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津波に関するtomnyankoのブックマーク (41)

  • 青森からカナダ、津波漂流漁船の元所有者「引き取らない」:社会:スポーツ報知

    青森からカナダ、津波漂流漁船の元所有者「引き取らない」 カナダ沖で東日大震災の津波に流されたとみられる漁船が漂流しているのが見つかった件について、船を所有していた北海道函館市の漁業の男性が25日、取材に応じ「船の所有権はなく、引き取る気はない」と語った。船の処理にあたる正式な担当省庁はなく、前例のない事態に、海上保安庁も困惑。漁船はこのまま“幽霊船”のようにさまよい続ける可能性も出てきている。 船を所有していた男性は「津波で流されて沈んだと思っていた。船の所有権はなく、引き取る気はない」と話した。船は約30年前に製造された全長約30メートルのイカ釣り漁船「漁運丸」(約150トン)。老朽化のため、青森県・八戸港に係留させたまま使用せず、売却先を探していた。津波で行方が分からなくなり、昨春、船籍登録を抹消したという。 男性の元には、日の海上保安庁から確認の電話があった。カナダ当局から連絡を

  • asahi.com(朝日新聞社):奇跡の一本松「蘇生は絶望的」 記念碑として保存へ - 社会

    印刷 保護断念が決まった「奇跡の一松」=13日、岩手県陸前高田市、山西厚撮影  震災の大津波に耐え、復興のシンボルとなっていた岩手県陸前高田市の「奇跡の一松」について、日緑化センター(東京都)は13日、「蘇生は絶望的」として、これまで取り組んできた保護を正式に断念したことを明らかにした。市は一松の幹を「記念碑」として保存する方針で、近く具体策の検討に入る。  国の名勝・高田松原は7万の松が茂り、日百景に数えられた。3月の津波の直撃を受け、ほとんどが根元から折れ、1だけが残っていた。センターによると、一松は樹齢約270年で、塩分を含んだ地下水で根が腐るなどして衰弱が進んでいた。  報告書を受けとった戸羽太市長は「あれだけの津波に耐えただけでも奇跡。この9カ月、みんなの支えになってくれた」と述べた。今後は専門家と相談し、樹脂で固めたり、別の場所に移転したりして保存する方法を検討

  • 東日本大震災:おかえり、小晴 重機に乗り長女を捜し続けた母--宮城・石巻の大川小 - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災の津波で多くの児童が流された宮城県石巻市立大川小学校から数キロ離れた海で、遺体の一部が見つかりDNA鑑定の結果、中学校教諭の平塚真一郎さん(45)となおみさん(37)の長女で6年生だった小晴さん(当時12歳)と22日確認された。「せめて一部だけでもと思っていたら、当にそうでした。それでも帰ってきてくれてうれしい」。捜索のため6月に重機の資格を取った、なおみさん。愛娘が帰ってきた今も重機を操り、なお不明の児童4人の捜索に加わる。最後の一人が見つかるまで--。 遺体が見つかったのは名振(なぶり)湾の漁港付近。地元漁師が見つけ8月9日、夫婦2人で確認に出向いた。津波に流され、たどりついたのか。「へそを見れば分かる」と思っていたが、損傷は激しい。ただ、重ね着していた下着は見覚えがあった。震災当日はまだ寒かったからだ。「小晴が、私たちが分かる形で帰ってきてくれた」と夫婦は確信した。遺

  • 津波被災の田で稲刈り…水入れ替えの努力実る : 巨大地震 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災で津波をかぶった岩手県大船渡市赤崎町、農業古内嘉博さん(55)の田んぼで14日、塩害を乗り越え、待望の稲刈りが行われた。 古内さんは今年、塩害を心配して約35アールのうち約5アールの水田で作付けを試みた。田植え前、田んぼの塩分を抜くために何度も水を入れ替えたところ、もち米「ヒメノモチ」の稲は順調に育ち、黄金色の穂がこうべを垂れた。 古内さんは、「塩水をかぶっても稲作が出来ることが分かった。再来年までには他の水田も整備して、震災前の状態に戻したい」と笑顔で話した。

