お久しぶりです。ウサーマ・ビン=ラーディンが「殉教した」ので、ちょっとメモ書きです。 この事件についての私の感想は「四方丸く収まった」。一年ちょっと前に書いた「アル=カーイダの衰退」の流れの延長線上です。わが国政府では想像もしがたい安保外交の「妙技」を見せつけられた思いです。 どう「丸かった」のか。いまの段階では不確定な情報、推測も交じりますが、私の大筋の読みです。 ビン=ラーディンは長患いの病死ではなく、イスラーム圏(パキスタン)で異教徒とのジハード(銃撃戦)で亡くなるという最高の栄誉を得た。 そのビン=ラーディンを売ったパキスタンの軍統合情報部(ISI)は、舞台裏で米国から事実上の(アフガンでの)ターリバーン政権復活について了解を得ていたと思います。これは、ISIがいままで自国政府にも頑として譲らなかったラインです。ターリバーンは実子、アラブ義勇兵(アル=カーイダ)は所詮、生意気な義理