日本では第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)以降に、日本各地の動物園で戦時猛獣処分が行われた。この措置は軍ではなく、都道府県や市町村などの行政機関によって命じられた。飼料不足も重なって、多数の飼育動物が戦争中に死亡した。 日本では、日中戦争中の1939年(昭和14年)頃から空襲時の猛獣脱走対策が本格的に検討されるようになった。1939年5月に開かれた初の全国動物園長会議(後の日本動物園水族館協会)では、研究課題の一つとして空襲時の猛獣脱走対策が挙げられ、檻の防護や殺処分などが検討された。これは、当時は日本領だった台湾へ中国空軍による渡洋爆撃が行われたのを踏まえての研究であった[2]。1936年(昭和11年)の上野動物園クロヒョウ脱走事件以降に上野動物園で毎年行われていた猛獣捕獲訓練も、1939年のものは「空襲により檻が破壊されて脱走した」との想定で実施された[3]。東山動物園でも、防