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2012年7月23日のブックマーク (4件)

  • 第2回 背景に日本の消費爆発、定着した薄利多売のビジネスモデル

    その後、資源レベルの急減と規制強化によってヨーロッパウナギの供給は絶たれ、東アジアのシラスウナギも資源レベルがさらに低迷しているため、日のウナギ消費は近年、急減している。シラスの不漁でウナギ製品が値上がりした今年は消費者の「ウナギ離れ」が進み、市場に供給される量は4万トンにも達しないだろうと見込まれている。ピーク時のほぼ4分の1である。 ウナギのべ方が大きく変わった だが、90年代を境に大きく変化した日のウナギ消費の構造、日人のウナギのべ方は、今も変わっていない。 かつては専門のウナギ料理店に出掛けて焼きたてのかば焼きなどをべる、というのがウナギのべ方の主流であったのだが、昨今のウナギの主流は、コンビニなどでのウナギ弁当、あるいはスーパーなどで売られるパック詰めにされた加工済かば焼きである。今ではウナギ専門店での消費は全体の約3割程度でしかないとされている。 これらのウナギ

  • 第2回 背景に日本の消費爆発、定着した薄利多売のビジネスモデル

    国内のウナギ養殖池。屋内で温度や水質を一定に保つためのエネルギー消費量が多く、コストが安い中国産に太刀打ちできないケースが多い。 信頼できる統計は少ないが97年から2000年にかけて中国では毎年、130~180トンという大量の外来シラスウナギが養殖池に入れられたとされ、これは同時期に池入れされたニホンウナギの量をはるかに上回る。 90年代半ばまでほとんど相手にされてこなかったヨーロッパウナギやアメリカウナギを求めてウナギバイヤーが殺到し、欧米のシラスウナギ漁師は降って湧いたウナギブームに熱狂、一漁期にして大量の富を手にした漁師も少なくなかった。 だが、これが、この時既にかなり厳しい状況に置かれていたヨーロッパウナギとアメリカウナギの資源状況を急激に悪化させる。特にヨーロッパウナギの状況は深刻で、2007年のワシントン条約の締約国会議で、条約の規制対象とされ国際取引の規制が決定されるまで

  • 第2回 背景に日本の消費爆発、定着した薄利多売のビジネスモデル

    1999年には日中国台湾で146トンと大量のニホンウナギのシラスが養殖池に入れられ、これにさらに大量のヨーロッパウナギが加わる。その結果、2000年には中国台湾から過去最高の13万トン超のウナギが輸入され、国内の流通量は過去最高の16万トン近くに達する。15年ほどの間に、2倍近くに増えたことになる。 日のウナギ消費量は急増したが、供給増によって価格は暴落した。日国内の養鰻業者が国に、輸入物ウナギに対するセーフガード(緊急輸入制限措置)の発動を国に申し入れて話題になったのもこの年だ。 だが、その影ではシラスウナギ資源の減少傾向が目立ち始めていた。それまでは20トン程度の漁獲があった日のシラスウナギ漁は94年に13トンと落ち込み、96年以降、15トン、12トン、11トンと低迷した。 日のウナギバブルを支えた欧米種 ニホンウナギのシラスの不漁が続く中、急増した日の消費を支えたの

  • 第2回 背景に日本の消費爆発、定着した薄利多売のビジネスモデル

    世界中でウナギをべる人は少なくはない。スペインではウナギの稚魚「シラスウナギ」を熱したオリーブオイルの中に入れてべる料理が人気だし、北欧や英国ではウナギの薫製などが定番料理の一つである。 だが、世界で最も多くのウナギをべているのは間違いなく日人で、われわれは世界のウナギの6~7割を消費しているとされる。乱獲が主な原因であるウナギ資源の危機は、日人によるウナギの大量消費が深く関わっているということになる。 日を中心とする世界の生産と消費量は1980年から2000年にかけて急増した。日国内のウナギ生産量は1980年代後半までほぼ年間4万トン程度で推移し、これに台湾からの輸入が2万5000トンから多い時では4万トン程度加わるという形が続いてきた。 これに変化が現れるのはバブル経済の爛熟期の1987年ごろからだ。そのきっかけの一つは中国で日向けのウナギの養殖業が盛んになり、安い労働