  • asahi.com(朝日新聞社):福島第二原発、津波被災直後の写真公開 浸水激しく - 社会

    印刷 関連トピックス原子力発電所東京電力津波による福島第二原発の浸水。3号機の換気空調系の冷却水ポンプ付近が1メートル浸水した=3月19日、東京電力提供津波で浸水した福島第二原発3号機タービン建屋地下2階=3月19日、東京電力提供福島第二原発3号機海水熱交換機建屋周辺の津波被害=4月2日、東京電力提供津波で流失した福島第二原発のモニタリングポスト=4月24日、東京電力提供福島第二原発、免震重要棟北側の津波被害=3月11日、東京電力提供  東京電力は6日、福島第二原子力発電所が東日大震災と津波で被災した様子を写した写真を公開した。福島第一原発と違い、メルトダウンは起きなかったが、原子炉建屋周辺は津波で相当浸水していた。  福島第一原発ではタービン建屋内の非常用ディーゼル発電機などが冠水し、使用不能になった。だが、第二原発では、発電機が気密性が高い原子炉建屋内にあり、一部が冠水を逃れた。さら

  • 『これはすごい。神社が、大津波の浸水域に沿って見事に建てられ、警告していた事を示すドキュメンタリー : 座間宮ガレイの世界』へのコメント

    暮らし これはすごい。神社が、大津波の浸水域に沿って見事に建てられ、警告していた事を示すドキュメンタリー : 座間宮ガレイの世界

    『これはすごい。神社が、大津波の浸水域に沿って見事に建てられ、警告していた事を示すドキュメンタリー : 座間宮ガレイの世界』へのコメント
  • 福島第1原発:10メートル超津波 東電4日前に試算報告 - 毎日jp(毎日新聞)

    経済産業省原子力安全・保安院は24日、東京電力が福島第1原発事故直前の3月7日、「原発に10メートルを超える津波が押し寄せる可能性がある」との試算結果を保安院に報告していたことを明らかにした。推定十数メートルに達した事故時の津波について東電は従来「想定外だった」との説明を繰り返し、保安院もこの事実を伏せていた。 保安院によると、東電は政府の地震調査研究推進部と土木学会の見解、869年に起きた「貞観(じょうがん)地震」の断層モデルを基にした三つのケースを想定し、福島第1、第2原発に到達する津波の高さを試算していた。第1原発に到達する津波で最も高かったのが、推進部の見解を基にした試算で5、6号機が10.2メートル▽1~4号機が8.4~9.3メートルとなった。土木学会の見解を基にした試算は1~6号機で5.1~6.1メートル、貞観地震の場合は同8.7~9.2メートルと推定された。 東電がそれま

  • 海外驚嘆!日本の津波サバイバーが拾って届け出た現金が累計7800万ドル

    海外驚嘆!日の津波サバイバーが拾って届け出た現金が累計7800万ドル2011.08.22 17:00 satomi 「人類も捨てたもんじゃないな」という日発のニュース。 壊滅的打撃を与えた地震・津波から5ヶ月。先月10日までに被災地で瓦礫の山から警察に届け出られた現金が累計7800万ドル近くにのぼりました! 流された無数の財布やバッグ、金庫5700個から回収されたもので、中には100万ドル(7600万円)入った金庫もあったのだとか(最高額は石巻の金庫@9900万円)。あまりにも金庫が沢山持ち込まれるので置き場所に困る警察もあったといいます。 そもそも漁村になぜこれだけのたんす預金があるのか...不思議な気もしますが、英デイリー・メイルはこう書いてますよ。 自宅や会社に大量の現金を保管しておくのは日では珍しいことではない。特に沿岸部では水産業者が現金取引きを好むからだ。 金庫は警察がエ

