要約:高木浩光氏は、twitterによる・第三者の・不正確な要約をもとに、他人を罵倒してもよいと考えている人のようです。 経緯: 大屋、討論会でパネルとして発言。 参加者の中に、内容を要約してtwitterで発言していた人がいる。ただし欠けている・落ちている部分が必然的にあったほか、不正確な部分もあったと指摘されている。 たとえば以下の展開。
end_NTak @end_NTak すごい、物語を判定する価値基準を示すつもりらしい。どんなこと言うんだろう、と続きを読むと……>だって物語にも「面白い物語」と「つまらない物語」があるわけで、別に「嘘」なら何だって良い訳ではない。とするとそこには何らかの価値基準が存在して居るみたいだ。では一体それは何なのか? 2010-05-23 06:19:13 end_NTak @end_NTak それは、ある種の「決まった流れ」に沿って動いているかどうかによって決まるのです。例えばそれこそ「桃太郎」なんか思い出してください。あれは、悪いことをした鬼たちが最終的にその報いを受ける(因果応報)という「決まった流れ」(続く) 2010-05-23 06:19:48
ついったー事件簿 @gyaro_ti vs @tsuda 木曜深夜の対決 戦火の火種(@tsudaの発言)00:56 選挙話に話を戻すと俺は20歳になってから今まで国政・地方選挙は毎回投票してきた(必ず投票することに意味を見いだしてきた)けど、3年くらい前に一度だけもろもろの都合で行けなかった選挙があったんだよね。で、行かないで思ったのは「行かない」のも選択としてアリだなってこと。00:59 選挙は大事だと思うし行けるならみんな行った方がいいとは思うけど、行くのが絶対とか投票することをデフォルトに置いちゃう原理主義的な物言いには反発を覚えるね。と、投票期間以外の時期に政治的なものとの関わりが増えた今は思いますよ。投票以外のときに何ができるのか考えようぜ、みんなでさ。@gyaro_tiの攻撃01:01 無責任な津田発言はさすがにどうかと。それをつぶやくなら「@tsuda」の看板外さなきゃダメ
最近twitterをやっている人とリアルで会う機会が増えて来た。それらの人はtwitter上でのイメージと違うことが多く、所謂「twitterをやっていそうにない人」だったりするのだが、実際に話してみると例外なく目を開いて生きているなという印象を受ける。 話す内容は他の人と変わらないし、風貌も普通の「プロフェッショナルっぽくない人」なのに何故そのような印象を受けるのかなと思ったら、答えはとても簡単だった。twitterでその人がどうゆう哲学で生きているのかを知っているからだ。その人が生活していくうえで、どのような考えのもとにどのような行動を起こし、どのようなことに怒りどのようなことに笑うかを把握した上で、その人を観察できるからだと気づいた。 人は誰でも何かを考えて生きているもので、その辺の頭がにわとりみたいなギャル男も香水臭いおばさんも何かを考えて生きている。でも、なかなかその頭の中を覗く
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