「ああ、そういや、おれ、あんたの親父さんには悪いかもしれんけど、最近、水俣病の本、まあ小説なんだけども、読んどるんですよ」 と、おれ。 「ま」 と、声に出したか出さないか、キッとくちびるを結んで眉を吊り上げる母。息子だからこそわかる程度の変化ではある。それゆえ、母が怒りに似たなにかを溜め込んだな、というのが一目でわかる。彼女は怒りや鬱憤、憎悪、不愉快をいったんは溜め込むタイプの人間だ。そして、溜め込んだそれが膨れ上がって大爆発させるかというとそうでもなく、小規模のベントを続けたり、せいぜい小規模の爆発を起こすくらいだ。 おれは母と子の雑談のにやけ顔のまま、内心も少しほくそ笑んで、「お、やっぱりそこはタブーか」などと思う。目の前にいるのが母ではなく興味深い昭和史を語ってくれる、生きた本みたいに見える。おれにはあまり人間味がない。 が、しかしだ。それがおれの想像以上にセンシティブな問題であると
Joel Spolsky ジョエル・スポルスキ 翻訳: Yasushi Aoki 青木靖 2001/1/18 謎: なぜ世界で最も大きいコンサルティング会社のいくつかは最低の仕事をするのか? なぜクールな新興コンサルティング会社が、事業開始早々目を見張るような成功を立て続けに収め、急速に成長し、それから平凡な会社になってしまうのか? 私はこのことを考え、そして(私の会社の)Fog Creek Softwareがどう成長すべきかについて思いをめぐらせた。私が見つけた最高の教訓はマクドナルドから得たものだった。そう、あのでかいハンバーガーチェーンのことだ。 ビッグマックの秘密は、それはそれほどうまくないのだが、どれもがちょうど同じようにうまくない、ということだ。もしあなたがそれほどうまくない人生を望むなら、あなたには絶対に驚かされることのないビッグマックがある。 ビッグマックのもうひとつの秘密
BS FUJIで放送されている「世田谷ベース」という番組が好きで、よく観ています。 番組では、車、バイク、フィギュア、雑貨、DIYなどとともに、所さんの頭に日々浮かぶアイディア、生活を面白くするヒントを紹介し、見る人の中に眠っている「遊びの心」を刺激する!世田谷ベースとは? 先日の放送で、所ジョージさんが「私は平凡だ」と言っていました。しかし、どう見ても平凡ではありません。非凡の固まりのようにしか見えません。続けてもう一言。 「平凡の中のクリエイティブなことを見つけている (所ジョージ)」 確かに所さんは、奇抜な事はやっていません。車もバイクも雑貨も、人を惹き付ける魅力たっぷりなものをたくさん扱っていますが、どのアイテムも、普通の物です。ただし、魅力たっぷりな、とても良いものです。 奇抜なことで人から注目を浴びるのではなく、平凡な中のクリエイティブなことを見つける事で、魅力たっぷりなものを
『シムーン』BD化交渉支援のつもりで書き始めたエントリだけれど、結局間に合いませんでした。なので、せめて翠玉の日に。しかも9月第四月曜深夜と言う緩さで。深夜? 要はかのオタ軽10のもっとヒドいような奴です。 『エヴァ』放映終了後の96年4月から『ヱヴァ序』公開開始の07年9月、ということは実質07年7月クール放映開始までの期間の、これを外す奴とは親しく付き合えないという作品を十本選んでみました。基準は、『エヴァ』以降の問題意識をどれだけ引き受けているかと、『ヱヴァ』への道均しをどれだけ終えているか。 なんというか、客観性なんぞはあるわけはないのですが、少なくとも俺はこういうことを考えながらこの15年、アニメを見てきたのです。 笑えばいいと思うよ。 機動戦艦ナデシコ(1996年) 『エヴァ』以降の流行りモノ、と思われているものは、大体は『ナデシコ』が準備していた、というのは、これはアニメ史的
機動戦士ガンダムAGEに出てくるギミックや台詞を元に妄想をたくましくしていくSFネタ解説シリーズの7回目。 第7回は第22話『ビッグリング絶対防衛線』を題材に、モビルスーツ戦術について考えてみよう。モビルスーツと戦術の組み合わせは、ミリタリーファンは現実の戦術や兵器を持ち込み、SFファンは現実の科学や数式を持ち込み、ガンダムファンはガンダムへの愛を持ち込むことで皆が不幸になる、悪魔の三位一体である。その全員にいい顔をしたいコウモリ村の有袋類である私としてはできるだけ地雷は避ける方向でいきたい。どちらにせよ、いつもとおり真面目七分に法螺三分、大嘘ついても小嘘はつくなの三割精神だ。最後までおつきあいいただければ、幸いである。 ●なぜビッグリングは宇宙にあるのか? 初代ガンダムでは、南アメリカの地下の洞窟に連邦軍本部ジャブローがあった。きわめて堅牢な基地であり、コロニー落としでもなければ無力化
ちなみにネタバレなので、見ていない人は読まないでくださいね。2回目の人推奨です(笑)。 ■前向きなシンジくんの物語である「序」を受けて 本当に話したいことの核心は、あまりにネタバレなので、まずは周辺部から話してみたいと思う。今日金曜ロードショーで「序」を見直したんだけれども、最初に見た時の感想が非常に正しかったのを思い出した。「序」は、その映像は素晴らしいけれども、テレビシリーズの総集編である域を出ず、僕は本音のところでは「なーんだこの程度か」というふうに思ったものだ。 しかし、何かが違う!。それは、当時海燕さんも言っていたが、総じてこの「序」は、碇シンジくんが「前向きだ」ということを評した感想が多かったことが、まずもって一番に挙げられるだろう。僕の友人は「逃げてばかりいたシンジ君が大人になっていて、ちょっぴり好きになった」と言っていました。概ね、誰もがそう思ったと思う。あくまで「ちょっぴ
藤子不二雄の名作『エスパー魔美』に、芸術と批評の関係を扱った「くたばれ評論家」という有名なエピソードがある。 主人公、魔美の父親は画家なのだが、あるとき、某評論家から手ひどい批判を受け、怒る。その姿を目にした魔美は超能力を使ってその評論家にいたずらするのだが、父は喜ぶかと思いきや、諄々と魔美を諭すのだった。 「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ」 魔美が、でも、さっきは怒っていた癖に、というと、父はこう答える。 「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!! あいつはけなした! ぼくはおこった! それでこの一件はおしまい!!」 芸術家の矜持を見事に描き出した名エピソードである。であるのだが、もしかしたら既に通用しなくなっている考え方かもしれない、とも
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