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回顧に関するarcade00fire01のブックマーク (5)

  • NIKKEI STYLEは次のステージに

    キャリア、転職、人材育成のヒントを提供してきた「リスキリング」チャンネルは新生「NIKKEIリスキリング」としてスタート。 ビジネスパーソンのためのファッション情報を集めた「Men’s Fashion」チャンネルは「THE NIKKEI MAGAZINE」デジタル版に進化しました。 その他のチャンネルはお休みし、公開コンテンツのほとんどは「日経電子版」ならびに課題解決型サイト「日経BizGate」で引き続きご覧いただけます。

    NIKKEI STYLEは次のステージに
  • 丸谷才一死去 - jun-jun1965の日記

    私が大学院へ入つた時に行われた八王子セミナーハウスでの合宿には、芳賀先生の縁で大岡信が講演に来ていたのだが、丸谷才一らと連句をした時に丸谷が「モンローの伝記下訳五萬円」とやったたのでみな呆れたが、大岡がそのあとへ「どさりと落ちる軒の残雪」とつけた、と言うので、みなおおーと感心したのだが、これはどのに載っているのか、確認を忘れていた。 しかし、もし丸谷がモンローってもちろんノーマ・ジーンであろうが、その伝記の下訳をしたのか、というに、モンローが死んで伝記が出るころは丸谷はもう45を超している。 可能性があるのはノーマン・メイラーの『マリリン : その実像と死』(中井勲訳 継書房: 高等教育研究会 (発売), 1973)なのだが、この中井勲という人、1917年生まれだから確かに丸谷より年上なのだが、何者だか全然今のところ分からない。現物を見るとプロファイルあるのだろうか。 (付記:中井は、愛

    丸谷才一死去 - jun-jun1965の日記
  • 伝統と前衛精神を見事に結ぶ(評伝) - 日本経済新聞

    もし丸谷才一氏がいなかったら、1970年代以降の日文学は、もっと殺風景で平板なものになっていたに違いない。翻訳も手掛けたジェイムズ・ジョイス、グレアム・グリーンら欧米文学についての専門的な知識と、源氏物語、古今和歌集以来の古典文学への深い造詣をともに備えた教養は、戦後の小説の実作者の中でも、群を抜いていた。その意味で、丸谷氏は、森鴎外や石川淳といった教養派の文豪の正統的な後継者といってよかっ

    伝統と前衛精神を見事に結ぶ(評伝) - 日本経済新聞
  • 『● 戦後時代劇の変遷①』

    西村雄一郎のブログ 佐賀新聞連載の「シネマ・トーク」の公開(●印)と、西村雄一郎の仕事に関するお知らせの掲示板 冒頭に荒木又右衛門(三船敏郎)の大立ち回りが登場する「決闘鍵屋の辻」 最近、秘蔵のビデオをDVDに移し変える作業を行っている。その際、目を見張っているのが、1960年代前半に流行した東映の〝集団抗争時代劇〟。そこに至るまでの戦後時代劇の変遷を追ってみよう。 終戦直後は、チャンバラは見れなかった。GHQの「時代劇は封建的、仇討ちものは不許可」というお達しにより、殺陣シーンの入った時代劇は製作できなかったのだ。ところが、東映のマキノ満男専務の「もうええやないか、ちょっと2、3人斬ってみぃ」という言葉によって、「いれずみ判官」(50年)に、恐る恐る斬り合いの場面が入れられた。すると、検閲にパスした。この頃から、派手な殺陣をもった時代劇が復活したのである。 大映で「羅生門」(50年)を撮

    『● 戦後時代劇の変遷①』
  • 佐伯梅友『古今集抄』

    このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。 某君の着任挨拶のハガキを見ていたら、我が家の書庫に、傷痍軍人東京療養所での講義のために佐伯梅友先生(1899-1994)が編まれた『古今集』の講義ノートを頂戴していたことを思い出しました。傷痍軍人が療養しながら学ぶ施設で使用したもののようです。先生を偲ぶ会で配布された年譜を見ると、武道専門学校講師としての教歴が確認されます。 京都帝国大学を卒業後、昭和三年から六年まで私立成城高校で教鞭を執られた後、京都府立医科大学予科教授を昭和十七年までおつとめになり、その年の五月に東京文理科大学助教授になっておられますから、この講義ノートもその頃のもののようです。端正な楷書で和歌の一首一首に歌番号が付されています

    佐伯梅友『古今集抄』
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