自動的に移動しない場合はをクリックしてください。
読後、書評委員会で手放した本。他の委員が書評するかもしれません。 内容はタイトル通り。心の不協和音を自己正当化する心理について、さまざまな事例をもとに検討している。 ただ、ここから先の研究がもっと読みたかった、ということもあり、少し流し読みしてしまった。 この手の本では、たいてい「私たちはあやまちを認める勇気が必要だ」という結論で終わるのだけれど、現実問題としてそこで終わることはできないのでは。たとえばどうだろう、誰かが過ちをおかしているとき、その人ひとりだけが間違っているわけではないのではなかろうか。 こういった本で検証されるのは、政治家が失言したとか、冤罪が起こったとか、結婚の失敗を認めないとか、高価な買い物の失敗を認めたがらないとか、そういう事例なのだけれど、日常的に考えてみると特にコミュニケーションのなかでは、ひとりだけが過ちを犯すということばかりでもないように思うのだ。過ちと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く