→紀伊國屋書店で購入 「都市はツリーではない」で建築界のみならず現代思想にも大きな影響をあたえたクリストファー・アレグザンダーの思想がコンピュータの世界で継承され発展したことを跡づけた本で、ニューアカ時代にアレグザンダーの名前を知った者としては驚きの連続だった。 若い人にはアレグザンダーもニューアカ(ニューアカデミズム)もなじみがないだろう。 日本がバブル景気に突入した1980年代半ば、難解な現代思想がブームになったことがあった。発端は浅田彰氏の『構造と力』(1983)だった。ドゥルーズやデリダといったフランスの思想家を紹介した難解な本だったが、スキゾとパラノという二分法がわかりやすかったせいか、思想書の枠を越えたベストセラーになった。従来の重厚長大型のマジメ思想がパラノで、ポスト構造主義のスピーディーでエネルギッシュな非マジメ思想がスキゾというわけである。 直接の出典は『アンチ・オイディ
文学博覧会。それは我々人類の、言葉の軌跡と滾々と湧き出る想像力の可能性とを一堂に集結させた、果てない空間である。言葉を獲得した人類は、言葉によって歓び、怒り、悲しみ、闘い、慰められてきた。しかし一方では、言葉にすることさえできぬほどの圧倒的な自然や現実の前に屈することもあったであろう。それでも我々には想像力があった。たとえ黙することしかできない世界の前にあっても、我々の中にある想像力だけは永久に失われることはない。 不可侵の想像力をたずさえ、それを言葉へと昇華させた古今東西の文学作品約600点すべてに担当者がそれぞれ精読した上でのコメントとキーワードをつけ、それを40のパビリオンに振り分けた。ひとつひとつの文学作品を、言葉と想像力の大見本市として構成したのがこの文学博覧会、「ぶんぱく'11」である。 文学史上類をみない熱い祭典が、ここにはじまる。 2011年4月1日〜5月31日 紀伊國屋書
→紀伊國屋書店で購入 学生時代に読んで感銘を受けた本である。本書は1952年に初版が出て以来、半世紀以上にわたって版を重ねているロングセラーであり、簡にして要を得た哲学史として定評がある。今回、書店で健在なことを発見し、おおと声をあげた。 本書は1961年と1975年に改訂されているが、1975年改訂では冒頭に「哲学史とは何か」という序論が追加されている。わたしは熊野純彦氏の『西洋哲学史』の感想を書いた際、哲学には発展などということがあるのかという疑問を述べたが、本書の序論はまさにこの問題をあつかっているのである。 岩崎はヘーゲルによってはじめて哲学史は学問になったと認める一方、絶対精神の展開というヘーゲル流の形而上学を捨て去っても「なおかつ哲学史のうちに哲学思想の展開を見ることができるのみならず、むしろそう見るべきではないかと考える」と断言する。核心部分を引けばこうである。 哲学者自身が
→紀伊國屋書店で購入 「ITビジネスで急躍進するインドの光と影」 信頼できる友人の勧めで手にとり、感動して読み終える本がときたまあるが、その一冊だった。自分から読むことはぜったいになかったと断言できる。まずタイトルがいただけない。 実際、友人も感動したと言いつつもタイトルを忘れていた。グローバリズムなんとか……というので、思わず耳を疑って聞き返した。えっ、それって経済書なの? ちがうちがう小説、と否定した友人は、久しぶりに明け方まで読んだと言い足した。 そこで半信半疑で開いたのだったが、確かに読み出したら止まらないおもしろさ。いまはだれかれ構わずに、この小説、知ってる? と言い触れまわりたい気分である。著者は1974年マドラス生まれのインド人。はじめて書いたこの小説で2008年のブッカー賞受賞した(原題はThe White Tiger)。 では何がそんなにおもしろかったのか。一言でいえば、