  • 東日本大震災:巨大津波6000年で6回 地層に痕跡 - 毎日jp(毎日新聞)

    計6回の巨大津波の痕跡が残るとみられる地層について説明する平川一臣・北海道大学特任教授。石や砂はそれぞれの津波で海から運ばれ、堆積したという=宮城県気仙沼市で2011年8月20日、丸山博撮影 東日大震災で甚大な津波被害を受けた宮城県気仙沼市の海岸で、過去6000年に少なくとも6回の巨大津波の痕跡が残る露出地層を、北海道大の平川一臣・特任教授(自然地理学)らの研究チームが発見した。三陸沿岸を襲う巨大津波の周期性の解明につながる重要な成果と言えそうだ。 4月に、同市吉町大谷海岸の切り立った高さ約3メートルのがけで、腐した植物などが堆積(たいせき)した「泥炭層」の間に、津波で打ち上げられたとみられる海岸の石や砂で構成する六つの層を確認した。東日大震災の津波調査で訪れ、見つけたという。 平川特任教授によると、最下層の真上に約5400年前の十和田火山噴火時とみられる火山灰が含まれており、泥炭

  • 原発:若狭湾岸で過去の大津波調査…関電など方針 - 毎日jp(毎日新聞)

    福井県内で原発14基を運転する関西電力など3電力事業者は、原発が集中立地する若狭湾岸で過去に大津波がなかったかボーリング調査を実施する方針を決めた。これまで「若狭湾では津波による大きな被害の記録はない」と説明してきたが、東京電力福島第1原発事故を受け、過去の大津波の有無を再検討する。 調査するのは関電と、敦賀原発を運転する日原子力発電、高速増殖原型炉「もんじゅ」を運転する日原子力研究開発機構。 同県若狭、美浜両町にまたがる三方五湖の湖底や周辺をボーリング調査して堆積物を採取し、津波の痕跡を調べる。若狭湾岸の中央に位置する三方五湖は湖底に過去の地層が状態良く残っており、過去の津波の発生状況が分析できるという。 若狭湾岸では、1586年の天正大地震で大津波が起きたと示す記述が、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが記した「日史」などにある。関電などは文献の存在を把握していたが、天正大地震が

  • 3.11の大津波で南極に巨大氷山、欧州研究

    地球観測衛星エンビサット(Envisat)が撮影した2011年3月12日(左)と同3月16日のサルツバーガー(Sulzberger)棚氷付近の画像。右の画像で、棚氷が崩壊して氷山が出現したのがわかる(2011年8月9日公開)。(c)AFP/ESA 【8月10日 AFP】3月11日の東北地方太平洋沖地震で発生した大津波は、1万3000キロ離れた南極大陸の棚氷にも到達し、その一部を破壊して巨大な氷山を出現させた。欧州宇宙機関(European Space Agency、ESA)は9日、こうした論文を学術誌「Journal of Glaciology(氷河学)」電子版に発表した。 ESAの地球観測衛星エンビサット(Envisat)は3月12日、サルツバーガー(Sulzberger)棚氷の一部崩壊により出現した氷山を複数とらえた。同16日、これらの氷山は南極沿岸のロス海(Ross Sea)に流れ出

    3.11の大津波で南極に巨大氷山、欧州研究
  • 福島第1原発:東電2社員犠牲 母に「こっちは大丈夫」 - 毎日jp(毎日新聞)

