最終報告書の公表を受け、省内でも厳しい意見が聞かれた。 「仲介役となった嶋貫さんのほかにも、同じような役割を担った人がいるのではないか」。ある中堅職員は調査が十分か疑問を呈しつつ、「不祥事を起こして世間の文科省をみる目は厳しいが、粛々と業務に取り組むしかない」と言葉少なだった。 ある幹部は平成元年に文部事務次官が収賄容疑で逮捕されたリクルート事件を引き合いに出し、「あの事件で10年間は信頼回復できなかった。今回はそれ以上の衝撃があり、組織の立て直しは厳しい」と話した。
「甘えの構図があった」。多くの違反行為が認定され、最終的に40人余りの処分者を出した文部科学省の組織的天下り斡旋(あっせん)問題。30日に最終報告書を公表した松野博一文科相は記者会見で、「省を挙げて猛省する」と陳謝。重苦しい空気が省内を覆った。 午後5時ごろ、記者会見室に現れた松野氏は冒頭、厳しい表情で手元の紙を読み上げた。違反行為が計62件に上ったことを報告すると、「文部科学省の責任者として、改めて国民の皆さまに心よりおわびを申し上げる」と述べ、3秒ほど頭を下げた。 問題の背景として、順法精神の欠如やOBを含めた身内意識を挙げた。「身内意識はいい面もある」と断った上で、「甘えの構図につながる側面があったと感じている。再就職違反の問題では、順法意識よりも身内意識が優先してしまった」と口にし、険しい表情を浮かべた。 会見では、文科省OBの嶋貫和男氏を調整役とする組織的斡旋について、枠組みを構
北朝鮮では、両親がおらず路上で生活する10代前後の子どもたちを、「コッチェビ」と呼ぶ。コッチェビという言葉が出始めたのは、1980年代だと思われる。同国ではかなり前から路上生活をする子どもたちが存在していた。コッチェビの子どもたちは、ほぼ1人で生活することが多かったが、1980年代半ばから食糧難が広がるにつれてコッチェビが続出。群れをなして街を徘徊するようになった。彼らの生活の場は主に「チャンマダン」と呼ばれるヤミ市だった。 チャンマダンは常に存在しており、チャンマダンがあれば、そこにはコッチェビも必ずいる。経済難が進むにつれて、チャンマダンも北朝鮮全域に広がり、今では北朝鮮の流通の中心地となった。北朝鮮国内では約400カ所の大規模なチャンマダンが運営されている。1990年代に集中して発生したコッチェビは今では30~40代の大人となった。チャンマダンで彼らはさまざまな仕事をしている。 確実
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