黒瀬陽平 @kaichoo さて今日は、新芸術校第2期標準コースの初日。東さんとの対談と、受講生たちの自己紹介プレゼンはニコ生中継あります。 2016-04-10 11:51:53 風景/藤城嘘/地獄 @lie_ 本日から新芸術校の第2期標準コースがスタート。お手伝い&アドバイザーとして授業を見させていただきます。みなさんもニコ生で是非新入生にツッコんであげてください! school.genron.co.jp/gcls/ 2016-04-10 12:33:02
0 雑誌掲載の拒否について 12月7日に行われた、日本映画大学の講義「ジャーナリズム論」における東浩紀氏と僕(大澤信亮)の対談は、雑誌「文學界」2014年2月号に掲載されることで、双方の了解を取っていました。対談自体は非常に荒れたものの、終了後も、東氏は掲載を承諾していました。が、翌日になって突然、「文學界掲載なしで」とのメールが氏から僕に届き、雑誌掲載については版元が責任を負うという当然のルールから、「文學界の方にお伝えください」と返すと、「いや、きみの責任でよろしく」と返ってきたので、再度「僕が関わる余地はないと思うのですが」と返すと「はいはい」というメールが届きました。僕は、掲載を約束して公開で行った対談の活字化を反故にするのは、言論人としてあるまじき振舞いだと思うので、そのような行為を許した覚えはありません。ただ、著作権上、一方の拒否があれば受け入れざるを得ないので、やむなく了承し
1、概観 ・東のこれまでの仕事:存在論的郵便的、動物化するポストモダン、福島第一原発観光地化計画。 ・問題:ゼロ年代思想の対象が、アニメ、アイドルに収斂した。しかし、ゼロ年代の思想というのは、本来は、このようなサブカル論、ではない。そのために、新しい読者は東の仕事の一貫性を見出せなくなっているのではないか。 2、『郵便本』第一章第一節(1)---19:00-19:35 (1) 冒頭:ジャックデリダの解説?ではなく。 ・冒頭、文芸評論の文ではない:極めて機械的な変な文章を採用。 ・これは東の戦略。蓮見(ぬるぬるしたヌーヴォーロマン文体)と柄谷(「交通」とか「他者」という歌舞伎調の文章)。所謂、否定神学調の文章でもある。『存在論的、郵便的』の形式自体が、彼らに対する抵抗、否定神学批判となっている。スタイル自体の批評的な意味がある。敢えて採用された非-デリダ的な機械的文体。 ・スタイルの「変換」
参院選の結果を受けての、東浩紀のこの発言。 共産党は日本の癌だ。共産党の主張が悪いというのではない。絶対に為政者にはならないという安心感のもとに、為政者への不満だけを吸い上げる党という存在がある、その事実が日本の政治をひどく損ねている。共産党の批判は決してぶれないから、そこに不満が流れ込む。でもそれはなにも変えないのだ。 https://twitter.com/hazuma/status/358984438501224448 Twitter / hazuma: 共産党は日本の癌だ。共産党の主張が悪いというのではない。絶対 ... この人が、どうして政治的な迷路にハマリ込んでいってしまったのかがわかる。前から言ってるけど、東は自分なりに何か切実な問題(保育園をふやして、とか、生活保護を切り下げないで、とか)をかかえて政治にかかわってみれば、「『共産党はなんでも反対だから』みたいな居酒屋談義を
宇野常寛は東浩紀ファンを非モテ理論武装系レイプファンタジー人間として批判した。最初からレイプしたいのにそれを倫理的に偽装しているという捻れの問題化である。東からその実在性を再批判されていたが、Twitter、ブログ、オフ会などの僕の観測範囲内では、実在すると言って良い。東クラスタは私見では非モテかメンヘラ女子ハンターが多いように思われる。ちなみにザ☆ルサンチマンハンター小野というWEB漫画があるのだが、これは宇野常寛とその周辺の言説空間への批評として優れている。http://rusahan.web.fc2.com/ 宇野常寛はルサンチマンに対して「小さな成熟」を推奨する。例えば卑近な例を挙げれば、もし本当は三次元の女と付き合いたいのに自分に嘘をついてエロゲをやっているのだとすれば、「素直」にそれを口にし漸進的に努力すべきだということである。これは決断主義的トークラジオAliveにて何度も主
2NTは無料ブログ、無料ホームページ等、楽しいWEB Lifeをお届けするポータルサイトです。
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma というか、普通に考えて、橋下氏は「大阪の教育委員会は仕事してない」って言っているんだから、「そりゃまずいっすねえ」と相槌打つところから始めないと話にならないんじゃないの? 大阪については、そりゃさすがに橋下氏のほうが詳しいだろう。 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma ま、しかし、「良いアイデア思いついたんですけど金ないんです、人動かないんです」と言っているひとの圧倒的無責任さというのは、僕の小さな仕事でもしばしば出会うものなので、そのレベルでは橋下氏の発言は説得力がある。きっと彼が支持を集めるのは、そういうリアリティに響くからだろう。
『ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力』 著:村上裕一 Illustration:minoa 『動物化するポストモダン』『美少女ゲームの臨界点』の精神は死に絶えていなかった――セカイ系コンテンツ批評の新たな逆襲!(東浩紀) 村上裕一です。みなさんお待たせしました。ついに『ゴーストの条件』が出ます! 2009年11月にKOBOに載り、翌年4月の刊行予定に載り、文学フリマのカタログ裏表紙に広告が09年秋と10年春で二回も載った――はずなのに、延期に次ぐ延期を繰り返し一時は出版も危ぶまれ、あの本は存在するのか、ゴーストとは村上のことではないのかと都市伝説化しつつあった本書が、とうとう世に問われる時が来ました。 本書は「東浩紀のゼロアカ道場」の成果です。東さんに「セカイ系コンテンツ批評の新たな逆襲」といち早く評された本書は、天皇やアイドルを経由しつつキャラクターという現象の核心に迫ります。 僕
出たばかりだけど『思想地図β』、面白いです。 巻頭の猪瀬直樹+村上隆+東浩紀の「非実在少年」をめぐる対談も熱いですし、その他の特集も非常に力が入っているのですが、一番面白かったのは「ショピングモーライゼーション」というショッピングモール特集。そして、その中でも東浩紀+北田暁大+速水健朗+南後由和の座談会の東浩紀と北田暁大の対立が非常に面白いし、考えさせられた! もともと『思想地図』という雑誌はという東浩紀と北田暁大の二人で始めた雑誌でNHK出版から出ていました。ただ、メンツの割にいまいちな面もあって本当に面白くなったのは、二人の路線が完全に決別した『思想地図vol.4』以降。 東浩紀が宇野常寛と組んだ『vol.4』は、学問的なものを捨てて、完全に「評論」に軸足を移したつくりで、村上隆とか山本寛とが対談に参加、阿部和重や鹿島田真希が短編を寄せ、さらに宮崎哲弥なんかを入れた対談もあって、完全に
> 【菊池寛・文芸春秋創刊の辞】 「私は頼まれて物を云うことに飽いた。自分で、考えていることを、読者や編集者に気兼なしに、自由な心持で云って見たい。友人にも私と同感の人々が多いだろう。又、私が知っている若い人達には、物が云いたくて、ウズゝしている人が多い。一には、自分のため、一には他のため、この小雑誌を出すことにした。」 達人出版会はこちら; http://tatsu-zine.com/
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma で、ぶっちゃけ最近ずっと思い続けていることを再確認したのだが、藤村さんとその周辺はこのままでは単に磯崎新の枠組みに呑み込まれるだけなんじゃないだろうか。 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 磯崎新&浅田彰の世界観なり歴史観なりは一貫していて、強く、しかも業界力学と密接に結びついているのだから安易に近づくのは危険だ。藤村黒瀬濱野組にはその警戒感が足りない気がする。むろんそれはそれで彼らの選択なのだろうが、最近まで彼らの仕事に注目してきたぼくには違和感が生まれている。 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma なんて書くと業界内政治っぽいけど、内容的には、オタクを「やつし」「和様化」で捉え、現代社会を「ディズニーランド化」「金融化」で捉える言説に乗ってCITY2.0を考えても1980年代に言われたことの反復にしかならないん
「上野駅から夜汽車に乗って」改題 とうとう橋本治までなくなってしまった。 平成終わりの年にさらに改題してリスタート。 東浩紀が堀紘一と対立し、「もうやってらんないよ」と席を立つ騒動となった今回の朝生。ツイッターで、「退席」というつぶやきを見て、いったい何が!と思っていたが、夕べやっと、録画してた番組を見た。 かつての野坂昭如と大島渚の怒鳴り合いを知る世代としては、なんか久々の爽快感だった。東浩紀がガチで切れてたというのもあるが、この「退席」騒動で今回の放送、救われたみたいなもんだ。 パネリストはこんな感じ。 東浩紀(早稲田大学教授、批評家) 猪子寿之(チームラボ代表取締役社長) 河添誠(首都圏青年ユニオン書記長) 勝間和代(経済評論家) 清水康之(NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」代表) 城繁幸(Joe's Labo代表取締役、作家) 高橋亮平(NPO法人「Rights」副代
『クォンタム・ファミリーズ』(以下『QF』と略記)は、量子(クォンタム)コンピュータのネットワークによって相互干渉する並行世界を舞台に、出会うはずのない「家族」が時空を超えてリンクされる歴史改変SFである。グレッグ・イーガンやP・K・ディック、瀬名秀明や麻枝准らの先行作品と、ジャック・デリダの脱構築哲学を同時に視野に収めながら、作者自身とその家族を投影した作中人物(東浩紀は作家のほしおさなえと結婚し、娘がひとりいる)が離合集散する、思弁的でプライベートな色合いの濃い小説になっている。 作中で示唆されているように、『QF』は村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に宛てた、二一世紀からの返信でもある。春樹作品はディック(世界の終り)とレイモンド・チャンドラー(ハードボイルド・ワンダーランド)のハイブリッド小説だが、本書の中にチャンドラーの占める席はない。その空隙を埋めるのは、一
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く