    「最後まで仕事でよく頑張った、と誇りに思っている」。3月11日の東日大震災当日、東京電力福島第1原発の建屋地下で津波にのまれて亡くなった東電社員2人の親族は口をそろえた。2人は大津波警報が発令されているにもかかわらず、上司の指示を受けて地下へと点検に向かい、難に遭った。同原発で長く働いた下請け会社の男性幹部は「危険を冒してまで行かせる必要があったのか」と東電側の指示に疑問を投げかける。【浅野翔太郎、町田徳丈、杉修作】 東電社員で第1原発第1運転管理部の寺島祥希(よしき)さん(21)は地震発生から間もなく青森県むつ市の実家に電話をかけていた。「そっちは大丈夫?」。電話口に出た母親(44)を気遣い、「こっちは電源があるから大丈夫」と伝えた。そのころ同原発ではまだ非常用ディーゼル発電機が動いていた。短い電話の後、24時間交代勤務の当直長から指示され、タービン建屋地下へ点検に向かい、消息を絶っ

  • 福島第1原発:大津波警報中、点検で犠牲 東電2社員死亡 - 毎日jp(毎日新聞)

    東京電力福島第1原発で3月11日の地震発生後に行方不明になり、約3週間後に遺体で見つかった東電男性社員2人が、当直長の指示を受けて大津波警報発令後に4号機タービン建屋地下で水漏れを点検中、津波にのまれていたことが分かった。東電は6月公表の事故対応調査結果で「当直員の安否確認を行い、地震発生と津波について周知」したとしているが、実際には津波の周知が徹底していなかった疑いが強まった。 2人の死亡の詳しい経緯が明らかになったのは初めて。4号機は当時、定期検査中で、核燃料棒も取り出し済み。東電の安全管理体制と説明責任が問われそうだ。 亡くなったのは第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希(よしき)さん(21)。東電などによると、2人は地震発生時、4号機の電源操作や弁の開閉の検査員として中央制御室にいた。地震発生後、4号機タービン建屋の冷却水系のタンクで水位の低下を示す警報が鳴ったた

    tomnyanko
    tomnyanko 2011/08/02
    指示を出した当直長は助かったのか。。メンタル面は大丈夫かなぁ。
  • 避難勧告には従いましょう。

    親戚の経験談で申し訳ないんだけど、とても心を動かされたのでご紹介。 親戚は東北のとある場所の消防団員。そう、あの地震と津波に襲われたところ。 地震後、テレビでの津波警報を見て、これは尋常ではないと団員達を集め、どうするか相談していた所、地域を統括する消防署から「マジヤバイから非難しろ」との連絡がある。 各自担当エリアを決め、ハンドマイクで避難を呼びかける。しかし、誰も避難しない。倒れた器棚の片付けが大変だの、犬は連れて行った方がいいのか、エサはどうしようか、お父さんと連絡が取れないから、帰ってきてから逃げるとか、まだ仕事が終わらないだとか、はいはい、後でねとか言ってテレビ見てたり、洗濯干してからとか、まだ配達中だからとか、なんだか消防団に付き合うのも面倒くせえな感がありありで動いてくれない。署の方が当に非難した方がいいって言われてるんだよなど説明して、やっと腰を上げてもらったりしたけど

    避難勧告には従いましょう。
  • 気象庁 | 津波発生と伝播のしくみ

    津波の発生 海底下で大きな地震が発生すると、断層運動により海底が隆起もしくは沈降します。これに伴って海面が変動し、大きな波となって四方八方に伝播するものが津波です。 「津波の前には必ず潮が引く」という言い伝えがありますが、必ずしもそうではありません。 地震を発生させた地下の断層の傾きや方向によっては、また、津波が発生した場所と海岸との位置関係によっては、潮が引くことなく最初に大きな波が海岸に押し寄せる場合もあります。 津波は引き波で始まるとは限らないのです。 津波の伝わる速さ 津波は、海が深いほど速く伝わる性質があり、沖合いではジェット機に匹敵する速さで伝わります。 逆に、水深が浅くなるほど速度が遅くなるため、津波が陸地に近づくにつれ後から来る波が前の津波に追いつき、波高が高くなります。 水深が浅いところで遅くなるといっても、オリンピックの短距離走選手なみの速さで陸上に押し寄せるので

