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なぜ徳川家康は正妻と嫡男を自害させたのか…戦国時代にも存在した「上司への忖度」という悲劇 家康は妻の裏切りを隠していたのだが…
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なぜ徳川家康は正妻と嫡男を自害させたのか…戦国時代にも存在した「上司への忖度」という悲劇 家康は妻の裏切りを隠していたのだが…
この事件は、「築山殿事件」「信康事件」「築山殿・信康事件」などと称されている。戦国大名家の当主が... この事件は、「築山殿事件」「信康事件」「築山殿・信康事件」などと称されている。戦国大名家の当主が、正妻と嫡男をともに同時に自害させるという事態は、ほとんど類例をみない、極めて異常な事態である。ではどうして家康は、このような措置をとったのであろうか。 しかしながら事件については、関係史料がほとんど残っておらず、真相は現在でも判明しない。具体的に把握できる事柄は、家康が織田信長の側近家臣である堀秀政に宛てた書状から、天正7年7月に、家康は筆頭家老の酒井忠次を、近江安土城の織田信長のもとに派遣して、信康は「不覚悟」であるからとして、信長から信康追放について了解をえて、信康を追放した、ということにすぎない(『愛知県史 資料編11』1336)。 信長は家康の処罰申請を了解しただけ 事件の背景について記しているのは、江戸時代成立の史料にならないとみられない。そのなかでもっとも成立が早いのは、『三河物語

