来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
うめぇヨーグルトソースでもいかがですか。個人差にもよりますが。もしよろしければ。 お久しぶりです。 最近うんめぇ〜と思ってるヨーグルトソースがあるので、書いていこうと思います。 ヨーグルトとハーブ類をもりもり使うので、そういうのが食べられない方にはうんめぇソースではないです。ごめんなさい…。もしよろしければお茶だけも…旦~ 【用意する…
くだらない雑用で頭が窒息状態になったときは、本書のような人類の数千年の営みに思いをはせる本を読むのが精神衛生にいいかもしれない。本書は20世紀最大の知的巨人の30年以上にわたる講義の内容を要約したもので、その膨大な業績を一望するには便利だが、それを400ページ足らずの訳本に圧縮することは不可能なので、彼の著書を読んでいない人には難解かもしれない。 全体として描かれているのは、冷たい社会の人々が謎に満ちた世界を理解し、社会の存在する意味を見出す努力の跡である。圧倒的に巨大な自然の闇の中で微小な存在でしかない人間が、そのささやかな秩序を守るためにつむいできた神話や親族構造が、詳細に分析される。それを通じて見えてくるのは、荒々しく不確実な自然の中で、人間の築いた文化がいかに無力で壊れやすいものかということだ。 しかし人類は、いつからかこういう静的な秩序を守るのをやめ、自然を征服して不確実性を
2009年06月28日19:00 カテゴリNewsMoney コドモ買うよりモノを買え! - 国際児童売買春をなくすには そろそろこの話題について語っておくか。 『Santa Fe』を1年間で処分すべしとする与党案に驚く - 保坂展人のどこどこ日記 マスコミの注目を集めていたアグネス・チャンさんは、タイのチェンマイでビルマ(ミヤンマー)から売られてきた子どもたちが、いかに酷い扱いを受けているのか、また、いかに買春をされて写真を撮られているのか、その苦痛に満ちた訴えを情感を持って語った。 これを防ぐのに、 児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律 は、明日の方法のように見えて一昨日の方法でしかないので。 まず、児童ポルノの所持を禁止することによって、途上国における児童売買春が減るかどうか。 これが減らないことは、誰がそれらの国で子どもの性を買っているかを見ればわかる
外貨保有高、国連負担金、GDPなどの指標で世界第2位の地位を占める日本は、経済的には世界にそれなりの貢献を果たして来ました。にもかかわらず、世界の指導国の指定席である常任理事国へ加盟の道は極めて厳しいのも現実です。 日本には「何が物事の本質かを議論し、突き詰めた上で」物事を判断する風土がなく「本質とは関係の無い人間関係や過去の経緯などを拠所として」重大な判断をする悪習があります。(注:斉藤健著「転落の歴史に何を見るか」より) この風土が、世界に通じない日本を生み、常任理事国入りにも苦戦する一因でしょう。 経済大国の地位など夢の夢であった1950年。南原繁東大総長はその年の卒業式で、「平和と全面講和」を熱っぽく説きました。この発言に腹を据えかねた単独講和推進派の吉田首相は「永世中立とか全面講和などという事は、言うべくして到底行われない事」であり、「それを南原総長などが、政治家の領域に立ち入っ
人間は自分で意識し、自由な意志をもって行動していると思い込んでいる。だが脳の機能を実験的に解明していくと、実は本人が自覚していない脳の認識プロセスの結果として、その意識や意志が出力されていることが明らかになってきた。 本人が気がつかない何かが、その人の意識を決定しているというのだ。では、その何かとは何か。現代に溢れる各種メディアの情報である。意識的に気がつかないがゆえに、本人の意識の及ばないところにあってその意識に注入され、意識を決定する。それが現在の人間の置かれた状況であり、そもそも人間とはそのような存在として進化してきたのではないか。本書「サブリミナル・インパクト 情動と潜在認知の現代(下條信輔)」(参照)が問い掛ける、ある意味で奇っ怪なメッセージはそれだ。 人の脳の意識構造にありながら本人は意識していない領域を、著者下條は潜在認知と呼び、潜在認知を突き動かしているのは情動であると考え
と、子どものころよく言われたものだった。 誰に言われたのかよくわからないが、まあ、言われたものだった感はある。 で、この言葉、いつからか聞かれなくなった。 私が聞かなくなっただけかもしれないが。 考えてみると、「無益な殺生はするもんじゃない」というシーンがなくなったな。 害虫だから駆除しちゃえみたいな、「害虫だから」という正義に対して、命が大切とかじゃなくて、正義だからやっちゃえってするなよ、そいつらはそいつらで生きている世界があるんだよみたいな。「正義」の限界の感覚があった。 いや、ちょっと、無益な炎上はするもんじゃないとも思ったのだけどね。 無益な議論はするもんじゃないとは言えないだろうけどね。 話戻して。 歎異抄を読みながら、唯円が、百姓というか農民というのは、いや農民と限らず百姓か、は、必然的に殺生しなければならない、つらいのぉという感じがあって感慨深いものだった。 中世の人々は殺
