ツイギーはたしかに日本語ラップの“レジェンド”である。先駆者であり、開拓者である。1971年生まれのツイギーはアイス・Tやラン・DMCに感化され、ラップを始めている。80年代後半に早くもDJ/ビートメイカーの刃頭とビートキックスを名古屋で結成、本格的に活動を開始する。その後、ムロらとのマイクロフォン・ペイジャーでの活動を経て、今度はウータン・クランに触発されて雷を立ち上げる。先日刊行された自伝『十六小節』には、生い立ちはもちろん、そのあたりの詳しい経緯や背景についても書かれている。非常に興味深い自伝だ。 だが、闇雲に“レジェンド”と祭り上げるだけではツイギーの半分も知ったことにはならないだろう。2016年現在だから強調したいことがひとつある。それは、ツイギーがこの国の“トラップ・ラッパー”のパイオニアであるということだ。USアトランタ発のトラップの源流となるサウス・ヒップホップ/ダーティ・
「耳穴ほじりよう見ろ/こちとら泣く子も踊らすRC」 — MC KHAZZ “silvio KHAZZ dante”(「WHO WANNA RAP 2」に収録) きっかけは、信頼すべき日本語ラップ・ヘッズの友人に名古屋に誘われて行ったことだった。約1年前の夏のことだ。そこで僕は名古屋を拠点とするHIP HOPクルー:SLUM RCのATOSONEとメンバーたちに出会った。いや、正確に言えば、既にメンバーの何人かには東京で会っていた。けれども、彼らの街で会うのは初めてだった。そして一発でSLUM RCの魅力にヤラれてしまった。彼らを見ていると、音楽は街に育てられ、街は音楽に育てられる。また、街と人間と音楽には強固な結びつきがある。そういう実感が湧いてくるようだった。こういう実感を味わえる機会は人生にそう何度もない。僕はできる限り彼らに取材を試みようと決めた。 しかし、SLUM RCの取材はそう
検索出来ても経験不足 知ったかぶってる偽物ばっかだ 漢 a.k.a. GAMI “oh my way” アウトサイダーではない。これはアウトローの物語である。 2003年、MSCの『MATADOR』を初めて聴いたときは、とんでもない人たちが出てきたと驚いたものだったけれど、本書『ヒップホップ・ドリーム』でぼくはようやくその背景の詳細を知ることができた。そうか、こういうことだったのか……MC漢の生き様そのものが音楽に直結している。直結していなければ、それは“リアル”じゃない。 漢の自叙伝『ヒップホップ・ドリーム』をぼくは先週末、布団のなかで読みはじめて、そのまま最後まで読み切ってしまった。本書の企画/構成者である二木信のバカヤローに「素晴らしかった」というメールも送った。この手の実話ものはたいていそれなりに面白いものだが、本書に関しては構成力も素晴らしかった。 1978年新潟で生まれ、東京は
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