先日、宮崎駿の『風立ちぬ』について書いたおり(参照)、こういうコメントを貰った。名前は出す必要がないので省略する。 申し訳ないけど、どう読んでも映画の素晴らしさが伝わってこない。これはもう世代の断絶だね。 この映画のすばらしさを伝えるのが目的ならたぶん、読者層を想定して別の書き方をすると思う。また、評論的に書くなら、cakesのような別の媒体に書くと思う。先日の話は、自分の思いをまず自分のブログに勝手に書いてみたかったというのがあった。ただ、「勝手に」といっても迷ったことがあった。計算尺のことである。 この映画では、計算尺がとても大きな意味をもっている。だが、そもそも、計算尺というものの歴史的な情感が、ある年代より若い人に伝わるのだろうかと考えていた。もちろん、計算尺がなんであるか、というのは、一言で言える、手動式の簡易な計算機である。であれば、電卓のようなものかというと、とりあえずそうだ
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