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批評とImprovisationに関するtxmx5のブックマーク (4)

  • 変遷する阿部薫のサウンド像について | ele-king

    3月3日にLOFT 9 Shibuyaで伊基公袁(イギー・コーエン)監督のドキュメンタリー映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』がプレミア上映された。30分に満たない短編映画であり、阿部薫人の映像は登場しないものの、さまざまな立場の人物による証言から稀代のサックス奏者を新鮮な視点で照らし出す、きわめて現代的な作品に仕上がっていた。 阿部薫の実家には遺影が飾られている。 映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。 映画は軋るようなサックス・サウンドを彷彿させる走行音が鳴り響くなか、列車に揺られて阿部薫の墓所へと向かうシーンから幕を開ける。カメラはその後、神奈川県川崎市にある実家を訪ね、住宅の一室で実の母・坂喜久代が息子との思い出を振り返るシーンを映し出していく。いまやオリジナル盤が70万円もの高額で売買されているというレコ

    変遷する阿部薫のサウンド像について | ele-king
  • 空白の焦り、それか気楽な無党派層たち——「即興的最前線」に寄せて

    気楽な無党派層たち とても熱心な二元論や二項対立を示されてまごついたという経験はないだろうか。少なくともわたしは非常にまごついたことがある。思考の覇気がない現在にあって、二項のいずれかに振り分ける手はわれらがコンパスの針をすべてまさぐろうとするかのような必死さだ。するとわたしはその焦燥に居心地が悪くなって、無党派層がただよう海のようなところへと紛れようとする。調査のYES / NOではなく「どちらでもない」を選んだ無気力な難民たちの群れだ。いつもそうだ。急な選択肢が出てきたら、すぐに逃げ出したくなっている。「わたしの合理的な判断によっていずれかに属することを選んだ」ことがおぞましい。まるでわたしが矯正されているようだ。熱烈に「どちらかであること」を余儀なくされれば余儀なくされるほどに。こういう機会は日々のものごとが複雑になるにつれ、極端に単純化されつつ強い信仰心を伴って増えていく。わたしは

    空白の焦り、それか気楽な無党派層たち——「即興的最前線」に寄せて
  • 大胆不敵な音楽の熟達者たち――AMM論 | ele-king

    黙殺された歴史 「極北実験音楽の巣窟」を掲げ、一般的なメディアでは取り上げられることの少ないコアな音楽を数多く取り扱っているレコード・ショップ「オメガポイント」の新譜紹介コメントに、英国の即興集団 AMM がいま現在置かれている状況が端的に示されているように思う。まずはその文言を引用しよう。 説明の必要もない英国実験音楽の象徴だが、10年くらい前にピアノのティルバリーが抜けて、残りの二人だけでAMMを名乗っていた。それがいつの間にか三人に復活!(*1) 紹介文として適切だから引用したのではない。むしろここに書かれていることには致命的な誤謬が含まれている。およそ10年前に AMM を脱退したのはジョン・ティルバリーではなくギタリストのキース・ロウだ。さらに言えばティルバリーはそもそも AMM に途中から加入したメンバーであるし、結成から50周年という記念すべき節目に三人が集った極めてモニュメ

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  • doubtmusic powered by BASE

    2020年より入谷・なってるハウスで継続的に行われてきた、FULL DESIGN RECORDS(藤掛正隆主宰)とdoubtmusic(沼田順主宰)+各々のレーベルからのゲスト1名ずつ=カルテットのセッション、Vol.1〜Vol.8までは各々のゲストのデュオ部分のコンピレイションとして、昨年(2022年)に地底レコードよりリリースされましたが、こちらはVol.10のライブより抜粋・エディットしたもの。藤掛と西村は「HRS」というユニットとして、沼田と美川は「mn」というユニットとして、各々活動をしていますが、この回はその二つのユニットが合体したものでもあることから「MNHRS」ということになりました。 あっち行ったりこっち行ったりするmnの二人のぐちゃぐちゃのエレクトロニクス・ノイズと、ドスの効いたHRSのリズム隊が、結果として見事な音響を作り出しています。ロック好き、ノイズ好き、インプロ

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