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日本語が亡びるときと水村美苗に関するyucoのブックマーク (15)

  • 水村美苗「日本語が亡びるとき」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    筑摩書房 2008年10月 水村氏のを読むのははじめてである。前に岩井克人氏の「資主義を語る」を読んだとき、最後のほうの対談で、岩井氏の対談相手として水村氏がでてきた。なんだか変に親しげな会話ぶりで、何だこれは?と思ったのだが、あとから二人はパートナーであるらしいことを知った。しかし夫婦で公的に対談などするものだろうか? いずれにしても、あの岩井氏と対等に(というか一部岩井氏を子どもあつかいしている箇所さえあるくらい)渡りあっているのであるから、インテリである。インテリの書く小説はつまらないという偏見を持っているので、水村氏の小説は読んでこなかった。今後も今のところは読むつもりはない。第一「明暗」も読んでいないし(恥)。「明暗」も読んでいない人間など、氏は「叡智のある人」とは思わないであろう。「叡智のある人」というのは氏によるホモ・サピエンスの訳である。 書を読んでみようと思ったのは

    水村美苗「日本語が亡びるとき」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 『日本語が亡びるとき』水村美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「帰国」を説明する」 依然として書店の平積みコーナーを占拠し続ける書。つい最近も「ユリイカ」で水村特集が組まれたりして、日文学と英語のかかわりにこんなみんなが関心を持つのは良いことであるなあ、と筆者などは職業柄つい軽薄に喜んでしまうのだが、実際に読んでみると、けっこう変なである。そして、たぶん、そこがこのの持ち味。 出だしは明らかに私小説である。 「ユリイカ」のインタビューでも話題になっているが、日での自律神経失調症に悩む生活から、アイオワ大ワークショップでのややすさんだ滞在生活へと話が展開するあたり、日語論や英語教育論とは無縁、むしろいつもの水村節を、さらにきわどく押し進めたような自虐の語りで、病の匂いが強く漂う。 ところがふつうに読んでいくと、それが一見冷静な現状分析に引き継がれ、日近代文学の誕生の過程、「国語」概念の発生、「普遍語」の支配といった

    『日本語が亡びるとき』水村美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 日本の外国文学研究が滅びるとき - 内田樹の研究室

    水村美苗さんの話題作『日語が亡びるとき-英語の世紀の中で』を鹿児島への機内で読了。 まことに肺腑を抉られるような慨世の書である。 『街場の教育論』で論じた日教育についての考えと通じるところもあり、また今書いている『日辺境論』の骨格である、日はユーラシア大陸の辺境という地政学的に特権的な状況ゆえに「政治的・文化的鎖国」を享受しえた(これは慶賀すべきことである)という考え方にも深いところでは通じているように思う。 とりわけ、「あらまあ」と感動したのは、「アメリカの植民地になった日」についての考察である。 明治維新のときに欧米帝国主義国家がクリミア戦争や南北戦争や普仏戦争で疲弊していなければ日は欧米の植民地になっていただろうということを言うひとは少なくないが、「植民地になって150年後の日」についてまで SF 的想像をめぐらせた人は水村さんをもって嚆矢とするのではないか。 「たと

  • REALTOKYO | Column | Out of Tokyo | 200:英語の世紀に

    『新潮』の矢野優編集長も書いているが、以前にも触れた小説家、水村美苗の『日語が亡びるとき』(筑摩書房)が読書人の間で話題になっている。副題は「英語の世紀の中で」。乱暴に要約すると、インターネットの時代たる現代では、英語のひとり勝ち状態が続いている。ラテン語や漢文などかつての「普遍語」は英語に取って代わられ、近代に成立した「国語」の地位も危うい。「叡智を求める人」は普遍語=英語を直接読み書きするようになり、それとともに非英語圏では「国語」と「国民文学」の終わりが始まっている。大量消費社会の中で書物は廉価な「文化商品」となり、いまや、広く読まれる小説といえば、つまらないものばかりになってきている。 国語と国民文学の成立についての、水村の立論と分析は鮮やかである。小説家の池澤夏樹も、『毎日新聞』に「こんな明快な論には初めて出会った」と記しているほどだ。少数しか理解できなかった「普遍語」の書物

  • 『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村 美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「翻訳を切り口に国語の成立をたどる」 東京育ちで、両親も、その親も東京の人で田舎というものを持ったことのない私には、方言で育った人が標準語をしゃべるときの違和感は実感としてわからない。でも英語を話しているときは、それに似たものを思いっきり味わう。 英語は何事もはっきり言い切ることを求める言語で、曖昧さをゆるさない。そう思わない部分が少しあったとしても、「そう思います」と答えることで相手とのコミュニケーションがころがっていく。言い切った直後は日語で思い惑っていた自分を裏切ったような後ろめたさを感じるが、何度かそういう場面を繰り返すうちに、英語で話している人格が調子づいてきて、しれっと言い切れるようになる。ある言語を使うことは、その言葉がもっている論理や感情や感覚に入っていくことなのだ。 ビジネスが目的なら、割り切れる言葉で言うほうが商談がスムーズになるだろう。学問の世

