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松村正人に関するtxmx5のブックマーク (9)

  • 青葉市子が『アダンの風』で見つめた、時代のざわめきの向こう側 | CINRA

    青葉市子『アダンの風』は沖縄の地で書かれた生命をめぐる物語が元になっており、「架空の映画のためのサウンドトラック」として2020年12月に発表された。その物語をここでは詳しく説明はしないが、神話のように詩的で、皮膚を突き破って生命の奥底に触れるような生々しさを私は感じた、ということだけ記しておこう。 作曲家の梅林太郎らとともに紡がれた『アダンの風』の歌たちには、生まれては死んでいく生命の根源を見つめ、そして日語で歌われる歌のアイデンティティを編み直すかのような不思議な「響き」がある。ジャンルも、国籍も、ジェンダーも、あらゆるラベルが剥がれた姿で、青葉市子、梅林太郎、そしてエンジニアの葛西敏彦、写真家の小林光大の4人がお互いの境界線を失い、ひとつに溶け合ってそのまま歌になるような……話を聞く限り、非常に稀な工程を経て『アダンの風』は制作されている。作はいかにして形作られ、どんなものを捉え

    青葉市子が『アダンの風』で見つめた、時代のざわめきの向こう側 | CINRA
  • 元ちとせ | ele-king

    ──坂慎太郎、ティム・ヘッカー、坂龍一らの参加したリミックス盤を紐解く 文:松村正人 Nov 28,2019 UP 私は元ちとせのリミックス・シリーズをはじめて知ったのはいまから数ヶ月前、坂慎太郎による“朝花節”のリミックスを耳にしたときだった、そのときの衝撃は筆舌に尽くしがたい。というのも、私は奄美のうまれなので元ちとせのすごさは“ワダツミの木”ではじめて彼女を知ったみなさんよりはずっと古い。たしか90年代なかばだったか、シマの母が電話で瀬戸内町から出てきた中学だか高校生だかが奄美民謡大賞の新人賞を獲ったといっていたのである。奄美民謡大賞とは奄美のオピニオン紙「南海日日新聞」主催のシマ唄の大会で、その第一回の大賞を闘牛のアンセム“ワイド節”の作者坪山豊氏が受賞したことからも、その格式と伝統はご理解いただけようが、元ちとせは新人賞の翌々年あたりに大賞も受けたはずである。すなわちポップ

    元ちとせ | ele-king
  • R.I.P. Daniel Johnston | ele-king

    私はかつて外国人にサインをねだられたことがある。ひとりはサーストン・ムーア、もうひとりがダニエル・ジョンストンである。最初にサインしたのはダニエルだった。21世紀になってはいたが、もう何年も前のことだ。だれかにサインを書いたのはじつはこのときがはじめてだった。サイン処女というものがあるなら、この言い方はいまだとジェンダー的によろしくないかもしれないが、私はそれをダニエルに捧げた。私は当時雑誌の編集部員で、取材でダニエルに会ったとき、彼は手渡した号の表紙をしげしげと眺め、このはあなたが書いたのですかとたずねた。正確にはダニエルが隣のオヤジさんに耳打ちし、オヤジさんが通訳の方に訊ねたのを彼だか彼女だかが私にそう伝えたのだった。私はその質問に、雑誌なので全部私が書いたのではありませんが、編集はしましたと答えた、するとまたオヤジさんがサインをしてくださいとにこやかに述べられた。私はサインなどした

    R.I.P. Daniel Johnston | ele-king
  • ミシェル・ンデゲオチェロ(Meshell Ndegeocello)『Comet, Come To Me』ネオ・ソウルでありR&Bでありジャズであり……ジャンルを不問に付す懐深い新作 | Mikiki by TOWER RECORDS

    浮遊するミシェルのポップ ためしに“Friends”のオリジナルと彼女のヴァージョンをくらべてごらんなさい。カヴァーがノスタルジーの再生装置にとどまっていないか、原曲をどれだけ発展させているのか、あるいは再構築したかどうか。ミシェル・ンデゲオチェロの11作目『Comet, Come To Me』の幕開けである“Friends”はフーディニが84年に出した2作目『Escape』に収録した曲が元だが、彼女はシンプルなブレイクビーツでも、クラフトワーク起源のエレクトロでもなく、むしろシンセ・ポップ(つまりトーマス・ドルビー)の系譜にあたるオールドスクールのなかでもとくに音楽的で省察に長けたブルックリンのヒップホップ・トリオのこの曲に、デトロイト生まれでPファンクの一員でもあったアンプ・フィドラーのシンセ・ベースを加えエクレクティックにしあげている。原曲のシンセの印象的なフレーズをミュートをきかせ

    ミシェル・ンデゲオチェロ(Meshell Ndegeocello)『Comet, Come To Me』ネオ・ソウルでありR&Bでありジャズであり……ジャンルを不問に付す懐深い新作 | Mikiki by TOWER RECORDS
  • interview with Masato Matsumura | ele-king

