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ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (2)

  • 「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net

    「メディアリテラシー」ということばがある。Wikipediaには「情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力」と定義してあって、そもそもWikipediaをソースとして使うこと自体がメディアリテラシーの観点からは問題になりうるのだろうが、この定義はよく見かけるものとさほどちがわないように思うので当面これを使っておく。他の定義もいろいろあって、最近は発信者としての個人に着目するものも少なくない(英語版のWikipediaはその色合いがより強い)が、まあそれはそれとして。 でも最近、もう1つ、新たな意味が必要なのではないかと思ったりすることがある。それは、「メディアの人たちのリテラシー」だ。 メディアリテラシーということばは、なんだかんだいっても、マスメディアが発信者、個人が受信者という図式をデフォルトとして念頭においているように思う(歴史的な経緯か

    「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net
  • 人は「予想どおりに不合理」だけど「意外に合理的」でもある、という話 - H-Yamaguchi.net

    大学教員だからなのかブロガーだからなのか知らないが(たぶん後者だろうとは思うが)、をよくいただく。自分で買ったを後でいただくこともあって、そういうときは「どうせくれるならもっと早くくれよ」と罰あたりなことを思ったりもするが、基的にはもちろんありがたい限り。 で、ほぼ同時期にいただいたのがこの2冊。タイトルからして対照的で面白いので、いっしょに取り上げることにした。「予想どおりに不合理」のほうは、原書を持っていて、ブログで紹介記事を書こう書こうと思っているうちに翻訳が出ちゃったもの。一方「人は意外に合理的」のほうは、原書を買おう買おうと思っているうちに翻訳が出ちゃったもの。もちろんどちらもありがたい。多謝。 で、題。タイトルが正反対なこの2冊。どっちが当なんじゃいというわけだが、別にどちらかがまちがっているというわけではない。前者は行動経済学の話。さまざまな実例や実験によって、人間

    人は「予想どおりに不合理」だけど「意外に合理的」でもある、という話 - H-Yamaguchi.net
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