    『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村 美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    yuco
    yuco 2008/12/13
    この本の書評をいろいろ読んだ中で一番腑に落ちた。って元の本は読んでいないけど。
  • オプティミズムは亡びるのか - 「日本語が亡びるとき」を読んで考えた(3) - 08th Grade Syndrome

    「日語が亡びるとき」について一連のエントリを書いている最中でしたが、梅田さんと水村さんの対談が新潮1月号に掲載されたので読んでみました。 告知のエントリは見事にネガコメ一色に染まっていますが*1、僕にはそんなことよりも対談の内容の方がよっぽどショッキングでしたよ。 梅田さんの著書「ウェブ進化論 」、「ウェブ時代をゆく」 、「ウェブ時代 5つの定理」 の三部作はいずれも希望に溢れ、人をエンパワー*2する力を持つだったと思います。一方水村さんの「日語が亡びるとき」には切実な問題提起こそありましたが、未来への希望といった要素は皆無です。むしろ自らの緩慢な死を受け入れた末期の姿勢に近いものでした。 僕には両者の著書に現れた姿勢の違いは興味深く、水村さんの問題提起に対して梅田さんのオプティミズムはどのような回答を見せるのか、期待していました。 とばかりに。 しかし、この対談で梅田さんが口にした

  • 『日本語が亡びるとき』

    ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化恋愛結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。 水村美苗さんの新著『日語が亡びるとき——英語の世紀の中で』(筑摩書房)を二回読みました。私が自分の著書で脈絡もなく水村さんに言及するので、かねてから私が水村さんの小説すべてに深い思い入れがあることをすでにご存知のかたもいるでしょうが、『日語が亡びるとき』は、小説ではなくて評論です。水村風に書くと、「嗚呼、私はこの

  • 「同時代作品はまるで眼中にない水村と、同時代作品しか眼中にない宇野」という名言。- 【海難記】 Wrecked on the Sea

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

    「同時代作品はまるで眼中にない水村と、同時代作品しか眼中にない宇野」という名言。- 【海難記】 Wrecked on the Sea
  • 『日本語が亡びるとき』を読む - tatemuraの日記

    梅田さんの釣りにかかって、水村美苗の新作エッセイ『日語が亡びるとき』を日から取り寄せて読んだ。すでに各所で指摘されているとおり、論考にはかなり飛躍や不整合があって、これが論文ならrejectだと思う。だが、エッセイとしては面白く、読み応えがある。国語としての日語の成り立ちとか、考えたことも無かった人には三章から五章のくだりは大変刺激的であろう。そんなこと前からよく知ってるよ、それにちょっと偏ってんじゃないの、という人も一章・二章を中心に「小説」として楽しめる。その中間の多くの人にとっては、問題意識をより多くの人と共有するのに役立つのではないか。 三章では、現在の「国語」である日語がいかに成り立っているか、日近代文学が「国民文学」としていかに日という近代国家の成り立ちに寄与しているか、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』をベースにしつつ語っている。 古来人類は文字を持たず

    『日本語が亡びるとき』を読む - tatemuraの日記
  • 語ることの困難さ、水村美苗『日本語が亡びるとき』と『本格小説』 | こどものもうそうblog

    Selected Entries 語ることの困難さ、水村美苗『日語が亡びるとき』と『小説』 (11/11) Categories WORKS (594) 講座 (236) game (153) BOOK (373) computer (23) iPhone&iPad (2) MOVIE (48) music (38) News Dig (23) PLAY (136) publication (52) web (20) web game (26) すごいよ! (45) カード (15) ゲームをつくろう (3) ゲーム実習 (14) コックリさん (11) 気になるの (109) 写真 (24) 日々 (128) 萌え発想 (32) Archives August 2017 (1) April 2017 (1) December 2016 (1) November 2016 (1) O

  • エリート文学と大衆文学 - 2008-11-10 - kom’s log

    水村美苗がその語りの対象としているのは実にマイノリティな人々なのであって、「日人たるものこのを読むべし」というような内容ではないはずである。内輪のサロンでひそやかにささやかれている話。大衆文学というものがありましてね、英語の席捲もあっていまやホンモノの日文学は瀕死の体、ご臨終。まことに悲しいことよ… かくなる実に不健康な話なのである。そしてここでいうマイノリティとはエリート。そしてエリート文学。 エリート文学、そんなものを年中気にしている人間は日語を話す人間全体の中でほんの一部である。そのほんの一部の人たちが「ああ、わたしたちの考える日文学、それがいまやほろびてゆく」。そうため息をついている、そんな内容のを毛語録のごとく高々と掲げ、こめかみに血筋を浮かばせながら「日人は全員読め!」って*1。そりゃ無理。あちらこちらにみかけた水村美苗のこのところの意見を眺めても、やはりこれは水