2009年06月19日00:00 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 「黒鳥」の正体 - 書評 - ブラック・スワン ダイヤモンド社より献本御礼。 ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質 Nassim Nicholas Taleb / 望月衛訳 [原著:Black Swan] 初出2009.06.17; 販売開始まで更新 私が言うのも変だが、邦訳を待ちわびていた人も多いだろう。私自身、前著「まぐれ」を読了後日をおかずして原著を入手して、「これはとてつもない。早く紹介したい」という気持ちを本日まで抑えてきた。 上下分冊は残念だが、しかしこの表紙絵の美しさは原著を凌駕している。そして、単に美しいだけではなく、つがいとなることで本書の本質により近づいている。それぞれ1,890円というのはさらに残念だが、本書を読了してなおそれだけの価値がないと感じるのは、価値感覚そのものが麻痺している人
2009年5月17日夜のフジテレビ「サキヨミLIVE」の「アスヨミ」コーナーで、「臓器移植法」とどう向き合うのか、「小さな命 どう救う? “脳死”に揺れる家族」という特集がありました。 「長期脳死」に関して取り上げられていたので、興味深く見たのですが、残念と思う部分も多かったので、少しコメントを。 この番組では2つの家族が登場しました。 まず、心臓移植でしか助からないと言われ海外で心臓移植を受けたお子さんとその家族。 それから、8年前に「脳死」と診断されながら生き続けているお子さんとその家族。 放送で心に響くご家族の言葉はいくつもあったのですが、ここでは、僕が興味深く思った話の筋だけの部分だけを。 現行法では15歳未満が脳死からの臓器提供を意思表示することは認められていない。 けれども、体の小さな子どもが心臓移植を受けるためには、その大きさにあった臓器が必要になる。つまり、子どもが臓器移植
仏教において慈悲(じひ)とは、他の生命に対して楽を与え、苦を取り除くこと(抜苦与楽)を望む心の働きをいう[1]。一般的な日本語としては、目下の相手に対する「あわれみ、憐憫、慈しみ」(mercy) の気持ちを表現する場合に用いられる。 慈悲は元来、4つある四無量心(四梵住)の徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の内、最初の2つをひとまとめにした用語・概念であり、本来は慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)と、別々の用語・概念である[1]。 慈はサンスクリット語の「マイトリー (maitrī)」に由来し、「ミトラ (mitra)」から造られた抽象名詞で[注 1]、本来は「衆生に楽を与えたいという心」の意味である[1]。 悲はサンスクリット語の「カルナー」に由来し、「人々の苦を抜きたいと願う心」の意味である[1]。大乗仏教においては、この他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心を特に重視し、「大悲
「あなたの人生の物語」(参照)は、中国系二世の米国人SF作家テッド・チャンの短編集で、ネイチャー誌に掲載されたショートショートを含め、8編の作品が収録されている。どれも米国のSFコンテストの賞を得ている佳作ぞろいである。 寡作の作家らしく、実質本書以外の著作はないようだ。もしかして日本で編集された選集ではないかと疑い、英書探すと「Stories of Your Life and Others(Ted Chiang)」(参照)があり、邦訳はそれに準じたのものようだ。 私は本書を、その評価もテッド・チャンという作家についても何も知らないで読んだ。勧められたわけでもなかった。とある書店でたまたま偶然に出合った。魅惑的な書名に惹かれたわけでもなかった。その経験はうまく言い難い。読後は、ネットでよく言われる「お前は俺か」という感慨を持った。私と似たようなへんてこな思索課題に取り憑かれ、似たように展開
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
ミラーニューロン(英: Mirror neuron)とは、霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。他人がしていることを見て、我がことのように感じる共感(エンパシー)能力を司っていると考えられている。このようなニューロンは、マカクザルで直接観察され、ヒトやいくつかの鳥類においてその存在が信じられている。ヒトにおいては、前運動野と下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳の活動が観測されている。 ミラーニューロンは、神経科学における20世紀末から21世紀初頭にかけての10年においては非常に重要な発見の1つであると考える研究者も存在する。その中でも、ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン[1]は模倣が言
