ネット上の処女論争で重視されているのは、実際に性交の経験があるかどうかではないように思う。論点になっているのは処女性、対象女性あるいは女性一般の貞操観ではないか。(かんなぎ騒動の時のような一部の基地外を除く) 今まで顔やコミュ力を重視して異性と奔放に遊んできた女が、歳をとってから収入や性格等重視の安定した落ち着き先を探してる様を見て、気分が悪くなった人が大勢居るのだ。その要領の良さや節操の無さ「なんかばっちぃ気がする」を批判するために真逆の存在として持ち出しているのが“処女”じゃないかと。 今35歳の僕は学生の頃から、社会では女性が不当に差別されているので改善しなければ、といった空気を吸って生きてきたように思う。86年に男女雇用機会均等法が施工されており、女性の社会進出に関るニュースがよく流れていた。女性の地位について改善の必要はあっただろうけど、旧来の家庭観を否定する流れのなかで貞操観や