    前衛音楽という言葉を用いることにはどこか抵抗感があった。理由は二つある。一つ目は狭義の「前衛音楽」に関するものだ。そこでは結果の確定できない音楽を指す「実験音楽」と対比されるものとして、音の結果をどこまでも管理する西洋芸術音楽の理性の結晶のようなものとして「前衛音楽」は使われていた。そこに仄見えているある種の思い上がりとも言える優越心に嫌悪感があった。それに進取の精神に富んだ音楽実践であったとしても、必ずしも西洋芸術音楽の文脈に基づいているわけではない。にもかかわらず「前衛音楽」と名指した途端に、こうした理性的表現を追求する西洋由来の価値観に従うことになる。それは音の具体的実践を捉え損ね、ただひたすら権威におもねることになるだろう。そして二つ目は広義の「前衛音楽」に関わるものだ。より一般的に言って、「前衛音楽」とは「難解」「高尚」「奇妙」「異常」などとされる音楽の総称を指している。ここで「

    interview with Masato Matsumura | ele-king
    txmx5
    txmx5 2019/02/14
  • The Silence | ele-king

    ちょうど『ミスター・ロンリー』のころだからもう10年ちかく前になるが、来日したハーモニー・コリンの取材もあらかた終わり、90年代はいまよりいくらかましだったよな、と次の取材までに空いた時間をたがいに世の中への不平をあげつらいながらつぶしていると、そういえばきみはゴーストのメンバーだったっけ、と彼は不意にいう。ゴースト? あの日のサイケデリック・バンドの? 私は聴きかえした。うなずくハーモニー。つぶらな瞳だ。ミスター・コリン、たしかに私はご覧のような長髪だし、ゴーストのリーダーの馬頭に取材したこともあるし、彼らは好きなバンドだがざんねんながらそうではない。私はそう返答しながらしかし内心ギクッとした。どれくらいギクッとしたかというと「ねじ式」でメメクラゲに刺された主人公に「あなたは私のおっかさんではないですか?」とつめよられる老婆ほどギクッとした。なぜハーモニーはそんなことを訊いたのか、その

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  • interview with Takashi Hattori | ele-king

    2013年の暮れにひっそりと、だがレーベルオーナーの強い熱意とともにリリースされたミニ・アルバム『UNBORN』を耳にして、作曲家・服部峻の並々ならぬ才能に末恐ろしさを感じさせられた聴き手は少なくなかったことにちがいない。ミニマリスティックに反復するバス・クラリネットの響きから始まるそれは、ジャジーなドラムスが演奏に加わると、少しずつ何かがゆがみ、ねじれ、気づけばどことも知れぬ夢幻の世界に聴き手を誘っていく。眼前にありありと演奏する姿が浮かぶほど緻密に構築された「生音」のあたたかさが、しかしけっして現実世界にはありえないような仕方で、奇妙な空間を導出していく。眼にしたはずの演奏者は、具に観察してみるならば、いまやヒエロニムス・ボスの絵画のように不可解だ。今回のインタヴューで服部峻はなんどか「快楽成分」なる言葉を発していたが、正しく彼の音楽から聴こえてくる狂乱は「快楽の園」だった――だがすぐ

    interview with Takashi Hattori | ele-king
  • interview with NRQ | ele-king

    私は牧野琢磨といっしょに湯浅湾というバンドに参加しているからライヴのたびに会うが、ライヴのとき、牧野は入り時間前に会場に現れて、入念にリハーサルし、熱心に演奏し、電車に乗って帰っていく。その動作のひとつひとつの真剣さに、私はいつも感心し、かつ、叱咤されるような感じがあるが、ときにしまりのない私たちはじっさい叱られたりする。やはり音楽においては真摯なのである。それは現在のライヴハウス・シーンに共通する価値観ともいえるが、彼らはそこでもやや浮いている、というよりも、ノマドになってそこを横断していく。 吉田悠樹(二胡、マンドリン)、牧野琢磨(ギター)、中尾勘二(ドラムス、アルト・サックス、トロンボーン、クラリネット)、服部将典(コントラバス)のNRQは前作『オールド・ゴースト・タウン』(2010年)で、21世紀のインスト音楽の可能性を、演奏の強度やムード(非強度)に必要以上に寄りかからない、事件

  • New Residential Quarters | ele-king

    子どもを寝かしつけた9時近くにたまたまアクセスしたドミューンの五所純子さんの番組でかかった小室哲哉がまだ初々しかった時期の曲を聴きながら、そういえば私のも小室哲哉の曲が主題歌だった映画を小学生のころ見たと言っていた。私のは五所さんやChim↑Pomのみなさんと同年かすこし年長のはずだが、小室哲哉は彼らが過ごしてきた年月の一部だった。番組は終わった。私はそのまま、私と同郷で(たしか)同学年のヒカルくんのDJを見続けたのだが、10時を過ぎたころにヴィラロボスのトラックに、私の故郷の島では誰もが知っている、坪山豊が作曲し、島の最大の娯楽である闘牛のアンセム(?)でもある「ワイド節」がピッチをあげてミックスされたのを聴き、4月に入ってから普天間基地(の一部)の移設問題で島が揺れてきたのを考えはじめた、というか、この1月はそのことばかり考えていてele-kingの原稿を全然書いてなかった! ここ

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