  • 不明の飼い猫生きてた!定点カメラに偶然パチリ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災の津波で流され、宮城県南三陸町で行方不明になっていたオス「にゃんすけ」が、飼い主の民宿経営、鈴木卓也さん(39)と、3か月ぶりに奇跡の再会を果たした。 鈴木さんがボランティアとして協力してきた環境省と日自然保護協会の里山調査プロジェクトで、哺乳類の調査用赤外線センサーカメラに偶然写ったのが再会のきっかけ。鈴木さんは「まさか生きていたとは」と喜んでいる。 震災の日、鈴木さんは町外にいて無事だったが、海岸から約250メートルの場所にあった鈴木さんの民宿「かくれ里」は基礎を残しすべて流された。鈴木さんはセンサーカメラも失い、5月にカメラを再設置したばかりで、今月6日にフィルムを回収したところ、が写っていた。鈴木さんは体の模様から「にゃんすけは生きている」と確信。民宿があった場所から約500メートル離れた仮設住宅近くで今月12日、鈴木さんの母が見つけた。

  • YouTube - ‪高画質調整版 釜石市役所に襲来した津波 Kamaishi 個人撮影 tunami vReveal‬‏

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  • 釜石市で撮影された衝撃的な津波動画がネットで話題に : 痛いニュース(ノ∀`)

    釜石市で撮影された衝撃的な津波動画がネットで話題に 1 :名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/15(水) 00:19:22.41 ID:Q//Q9sjX0 ?PLT 【東日大震災】釜石市役所に襲来した津波 Kamaishi 個人撮影 http://www.youtube.com/watch?v=qHhpdieZc5Q >釜石市只越町、桑畑書店から釜石市役所までの通りに襲来した津波。 5 :名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/06/15(水) 00:20:44.25 ID:kLNPanAG0 いままでで一番怖いかも(´・ω・`) 10 :名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/06/15(水) 00:21:32.85 ID:Gmmoibcn0 おいマジでこえーよ。 臨場感がすごすぎる。 12 :名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/06/15

    釜石市で撮影された衝撃的な津波動画がネットで話題に : 痛いニュース(ノ∀`)
  • 【九死に】津波のエピソード【一生】

    ■編集元:緊急自然災害板より「【九死に】津波のエピソード【一生】」 1 名無しさん@お腹いっぱい。(東京都) :2011/05/11(水) 22:03:45.24 ID:GH2UEMLQ0 名無しさん@お腹いっぱい。(東京都) :2011/05/12(木) 00:39:40.16 ID:ysC/ua6S0 名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ 石巻・女川の震災被害 被災地へ医療スタッフとして行ってきました。 短い間でしたが貴重な体験となりました。 4 名無しさん@お腹いっぱい。(北海道) :2011/05/12(木) 02:14:27.02 ID:pUIUqriQ0 南三陸 海 山 川! 5 名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府) :2011/05/12(木) 20:02:28.77 ID:vbuHs7ko0 【嘘の様なほんと話】床板1枚、夫婦で川を逆流7キロ 津波から

  • “避難まで30分校庭に待機” NHKニュース

    “避難まで30分校庭待機” 6月3日 21時0分 巨大な津波によって全校児童のおよそ7割が亡くなったり、行方不明になったりしている宮城県石巻市の大川小学校で、児童らは教員に先導されて高台に避難を始めるまで、およそ30分、校庭で待機していたことが明らかになりました。津波に飲まれながら奇跡的に助かった児童がそのときの様子を語りました。 石巻市の大川小学校は2階建ての校舎を超える高さの津波に襲われ、全校児童108人のうち、68人が死亡、6人が行方不明になっており、学校や教育委員会は当時の様子について、助かった児童や教員などから聞き取り調査を進めています。これまでの調査で、地震が起きたあと、校舎内からグラウンドに出た児童らは、学校から200メートルほど離れた高台に避難を始めるまで、およそ30分待機していたことが分かりました。津波に飲まれながらも奇跡的に助かった現在6年生の只野哲也くんは、父親ととも