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ブックマーク / michiaki.hatenablog.com (3)

  • 科学もムーも学研 - すべての夢のたび。

    ニセ科学批判のひとたちって… 子供のころって、あったじゃないですか。ピラミッドとかテレパシーとかテスラコイルとか。マヤ文明とか雪男とかポルターガイストとか。そういうのにときめく季節があると思うんですけど、いずれ来る/来たわけです。サンタクロースの後に。夢破れる時が。そして彼は深く深く傷つけられつつも、それらを捨て去ることになる。 やがて大人になって、反動で彼は科学の人になってます(職は稀ですが)。それから、そこへ来て彼は目にすることになるのです。水伝とかマクロビとかホメオパシーとか。ID論とか脳トレとかマイナスイオンとか。そして、爆発する。お前ら!よくもそんな程度で!!この俺に!!!軽々しくホンモノを名乗ってくれるんじゃねえ!!!!と。ふざけんな、と。もっとマシなネタ持って来やがれ、と。 かのひとたち、の、ニセ科学に対するある種執拗/過剰とも思える追求・攻撃や怒りの表出は、こういったとこ

    科学もムーも学研 - すべての夢のたび。
    tuisumi
    tuisumi 2009/10/02
    数学の美しさとか宇宙の構造の壮大さの素晴らしさに惹かれはじめたら、雪男とか正直どうでもいいやと思えるようになってきた
  • たとえどんなにエホバが間違っていようとも、私はエホバの側に立つ - すべての夢のたび。

    「エホバの証人」だと語呂が悪いので略したら、なんかとても不遜な感じになってしまいました。 痛いニュース(ノ∀`) : 息子への輸血を「宗教上の理由」で拒んだ両親に対し、即日審判で親権を停止 多くの場合、ぼくは「痛いニュース」と意見を共にするものですが、この事件に関してはエホバの証人側を支持します。というかまぁ、ほとんどの人はふつうに輸血支持でしょうね。エホバ支持は難しい仕事だけど、やらなくては。 では、なぜぼくはエホバの証人を支持するのか? その理由は「どんな宗教であっても、その教義が外部の者によって軽んじられることがあってはならない」と考えるからです。その教義がたとえどれほど馬鹿げたものに見えたとしても、です。教義というのはそのように重要なものだと思います。輸血をして子供の命を救った側は、当然「当たり前のことをした」「良いことをした」と考えているでしょうが、それは外部の人間の価値観です。

    たとえどんなにエホバが間違っていようとも、私はエホバの側に立つ - すべての夢のたび。
    tuisumi
    tuisumi 2009/03/17
    少子高齢化社会の日本で子供が一人死ぬことは私たちにとって害とは言えないだろうか?
  • 2009-01-24

    IDEA*IDEA : 【東京ブック】 断り上手は成功上手 断り上手を極めていくと、誘われる前にもう既に断っているという境地に達し、誰からも誘われなくなりました。 それは何故か? ニセ科学批判者のニセ科学に対するアプローチが間違っているからです。 おそらく多くのニセ科学批判者も、次のような行為をしていることと思う。 初詣に行く。 葬式に行く。 科学の実験に際し「うまくいきますように」と祈る。 ダイエット中なのにお菓子をべてしまう。 「あなたたちの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」とイエスは言いました。「あなただってもし知り合いが亡くなったら葬式に行くんじゃないですか? それって、科学的な行為なんですか?」とホメオパシー実践者に問われたら、ニセ科学批判者はどう申し開きをするのだろう? というわけで、「ホメオパシーは科学的ではない」みたいなやりかたは、説得力に欠ける。「あな

    2009-01-24
    tuisumi
    tuisumi 2009/01/25
    葬式に行く人達は葬式の効用を科学的に認めろとは言ってこない。ホメオパシー実践者は既存の科学による証明手順を拒否するにも関わらず、その効果が科学的だと主張するのが問題
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