震災よりはるか以前から「閉塞感」という言葉がよく聞かれますが、震災後2カ月を経た現在も、エネルギー政策や復興計画がまとまらない現状を表現するならば、やはりそこには「閉塞」という言葉が当てはまってしまうように思われます。そもそもこの「閉塞感」という言葉のルーツですが、今から一世紀前の1910年に石川啄木が書いた「時代閉塞の現状」という短いエッセイに遡ることができると思います。幸徳事件から日韓併合に進む明治末年の「強権政治」に対して啄木が危機感を綴った書という評価が一般的ですが、肝心の「閉塞感」についていえば、100年後の現在とはかなりトーンが違います。 例えば啄木は「我々日本の青年はいまだかつてかの強権に対して何らの確執をも醸したことがないのである。したがって国家が我々にとって怨敵となるべき機会もいまだかつてなかったのである。」と述べて、明治維新以来、強権的な国権論に対して若者が異議申し立て