本社 〒113-0033 東京都文京区本郷2丁目27番16号 大学通信教育ビル2階 旧事務所は文京区本郷2-11-9にあった。 旧々事務所は千代田区有楽町スバル街にあった[1]。 1946年11月に小林直衛(1901年 - 1978年)や有賀新(1905年 - 1973年)ら9名による匿名組合として、資本金100万円で創設された[2]。「大月」の名は、小林の出身地・山梨県の大月市に因む[3]。最初の出版物は尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』(第3版、1947年、ゾルゲ事件に関わって死刑になった筆者の獄中書簡集)で、同じ左派系の出版社だった世界評論社から刊行されていたところを同社の依頼によって2万部を発行した。続いて、千野敏子『葦折れぬ 一女学生の手記』(1947年)を刊行し、これが実質的な出版第一号である[4]。 1948年秋に社長であった小林が病気となると、民主評論社の社長や日本共産党のマ