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東北地方太平洋沖地震と*ニュースに関するaegis09のブックマーク (2)

  • 外務省: 世界防災閣僚会議in東北 女川第一中学校の生徒による基調報告

    私たちの町女川は,宮城県の東部,南三陸国定公園の最南端にあり,銀ざけやホヤの生産額が日一で,水産加工業も発展し,小さくてもとても活気溢れる町でした。 2011年3月11日午後2時46分。東日大震災で30分後に襲ってきた巨大津波によって,女川では,各地で観測された中で最大の43mもの津波が到達し,人口1万人の8%以上の尊い人命が失われ,家屋の80%以上が流失しました。甚大な被害があった岩手や福島,私たちの宮城では,べ物や飲み物さえない極限の生活が来る日も来る日も続きました。そして,辛く,悲しいたくさんの出来事が,私たちの周りで起こりました。 「あの日津波は私たちの大切なものを次から次へと飲み込んでいきました。あの日の4日前,ぴーちゃん(曾祖父母)が,もうすぐ中学生になる私にお祝いをしてくれました。「またおいで。今度は制服姿を見せらいよ(見せてね)。」と言われ,「うん,また来るね。」何気

  • 東京のアパートを引き払い、南相馬で暮らして見えたこと:日経ビジネスオンライン

    5月中旬、私はイスタンブールで開かれた北コーカサス国際会議に招かれていた。チェチェンの人権問題についての発表をしないといけないのだが、私は前日まで原稿が書けずにいた。なぜなら、私の心はこの一年、ずっと東北にあったからかもしれない。 イスタンブールへ旅立つ前に、私は東京で借りていたアパートを引き払った。そして、帰国後は、南相馬市内の福島原発から20.5キロ地点で生活を始めた。旧警戒区域は歩いてすぐのところにあり、裏手には津波で被災した地域が広がっている。震災前まで見えなかった海が国道沿いからも見えるくらい、広大なエリアが被災していた。 一年前はまだ、がれきでいっぱいだったけれど、今ではすっかり片付いてしまった。日中は作業をしている重機の音がうるさいが、その音のせいで、私は以前、足しげく訪れていたチェチェンへと引き戻されたかのような気分を味わう。ちょうど私がチェチェンに通っていた頃は、街の復旧

    東京のアパートを引き払い、南相馬で暮らして見えたこと:日経ビジネスオンライン
    aegis09
    aegis09 2012/07/26
    たんたんとした語り口に引き込まれる
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