東京、横浜を中心に10万5千人余りが犠牲になった1923年9月の関東大震災では、横浜の中心部を走る市電(路面電車)も壊滅的な被害を受けた。震災の2年前にスタートした市営交通の黎明(れいめい)期を支えた市電の登場から、今年で100年。横浜開港資料館(横浜市中区)は当時の記録から苦難の歴史に迫り、調査成果の一端を展示コーナーで公開している。 「運転中だった88両のうち、57両が焼失し、貨車1両を失ったと報告されている」 調査研究員の吉田律人さん(41)は、市が編集した「横浜市震災誌」や震災当時の新聞などを丹念に読み込み、被災の実態やその影響について研究を重ねている。同資料館が所蔵する写真帳「大震火災電気鉄道被害情況」には、鉄橋やトンネル、変電所、車庫などの市電関連を中心とした写真が59枚収められており、多方面に及んだ被害の状況がよく分かるという。 1923年9月1日午前11時58分。小田原付近