どんな小説にも、どんな偉大な物語にも、調子が上がっていくところと、そうでもないところがあるものです。映画やテレビドラマがそうであるように、文学作品もそういうものです。 調子のよしあしは筋書きや内容のつながりというより、だいたい文章の興奮度や透明度や稠密度でわかります。ははん、このへん来てるなという感じがやってくるんですね。『源氏』の場合は、畳みかけるような暗示感と、肝心の出来事や浮沈する心情を一言やワンフレーズで伏せていくところです。 だいたい『源氏』は総数40万語で仕上がっている長尺な大河ドラマです。当然、緩んだり高まったりもする。それに40万語のうちの半分の20万語は助詞か助動詞です。だから、ちょっとしたことで調子が変わります。 それでも『源氏』全巻のなかで調子が最初に上がっていくのは、巻7「紅葉賀」(もみじのが)から「花宴」(はなのえん)、「葵」へと続くところでしょうね。暗示的文章が
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