⇒草日記 - 「はてな村」物象化論 序説 まあ、異論とかじゃなくて、ふと思い出したんで。 ちなみにウィキペディアを見たら⇒物象化 - Wikipedia マルクス自身は断片的な記述しか残していないが、ゲオルク・ルカーチや廣松渉が重要視したために注目されるようになった。 うひゃ、げろ懐かしい。 ほいで⇒[編集] 廣松渉の物象化論 : 物象化 - Wikipedia ま、どうでもいいんだけど、と、はてダを見ていたら。 ⇒オオツカ´ - マルクス主義の疎外論超克説について(mixiの自コミュに書いたもの) 今まで疎外論から物象化論という廣松渉の論点を鵜呑みにしていたんですが、テキストクリティークからすると結構疑わしいみたいですね。 まあ、時代的な制約とか日本的な風土とかもあるんだろうけど、ま、廣松渉はちょっとみたいのはある。同じ事はヴェーバーと大塚久雄でもそうかもだけど。 で。 もし、疎外論がマ
今日も一日、少子化に貢献してやった。社会ざまぁ。 この少子化問題の原因を最近の格差問題や所得問題に求める人がよくいるんだけど、 「なぜ経済の豊かな日本で子どもが減るのか?」 少子高齢化世界ワースト1位の日本に海外から強い関心 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1261448.htm http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1261448.html 自民党憎し・麻生憎し・富裕層憎し・静岡おでんに串、という典型的な心情左翼の俺だって、それは違うと思うぞ。 こんなものは合計特殊出生率の推移をグラフで見れば一目瞭然なこと。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1550.html あんまり関係ないところで格差格差言うと、狼少年なら
2009年05月11日00:05 カテゴリ書評/画評/品評Art 才能は誰のものか? - 書評 - 天才! 成功する人々の法則 講談社青木様より献本御礼。 天才!:成功する人々の法則 Malcolm Gladwell / 勝間和代訳 [原著:OUTLIERS] 初出2009.05.10; 販売開始まで更新 ゲラの段階から拝読したので、紹介するまで少し待ちくたびれてしまった。改めて本になったものも手元に届いたので、「404 Blog Not Found:プロが独り立ちするためのたった一つの条件」で予告したとおり、やっと書評を上げられてほっとしている。 結論だけ言えば、才能というものに対し、少しでも「なにかしたい」という思いがある人は、必ず目を通すべき一冊である。[続きを読む]を押す前に注文しても後悔しないということは折り紙をつけさせていただく。 本書「天才! 成功する人々の法則」の原題は"O
イエスが荒野で四〇日、四〇夜断食をして腹が減っているとき、彼を験す者が現れて、もしおまえが神の子なら、この石をパンにかえてみよ、と言う。イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉で生きるのである」と答える。サタンよ去れ、とイエスが言ったとされるこの場面をめぐる応答は深い。イエスはなぜ人はパンのみで生きるのではないと言ったのか。イエスの答えは尽きぬ謎をふくんでいる。イエスは謎のありかを知らなかった。 なぜパンなのか。胃袋の飢えや病苦が圧倒的な現実であり、人為によってその現実を改変することがまったく不可能だったからだ。パンは端的に現実の喩だといってよい。戦乱で家を焼かれ、飢餓で飢え、疫病で虫けらのように死んでいく地を這う衆生をまのあたりにして鎌倉時代を生きた親鸞も、念仏を一回唱えたら浄土にいける、と同じことを言った。吉本は「マタイ伝」のこの場面を次のように解釈する
『ある公爵夫人の生涯』75点(100点満点中) THE DUCHESS 009年4月11日(土) 渋谷Bunkamuraル・シネマ、銀座テアトルシネマ、新宿テアトルタイムズスクエア他全国ロードショー 2008年/アメリカ、イタリア、フランス/カラー/110分/配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン 監督・脚本:ソウル・ディブ 出演:キーラ・ナイトレイ、レイフ・ファインズ、シャーロット・ランブリング 衣装と美しい建築に価値を見出せる人に 人間社会に生きるものに、完全な自由などない。誰もが大なり小なり宿命を背負っている。だからこそ、人一倍重いそれを背負う人々を尊敬する気持ちが生まれる。 たとえ無意識であろうと、それは自然な感情である。日本人が皇室を敬うのも、貴族がヨーロッパ社会である種の尊敬を受けているのも、その思いが根底にある。彼らが生まれ持った宿命は、深く、重い。 この映画は、その事を
2006年11月06日14:00 カテゴリValue 2.0 生命が「考える」命の値段 結局この問題でなぜ我々が苦しむかと言えば、現代人の考える命の値段と、生命の「考える」命の値段が違うから、ということになるのかも知れない。 partygirlの日記 - さくらちゃんと、途上国の子供の命の値段 では具体的にどうすればいいんだろう?生命が「考える」命の値段というのは、生命全体としての生存力(survivability)ということだ。個体の生死は問題にすらならない。ここでは「誰かが生き残る」ことが至上命題だ。「誰が」というのは問題ではない。 以前にも書いたが、同じ脊椎動物でも魚類はこの点において「優等生」だ。進化したものほど卵の数は多い。マグロなんて億のオーダーだ。しかも最初の「淘汰」は天敵ではなく共食い。彼らがあずみを見たら、「え、共食いは一回でいいの?」とか「あずみが生き残ったから爺の勝ち
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