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評伝に関するtxmx5のブックマーク (2)

  • 「生命の哲学」書評 「光の世界」求め唯物論と激闘|好書好日

    生命の哲学 知の巨人フェヒナーの数奇なる生涯 [著]岩渕輝 19世紀の「知の巨人」フェヒナーは、科学、哲学、美学を「光の世界観」という概念で統合しようとした。だが、その領域が広すぎて、死後の生存から「植物の内面生活」までに及んだため、宗教やオカルトとも誤解され、真価を把握するのが困難だった。だが、その業績の全貌(ぜんぼう)を徹底的に紹介できる研究家が、ついに日にも登場した。この仕事のためにドイツ語を一から学んだという情熱も尋常ではない。 フェヒナーは世界を、科学的に実体を探究できる「物質面」と、探究しえない「ゼーレ面」とから構成されると考えた。ドイツ語のゼーレは心や霊という心理学的な意味もあるが、生命現象をもたらす生理学的な原理をも意味する。 ところが彼の時代に優勢となる唯物論は、生物を死物の機械として取り扱い、色彩や音響も脳が作りだす幻であって「世界の実相は無色無音の暗黒だ」と唱えた。

    「生命の哲学」書評 「光の世界」求め唯物論と激闘|好書好日
  • 『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』 クイーンを犠牲にした世界チャンピオン - HONZ

    すべからく、天才は類まれなる努力の結果、生まれるものだと思っている。天才が天才であるのは、あることが好きで好きでたまらず、その好きなことだったらどれだけ練習しても、勉強しても飽き足らずに、身体の一部になるまで反復しなければ気が済まない、そういう精神力を持っていることだろう。天才の伝記は、凡人にとっては神話のようだ。どれだけ奇矯な人間であっても、どこか神々しい。私が初めて知ったボビー・フィッシャーという天才チェスプレイヤーも、やはり怒れる神のような印象を持った。 私はチェスを知らない。さすがにこのゲームがどのようなものを使うかくらいは知っているが、ルールもシステムもまったくわからない。しかし将棋を知らなくても『真剣師小池重明』や『聖の青春』が面白かったように、マージャンの牌を握ったことがなくても『麻雀放浪記』を読みふけったように、五目並べしかできなくても『未完の対局』に心を奪われたように、こ

    『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』 クイーンを犠牲にした世界チャンピオン - HONZ
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