太平洋戦争開戦から間もない昭和16(1941)年12月末、中国・徐州に進駐していた陸軍第17師団の師団長だった平林盛人中将が部下の将校を集め、痛烈に開戦を批判する演説をしていたことが、元部下2人の証言で明らかになった。将校らは「他言無用」と申し合わせ、発言は表面化しなかったという。8日で開戦から68年。平林の危惧(きぐ)した通り、日本は戦争の泥沼に入り込み、日本人だけで300万人以上の命が失われた。 平林の発言を証言したのは、元副官で蓮光寺住職の平谷典樹さん(94)=兵庫県太子町=と、元主計将校で飯野海運元社長の風早英雄さん(97)=東京都目黒区。中でも平谷さんは、起居を共にする一番の側近だった。 2人の元将校の証言によると、平林の発言があったのは、掃討作戦などから徐州の師団本部に戻ってほどない昭和16年12月29日の将校昼食会の席。40人ほどの将校が出席し、食事を済ませると、平林がいつに