→紀伊國屋書店で購入 哲学者には奇人変人が多く、紀元前三世紀には珍奇なエピソードを集めたディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』のような無類に面白い本まで書かれたが、本書はもしかしたらその近代版を意識したのかもしれない。堀川哲氏はデカルトから現代のリチャード・ローティまで、30人以上の哲学者の学説と肩の凝らないのエピソードを平明な語り口で披露している。 もちろん哲学者は最終的には残した著作で判断されなければならないが、本書のようにどうやって食べていたか、どんな学校で勉強したかにこだわって見ていくと、通常の哲学史では切りおとされているものがいろいろ見えてくるのである。 デカルトはラ・フレーシ学院というイエズス会がやっていた全寮制のエリート校で勉強したが、生来体が弱く、学院長が親族だったこともあって、朝寝坊してよい特権があたえられた。若い頃、軍隊にはいったが、無給士官というお客様待
→紀伊國屋書店で購入 ある女性俳人の遺したふたつの句集が一冊となった。 「春雷」より 畦(くろ)ゆくやマスクのほほに夜のあめ 霜の葉やふところに秘む熱の指 うすら日の字がほつてある冬の幹 冬雨やうらなふことを好むさが 昃(かげ)る梅まろき手鏡ふところに 春雷はあめにかはれり冬の対坐 あめ去れば月の端居となりにけり かたかげや警報とかるる坂の下 防諜と貼られ氷室へつづく廊 銹あらき鋳物の肌と夏草と いちじくに指の繃帯まいにち替ふ あきのあめ衿の黒子をいはれけり 湯の中に乳房いとしく秋の夜 菊活けし指もて消しぬ閨の燈を さかりゆくひとは追はずよ烏瓜 窓をうつしぐれとほのきくづす膝 冬の月樹肌はをしみなく光らふ 「指輪」より にひとしのつよ風も好し希ふこと 秋燈火こまかくつづるわが履歴 寒の夜を壺砕け散る散らしけり(きづつく玻璃) ひらく寒木瓜浮気な自分におどろく 春雪の不貞の面て擲ち給へ 肉感
→紀伊國屋書店で購入 沖縄に花開いたコンクリート文化 はじめて沖縄に行ったときに驚いたのは、目にする住宅のひどく武骨なことだった。コンクリートの塊と呼びたくなるような、飾り気のない四角い建物が多かった。 壁が湿気で黒ずんでいたり、どぎつい色のペンキで塗られていたりする。看板代わりに壁に直に店名を書いている建物も目を引いた。沖縄タイムスの古いビルもそうで、筆にどっぷりとペンキを含ませて書いたぶっとい文字に迫力があった。 強い日差しを遮るルーバーとして、透かし模様のあるコンクリートブロックが使われているのも物珍しかった。花ブロックと呼ばれ、ブロック塀が一斉を風靡した時期には本土でも飾りに使われたが、いまはあまり見かけない。沖縄の花ブロックは種類が多く、新築の家にも用いられて現役だった。 よく見ると墓もコンクリート製が多かった。家の形をした破風墓、蛸のあたまのような形の亀甲墓……。どれもコンクリ
→紀伊國屋書店で購入 「もてない学者」 小谷野敦は毀誉褒貶の激しい人である。この本は、小谷野がその大学院生活を送った東京大学大学院比較文学比較文化、通称、「東大駒場学派」(筆者には、「東大比文」の名称のほうがなじみ深い)の歴史を語ったものだが、この大学院に所属した人たちのたくさんのゴシップが散りばめられている。この本を読んで、傷ついたり、腹を立てたり、顔をしかめたりする人たちもいるだろう。小谷野さん(と「さん」付けにしたのは、小谷野さんを筆者は直接に知っているからである)は、この本を書くことで、また敵を増やしてしまったのではないかな、と思った。 「あとがき」にはこんなことも書いてある。「駒場学派」出身者で、著書の数で最も多いのは四方田犬彦で、(小谷野の数え方では)合計54冊、2位はアメリカ研究の亀井俊介の36冊、そして3位は本書で35冊目を書いたことになる自分であるが、これほどの著書があり
→紀伊國屋書店で購入 「「帰国」を説明する」 依然として書店の平積みコーナーを占拠し続ける本書。つい最近も「ユリイカ」で水村特集が組まれたりして、日本文学と英語のかかわりにこんなみんなが関心を持つのは良いことであるなあ、と筆者などは職業柄つい軽薄に喜んでしまうのだが、実際に読んでみると、けっこう変な本である。そして、たぶん、そこがこの本の持ち味。 出だしは明らかに私小説である。 「ユリイカ」のインタビューでも話題になっているが、日本での自律神経失調症に悩む生活から、アイオワ大ワークショップでのややすさんだ滞在生活へと話が展開するあたり、日本語論や英語教育論とは無縁、むしろいつもの水村節を、さらにきわどく押し進めたような自虐の語りで、病の匂いが強く漂う。 ところがふつうに読んでいくと、それが一見冷静な現状分析に引き継がれ、日本近代文学の誕生の過程、「国語」概念の発生、「普遍語」の支配といった