    エリート文学と大衆文学 - 2008-11-10 - kom’s log
  • 例の本(書評というか感想文) - 思索の海

    昨日書いたエントリがブクマが短時間で5個以上付いたにも関わらず、はてブの注目エントリのページからのアクセスがほとんど無いのが笑える*1(^^; まああのタイトルとあの内容じゃなあ… ところでここ数日はてなで話題になってた例のですが、twitterに書いたように屋でちょろっと立ち読みしました。 日語が亡びるとき―英語の世紀の中で 作者: 水村美苗出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/11/05メディア: 単行購入: 169人 クリック: 12,657回この商品を含むブログ (459件) を見る 知的好奇心を含めた諸々を全く刺激されなかったので頑張って第一章と最後の章(なんか国語教育英語教育について書かれているところ)はそこそこゆっくり読んで、後は流し読みしましたが、それが精一杯でした。今後ブックオフで100円で置いてあったとしても買わないと思います。はてなから無料配布され

    例の本(書評というか感想文) - 思索の海
  • 梅田望夫「紹介・水村美苗『日本語が亡びるとき』」の補足説明を試みる。

    【要旨】 梅田望夫さんが水村美苗『日語が亡びるとき』の紹介をしていた。ブックマーク数は多いのだが、梅田さんの紹介にやや舌足らずな点もあるからか、反応もいまひとつのような気がする。ただ、わたしも水村さんの論を読んで非常に感銘を受けたことはたしかなので、まずは、水村さんの議論の骨子を紹介してみることにした。ただし、わたしが読んだのは新潮9月号で発表されたものであり、ここで紹介することもの第1章から3章までの議論にとどまる、という点をご海容頂きたい。 ここで紹介したのは水村さんの問題意識であり、この問題に対して水村さんがどのように思考を進めていくか、というメインの部分については実際に「新潮」9月号やをごらんいただきたいと思います(この一文追記)。 (追記2)梅田さんがこのをどう見ているかについては、すでに8月時点でこのの前身の論稿に触れられたエセーがすでにあるのでこれもご覧になるとよい

    梅田望夫「紹介・水村美苗『日本語が亡びるとき』」の補足説明を試みる。
  • 水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    とうとう、水村美苗の長編評論「日語が亡びるとき」がになった。 書の冒頭の三章(280枚)が「新潮」9月号に一括掲載されたのを一気に読み感動してから数か月、待ちに待った刊行である。 日語が亡びるとき―英語の世紀の中で 作者: 水村美苗出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/11/05メディア: 単行購入: 169人 クリック: 12,657回この商品を含むブログ (459件) を見るこのは今、すべての日人が読むべきだと思う。「すべての」と言えば言いすぎであれば、知的生産を志す人、あるいは勉学途上の中学生、高校生、大学生、大学院生(専門はいっさい問わない)、これから先言葉で何かを表現したいと考えている人、何にせよ教育に関わる人、子供を持つ親、そんな人たちは絶対に読むべきだと思う。願わくばこのがベストセラーになって、日人にとっての日語と英語について、これから誰かが何

    水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。 - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • 水村美苗氏 英語の覇権憂う書 : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    作家の水村美苗(みなえ)氏=写真=が評論『日語が亡びるとき――英語の世紀の中で』(筑摩書房)を上梓(じょうし)した。バイリンガルの作家として、英語の公用語化を推進する意図はない。インターネットを追い風に、強まる英語の覇権から「日語をいかに護(まも)るか」を訴えた、憂国の書だと語る。(尾崎真理子) 21世紀はインドやシンガポールのように、自国語と二重言語化する英語圏がアジアでも増えていく。ネットを通じて英語図書館には、いよいよ激しく情報が流れ込む。一極集中化の中で、日語が生き残る道はどこにあるのか。著は七つの章から示そうとする。 「無限の造語力を持つ漢字を音訓自在に組み合わせて語彙(ごい)を広げ、ひらがな、西洋語を表すカタカナ、ローマ字……多様な文字を縦にも横にも併記して、歴史も感情もすべてを含み込む。書き言葉としての日語は、希有(けう)なだけでなく、世界に誇れる機能的かつ陰影豊

    yuco
    yuco 2008/11/07
    この本に関する梅田望夫氏の簡単なエントリが300ブクマで、これが4ブクマ(両方とも11/9 0時頃時点)というのがすごいなあと思った
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