おはようございます。朝から非常に微妙な気持ちになる記事を見てしまったので、ちょっとそれについて書いてみたいと思います。対象は、 toyokeizai.net というとても残念な記事です。本題に入る前に常日頃から思うのですが、結論自体は著者と別の理路から同意できなくもないが、途中の論理展開が破綻してる記事って多過ぎません?あくまで感覚ですが、ネットの一応まともな出版社の記事でも、1/10くらいの確率で誇張でなくそういう残念な記事に出会ってしまう気がします。今回の記事もそのような残念な記事の一つです。 さて、この記事の主題は、昨今蔓延している古文不要論へのカウンターパートとして、 「現代の文章や言葉を理解するために、古文を勉強する必要がある」(原文より引用) ということにあります。筆者の気持ちはわかります。私自身、古文が全く役に立たないとは思っていないし、実際問題として、古文だけでなく歴史など