファンのみなさまへ(訃報)」として訃報を公表。「漫画家・寺沢武一は2023年9月8日に永眠しました」と伝え、「3度の脳腫瘍の手術を経ても、コブラその人のような生命力で生き抜いてきた寺沢武一でしたが、今回は本人も不意打ちを食らってしまったのでしょう。心筋梗塞でした」と記した。 そして「ここに生前のご厚誼に深く感謝し、謹んでお知らせいたします。なお、葬儀は家族のみで行います」とし、「寺沢武一の冥福をお祈りください」と結んだ。 寺沢さんは76年に上京し手塚治虫氏に師事。77年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)にデビュー作「コブラ」
現代日本を代表する小説家で、日本人として2人目のノーベル文学賞を受賞した、大江健三郎さんが、今月3日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。 大江さんは、1935年、現在の愛媛県内子町で生まれ、東京大学在学中に発表した作品「奇妙な仕事」で注目を集めたあと、1958年には「飼育」で芥川賞を受賞しました。 そのあとも数々の文学賞を受賞し、新しい世代の作家として、戦後の日本文学界をリードしました。 そして1994年、川端康成に続いて、日本人としては2人目となるノーベル文学賞を受賞しました。 核兵器や平和の問題に対しても、文学者の立場から向き合い、広島で取材した被爆者や医師の姿を描いた「ヒロシマ・ノート」は、ベストセラーになりました。 また、憲法改正に反対する「九条の会」や、脱原発を訴えるデモの呼びかけ人として名を連ねるなど、社会問題に対しても積極的に取り組み、発言を続けてきました。 講談社によ
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など宇宙や冒険をテーマにした壮大なSF作品で知られる漫画家の松本零士さんが、今月13日、急性心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。85歳でした。 1971年に雑誌に連載した「男おいどん」が人気を博すと、1974年にテレビアニメとして放送された「宇宙戦艦ヤマト」の制作に関わり、映画化もされるなど若者を中心に爆発的な人気を集めました。 また、少年が列車に乗って宇宙を旅する「銀河鉄道999」や「宇宙海賊キャプテンハーロック」などはテレビアニメとしても放送され、松本アニメのブームを巻き起こしました。 宇宙を舞台にしたロマンあふれる冒険活劇を独特の幻想的な絵柄で描く一方で、豊富な科学知識と取材にもとづいた宇宙船などの緻密な描写でも知られ、コックピットに整然と並ぶ計器類は「零士メーター」と呼ばれるなどその後のSF作品に大きな影響を与えました。 また、陸軍のパ
ベルリン市内の、わりと街中の古いアパートメントの一室だったマニュエル・ゲッチングの家を訪れたのは、1995年7月のことだった。「外が騒がしくて申し訳ないね。ちょうどこの週末はラヴパレードをやっているから。ふだんのベルリンはもっと静かなんだけどね」と彼は苦笑しながら、日本から取材にやって来た数名を部屋に迎えい入れてくれた。「いや、ぼくらはそのラヴパレードのためにベルリンに来たんです」と正直に即答できなかったのは、それをあまり良きモノとは捉えていないのであろうゲッチングの表情を見てしまったからである。言うまでもなく当時彼の作品を強烈に欲していたのは、ラヴパレードの根幹にあるハウス/テクノの聴衆だったのだけれど。 すでにこの頃、ハウス/テクノの文脈で再評価された70年代以降のドイツのロックはいろいろあった。『フューチャー・デイズ』や『ゼロ・セット』、クラスターやハルモニア、初期のポポル・ヴーやタ
1964年、広島県生まれ。青山学院大学卒。少女小説家"津原やすみ"としての活動を経て、97年に現名義『妖都』を発表。幻想小説家として本格的に活動を始める。2006年に刊行された『ブラバン』はベストセラーに。また09年『バレエ・メカニック』、11年『11 eleven』(第2回Twitter文学賞国内部門1位)は、各種ランキングを席巻した。14年に短篇「五色の舟」(『11eleven』収録)が「SFマガジン」の"オールタイム・ベストSF" 国内短篇部門1位に選出。同作は近藤ようこ氏により漫画化され、同年、第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞する。〈ルピナス探偵団〉〈幽明志怪〉シリーズほか、『少年トレチア』『綺譚集』『ブラバン』『ヒッキーヒッキーシェイク』『歌うエスカルゴ』など著作多数。
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