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記録に残るだけでも側室は20人…歴史作家が検証する知られざる「家康の女たち」 歴代正室2人、継室と呼ぶべき正式な妻も2人…
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記録に残るだけでも側室は20人…歴史作家が検証する知られざる「家康の女たち」 歴代正室2人、継室と呼ぶべき正式な妻も2人…
父・氏純は桶狭間の戦いののち、今川から離反した家康と通じているのではないかと今川氏真に疑われ、妻... 父・氏純は桶狭間の戦いののち、今川から離反した家康と通じているのではないかと今川氏真に疑われ、妻とともに自害に追い込まれました。今川家に人質のようなかたちで身柄を拘束された築山殿は、子どもたちを守り続けていましたが、やがて人質交換で母子三人そろって岡崎に引き取られます。 しかし、なぜか築山殿は岡崎城には入らず、城外の西岸寺に居住します。このことから、すでに築山殿は家康に離縁されていた、あるいは二人の関係が悪くなっていたと見る人もいますが、そうであれば、なぜ人質交換によってわざわざ築山殿を引き取ったのか。信康と亀姫だけを引き取るということもできたはずです。 悲劇をもたらしたのは信康に嫁いだ信長の姫だった 家康は築山殿の両親である関口夫妻に対する罪の意識を持っていたのではないでしょうか。自分が今川と手切れをしたために、彼らは命を落としたわけですから。その贖罪意識もあって、築山殿と離縁することも

