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2023年4月30日のブックマーク (2件)

  • 「病床使用率」は低いのに医療逼迫が起きていた理由 小池百合子都知事の発信とは裏腹に実態見えない指標に:東京新聞 TOKYO Web

    新型コロナのピーク期には、コロナ患者用に転用した精神科の病室=東京都板橋区の都立豊島病院(木口慎子撮影) 東京都立豊島病院(板橋区)の新型コロナウイルス病棟は、ひっそりと静まり返っていた。4月下旬の昼すぎ、入院患者は8人。大半が軽症の高齢者だ。廊下に残る防護服の着脱エリア「イエローゾーン」を示すテープの跡がかつての喧騒(けんそう)を物語る。 感染者のピークは東京五輪・パラリンピックが開催された2021年夏、重症化率が高いデルタ株がもたらした第5波だった。「五輪は見てもいなかった」と安藤昌之院長は振り返る。記憶に残るのは、フル稼働の人工呼吸器をつなぐ緑色のホース、血栓症を防ぐため絶えず患者の足をマッサージする看護師の手、心電図や動脈圧のモニター類…。「あの恐ろしさ。いつ軽症者が重症になるか。しっかり見ていないと、人が亡くなった」。緊迫感にさいなまれた当時は「あまり思い出したくない」。

    「病床使用率」は低いのに医療逼迫が起きていた理由 小池百合子都知事の発信とは裏腹に実態見えない指標に:東京新聞 TOKYO Web
    Yauchi
    Yauchi 2023/04/30
    04/30「1日最大のコロナ入院者数は第5波の185人。『日本で一番多かった。これ以上できるかよって状態』だった。『確保病床数240床と言われても、できるわけがない。最初のミスリードを最後まで引きずった』」
  • トイレットペーパーはなぜ消えた? | NHK | WEB特集

    第一次オイルショックが起きた1973年、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えた。 その発端とされているのは大阪のあるスーパーだった。 なぜトイレットペーパーは消えたのか。 あれから50年。店が閉店するのを前に、当時を知る人たちを訪ねると意外な理由が見えてきた。 「当日出勤したら、午前10時の開店前に200人ぐらいの大行列ができていた。もうびっくり仰天。これはえらいことやと。」 1973年10月31日。 大阪・千里ニュータウンのスーパー「大丸ピーコック 千里中央店」の従業員、清水暉人さんは目を疑った。 突然、主婦たちが押しかけ、トイレットペーパーを次々に買い求めていく。 これまで、トイレットペーパーを買うための行列なんて見たことがなかった。 訳が分からない。 行列騒ぎは連日起き、新聞やテレビを通じて全国へ伝えられた。 1973年11月2日 毎日新聞朝刊 『買いだめ騒ぎ』広がる 「一日、

    トイレットペーパーはなぜ消えた? | NHK | WEB特集
    Yauchi
    Yauchi 2023/04/30
    04/28「『人間って変わらへんのやろうね。(···)騒ぎを若いときに経験した方が、コロナ禍でまた買い急ぎしている。そして次の世代も同じ行動を起こしている』そんな歴史を見てきたスーパーが入る商業施設が閉館する」