→紀伊國屋書店で購入 「客観的記述から浮き彫りになるアメリカの男と女」 なんとも不思議な本の登場である。「ネットで出会うアメリカの女と男」というサブタイトルは、ある程度内容を伝えてはいるものの、本書を読んで感じとったものはもっと多様で豊かだ。著者はアメリカ文化研究を専門とするハワイ大学の教授である。そのようなアカデミックな立場にいる者が、こういう書き方をすることはかつてなかったのではないか。サブタイトルのもつ客観的な響きからあふれ出るものに、本書の魅力と特徴がある。 著者は勤務先のハワイ大学から一年間のサバティカル(学校業務から解放されて個人的な研究に従事する期間)をとってニューヨークに滞在中、インターネットでデート相手を探すサイトに登録し、さまざまなアメリカ男とデートする。ハワイにもどってもそれをつづけて、その体験を本書に著した。肝心なのは、本を書くためにオンライン・デーティングをしたの
→紀伊國屋書店で購入 「翻訳を切り口に国語の成立をたどる」 東京育ちで、両親も、その親も東京の人で田舎というものを持ったことのない私には、方言で育った人が標準語をしゃべるときの違和感は実感としてわからない。でも英語を話しているときは、それに似たものを思いっきり味わう。 英語は何事もはっきり言い切ることを求める言語で、曖昧さをゆるさない。そう思わない部分が少しあったとしても、「そう思います」と答えることで相手とのコミュニケーションがころがっていく。言い切った直後は日本語で思い惑っていた自分を裏切ったような後ろめたさを感じるが、何度かそういう場面を繰り返すうちに、英語で話している人格が調子づいてきて、しれっと言い切れるようになる。ある言語を使うことは、その言葉がもっている論理や感情や感覚に入っていくことなのだ。 ビジネスが目的なら、割り切れる言葉で言うほうが商談がスムーズになるだろう。学問の世
→紀伊國屋書店で購入 「物語のおわり」 『ボン書店の幻』が文庫に! 早速、パソコンと本の山をむこうへ押しやり、ひといきに読み、呆然となる。白地社版を読んだときもおなじだった。二五〇頁ほどのボリュームの本を読んだという気がまったくしないのだ。著者に導かれ、レスプリ・ヌウボオの風に吹かれ、きらめくような書物たちのあいだをくぐり抜け、気がつけば「彼」は消えてしまっていた。まるで一瞬のできごとのようなこの読後感が、「彼」――ボン書店・鳥羽茂の印象とかさなる。 一九三〇年代はじめ、「モダニズムの時代」も後半にさしかかった頃にあらわれた出版社・ボン書店は新しい詩への夢とすぐれた造本感覚でもって、当時の若きモダニズム詩人たちの詩集やシュルレアリスム文献を世に送りだした。 そのはじめての出版は昭和七年の夏、竹中郁『一匙の雲』と北園克衛『若いコロニイ』である。「生キタ詩人叢書」というシリーズとしてだされたこ
→紀伊國屋書店で購入 「帯はむずかしい」 数年前、ローレンス・ノーフォークの『ジョン・ランプリエールの辞書』〈上〉・〈下〉の邦訳が出たとき、帯のキャッチコピーは、「エーコ+ピンチョン+ディケンズ+007!」というものだった。昨年、長年待ち望まれていたアラスター・グレイの『ラナーク』が出たときのキャッチコピーは「ダンテ+カフカ+ジョイス+オーウェル+ブレイク+キャロル+α+….」だ。2作は出版社がちがうが、装丁者は同じ中島かおるさん。このコピーの類似が偶然とは思わない。作家名をだいぶ水増ししたうえ、αを付け加え、それでも足りなくて「…」まで入れているのが可笑しい。 あまり知られぬ作品を紹介するとき、名作になぞらえるというのは、編集者がよくやる手である。フィリピン系英語作家テス・ウリザ・ホルスの『象がおどるとき』〈上〉・〈下〉は、「アジア版『百年の孤独』」というコピーだった。日本軍がフィリピン
