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批評と追悼に関するtxmx5のブックマーク (5)

  • 阿木譲氏を偲ぶ私的な物語 - 満月に聴く音楽

    阿木譲氏の葬儀に参列している時、私は高校時代の親友、もう何年も会っていないTの事を思い出していた。不思議な因果だとも感じる。なぜ、ここにいるのが私で、お前でないのだ。私はそんな事を呟いていたと思う。確かにこの10年程、私は阿木氏と親しくさせて頂いてはいた。ただ、それは‘多くの人’と同様、一定の距離感を保っての事だっただろう。それに対し私に「Rock Magazine」誌を教え、後、同誌に編集スタッフとして入り、阿木氏と深く交わるようになったT。彼は阿木氏と正に共に活動し、その尊敬の念の強さからその思想に共鳴し、生き方も変え、しかし衝突し、離れていった。そこには阿木氏との同時進行の成果や失敗、別れという傷を負いながら至近距離での付き合いがあった。私とは違ういわば魂が触れ合う生の交誼があったであろう。 勿論、中学自分から阿木氏の事を私はデデこと川村尚氏が司会を務めるテレビ番組ポップスインピクチ

    阿木譲氏を偲ぶ私的な物語 - 満月に聴く音楽
  • 47:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(1) - ART iT(アートイット)

    連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 連載目次 「Molecular Informatics ~ morphogenic substance via eye tracking (Version 1.0)」、1996年、Canon ARTLAB、ヒルサイドプラザ、東京 Photo: Mikio Kurokawa 画像提供:多摩美術大学(以降すべて) 三上晴子の訃報は、まったく唐突な知らせだった。同じ大学で教鞭を執る関係から、正月明け早々に、まだ非公開の段階で不意打ちのように同僚から聞いた。にわかには信じられなかった。 もっとも、三上とは所属する科が違うこともあり、大学で顔を合わせる機会はほとんどなかった。せいぜい教授会でたまに目にするくらいだった。いま思えば、もっといろいろ意見を交換しておくべきであった。自分でも意外なくらい悔いが残る。 私は、かつて三

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  • 翳りと艶めかしさと 原節子さんを悼む 映画評論家・蓮實重彦:朝日新聞デジタル

    原節子と聞くと、思わずペドロ・コスタに連想をはせてしまう。傑作「ヴァンダの部屋」(2000年)で世界を驚かせ、最新作「ホース・マネー」(14年)が今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞に輝いたポルトガルの尖鋭(せんえい)な映画作家のことである。 彼は小津安二郎生誕100年記念のシンポジウムの… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。

    翳りと艶めかしさと 原節子さんを悼む 映画評論家・蓮實重彦:朝日新聞デジタル
  • R.I.P.相倉久人 | ele-king

    音楽ライターがなしうる最高のこととは何か? 音楽ライターとは何を書くべきなのか? こうした素朴かつ重大な問いに対して、相倉久人氏はひとつの明解な答えを持っていた。「音を出す人すら意識していなかったことを、その音楽から読みとる」こと。「その読みを人に自覚してもらうこと」 アーティスト人から語られる「すこしうぬぼれの入った理屈を」ただ正当化することではない。 逆にそれは、ネット時代にありがちなひとりよがりの妄想を肯定することでも、作者の自己言及を否定することでもない。あくまで作者と受け手との緊張感を保ちつつ、受け売りに走らず、新たな言葉を探し、醸成することである。 そう考えると、氏は、日において音楽評論という土台を築いた人物であり、そして、その作者が言っているのだから正しいに決まっている、作品はつねに作者に隷従するものとして存在するという、つまり、解釈という能力を放棄しかけている日

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  • 『追悼 副島輝人先生へ』

    doravideo FreakToneFreak’sdoravideo official blog アーティストドラびでおの日々の出来事。 楽器レビュー、お得な情報等を載せています。 音楽評論家、プロデューサーの副島輝人先生が昨日の朝亡くなられた。 先生とは約30年前韓国のSAX奏者姜泰煥氏のコンサートを松江に見に行った時に知り合った。 当時私は音楽に失望し切って引退状態だったのだが某音楽雑誌の片隅にちょこんと掲載された姜泰煥氏の写真と先生のコメントがとても気になり4時間鈍行列車に揺られ観光がてら軽い気持ちで松江まで足を運んだ。 会場に着くとすぐに初老の紳士が「山口県から来られたんですか。大変でしたね。せっかくなので一番前で見て行って下さい。」と最前列に通された。その紳士が 副島輝人先生だった。コンサート終了後もせっかく遠い所から来たのだから打上に出て姜泰煥氏と話して行きませんかと誘われた

    『追悼 副島輝人先生へ』
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