→紀伊國屋書店で購入 コンピュータにも「神代の歴史」があった その由来からして、年代もののワイン、せいぜいでジーンズ、あるいは20世紀初めのクラシック・カーくらいが使用範囲かと思っていた「ヴィンテージ」という言葉が、コンピュータについても使われるのかと一瞬とまどったが、考えてみれば、1930年代、40年代の車をそう呼んでよいなら、同じ頃つくられた計算マシンをヴィンテージと称すのに何の無理もないわけだ。 というので、今のところ類書のないこの一冊。1941年製のドイツZ3カルキュレーターから始まって1999年のGoogle最初の運用サーバまで、全32機種のコンピュータと、集積回路に取って代わられるまでの磁気コアメモリを、実にアングルの良い、痒いところに手の届くような細密かつ妙に生物写真のようにぴかぴか、ぬるぬるした「生気論的」フルカラー写真で、飽かず眺めさせてくれる。コンピュータ史概説書はいく
→紀伊國屋書店で購入 「無言で語る」 やっぱりこの人は違うな、と思う。 「うまい」というのは詩人の場合はあまり褒め言葉にはならないのかもしれないが、谷川俊太郎については、つい「うまい」と言いたくなる。それが嫌な意味にもならない。 表題作である巻頭の「私」という連作は、「自己紹介」という作品から始まる。 私は背の低い禿頭の老人です もう半世紀以上のあいだ 名詞や動詞や助詞や形容詞や疑問詞など 言葉どもに揉まれながら暮らしてきましたから どちらかと言うと無言を好みます 五行連句の詩なのだが、こんな調子でぶつぶつ言っているようで、連句の最後の一行にかけては必ずちょっとひねる、というパタンになっている。ただ、ひねりつつも言いたいこともしっかり言う。三連目の終わりの「私にとっては睡眠は快楽の一種です/夢は見ても目覚めたときには忘れています」もなかなかいいが、とくに最後の連が、うまい。 ここに述べてい
→紀伊國屋書店で購入 「人の不安の根源に迫る」 正月にイアン・マキューアンの新作を読んで、早くも今年のベストが決まってしまった。いや、二十一世紀の名著に入る傑作かもしれない。 『土曜日』は文字どおり、ある土曜日の出来事を描いた小説だ。未明から、翌未明までの二十四時間の間に、現代社会に生きる私たちの直面する諸問題が、細大もらさず描き込まれている。 三分の二くらいまでは筋らしいものはない。現実の時間に回想が挟みこまれ、ある家族の人間関係が主人公の視点で照らし出されていく。それだけでも充分なドラマで、このまま淡々と終ってくれても不足はない、とすら思っていたところに、「事件」が起きる。予兆はあったものの、こんな展開になるとは思いもしなかった。 しかし現実世界で事件が起きるときはこういう感じなのではないか。何か起こりますよ、という前触れがあれば苦労しない。さまざまな要素が絡んで、ふつうなら起きるはず
→紀伊國屋書店で購入 建物はひとの気配をまとう 『小さな建築』というタイトルに、ル・コルビュジエが両親のために建てた「小さな家」や、立原道造が「窓がひとつ欲しい」と書いて構想していたヒアシンスハウス、増沢洵設計の最小限住居、それを現代に活かした小泉誠さんらによる9坪ハウスを連想する。「小さな」建築。その小ささとは、何なのだろう。 寸法が小さい建築ということではありません。……人間が小さな点になってしまったような孤立感や不安感を感じさせない建築のことだと言えばいいのでしょうか。 巨大な建物のなかに入っても、孤立とか不安に無縁なことがある。あるいは孤立や不安を感じることに、酔うこともある。小さいからこそ孤立や不安を覚えることもあるから、建物の寸法によるものでないことはわかる。富田さんはさらに続ける。ここはどこ、今はいつ、これは何、隣はだれ、私はだれ、という感覚がもてること、自然と人が親密になれ
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